医事法 東京大学法学部 22番教室 樋口範雄・児玉安司

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医事法 東京大学法学部 22番教室 nhiguchi@j.u-tokyo.ac.jp 樋口範雄・児玉安司 第9回2008年11月26日(水)15:00ー16:40 第9章 医師の守秘義務と例外 1 遺伝病に関する守秘義務と法律論のあり方はどうあるべきか。 2 医師の守秘義務と、警察の捜査との関係はどうあるべきか。 参照→http://ocw.u-tokyo.ac.jp/

先回の補足 業務上過失致死傷罪 (業務上過失致死傷等) 先回の補足 業務上過失致死傷罪 (業務上過失致死傷等) 第211条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。 1)業務上過失の過失と重過失 2)民事上の過失と刑事上の過失 ◆211条の医師への適用の排除 あるいは軽減 これを正当化できるか ★2008年11月20日(朝日新聞11月21日朝刊) 割りばし事故 二審も無罪  1審では過失あり 因果関係なし 2審はともになし  「刺さった異物が頭蓋内に達したという報告例が見あたらず」特異な例 問診義務なし 厚労省大綱案  ①重過失(プラス隠蔽事例と繰り返し事故)に限定  ②警察への通知の判断は医療者(医療事故調査委員会)による 二重の特別扱い  Cf. バスの運転手 過疎地域の唯一の交通手段 安全・命を預かる仕事 転落事故で2人死亡 3人重傷

医師の守秘義務―法への疑問の第一例 ハンチントン病の患者をめぐるディスカッション 医師と法律家の対話シリーズの第一回  医師と法律家の対話シリーズの第一回 刑法134条「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する」。 ◎医師からの法律論への疑問

ケース・スタディ生命倫理と法 (有斐閣・2004) ●最初のケース 45歳の女性がハンチントン病だとわかる。だが、患者は家族や親族にその事実を知らせてくれるなという。医師はどうすべきか。ハンチントン病は、家族にも50%の確率で発症するおそれのある遺伝病で、現在は不治。 3人のパネリスト  医師:東京大学 辻省次教授  社会学者・ハンチントン病家族会を支援 武藤香織氏  法律家:樋口範雄

医師から見た法的思考のイメージ 1 医療の現場を知らないで 2 議論が抽象的概念的 形式的で単純    形式的で単純    常に2者の対立軸(権利・義務、正邪、合法違法、善か悪か) 3 医師の多くにとって法とは刑事法    できれば関わり合いたくないもの 4 1つだけメリット 明確な法 法律ではこうだ

このケースで何が問題か 遺伝病 患者だけの問題ではない 医師は患者家族を総体として支える存在 遺伝病   患者だけの問題ではない  医師は患者家族を総体として支える存在 法律家は議論のためかもしれないが家族と患者を分断する議論に終始している  その結果、告げるか告げないかだけに関心 医療にとって(重要だがあえていえば)枝葉末節の問題

辻教授の指摘の重み 医療の法化が進む中で 本当にそれが社会にとってよいことか 法的な思考を再検討する必要がないか  本当にそれが社会にとってよいことか  法的な思考を再検討する必要がないか  先の事例で刑法を論ずる非常識  法律家が変わる必要はないか

法的議論・思考への不満が明らかに 法的な議論 刑法第134条に定める医師の守秘義務 →最近の奈良の精神鑑定医が逮捕された事例  →最近の奈良の精神鑑定医が逮捕された事例 ただし、条文には「正当な理由なく」とある   正当な理由とは何か  正当な理由がある場合→警告義務のあるケース  2つの義務 守秘義務か警告義務か

医師の守秘義務と刑事司法 In the Matter of a Grand Jury Investigation of Onondaga County, 59 N.Y.2d 130, 450 N.E.2d 678 (N.Y. 1983) 1982年6月16日、ある女性がナイフで殺傷され発見される。だが、現場の状況から見て犯人もナイフの傷を負っている可能性が強かった。そこで、地区検事は、大陪審手続きへの文書提出令状によって、病院に対し、1982年6月15日以降の、ナイフによる傷害を負った患者の治療に関する記録を提出するよう求め、病院は、医師患者関係の守秘義務に基づく守秘特権(証言拒否と文書提出の両方を拒む特権)で対抗した。 第1審裁判所 検察側勝訴 控訴審     病院側勝訴 州最高裁    5対0で病院側勝訴

 1983年ニュー・ヨーク州最高裁 ①守秘義務(特権)を認めた法律の趣旨目的に照らした解釈が重要であり、それは、患者が医師を信頼して適切な診療を受けることができるよう、患者からの完璧な情報提供を奨励するためであり、この政策目的を実現するため、広範で柔軟な解釈をする必要がある。 ②証言拒否や文書提出拒否の対象となる情報は、医師が専門的職務の遂行中に患者からえた情報であり、医療職として行為するに必要なものであるとされてきたので、専門的知識とは無関係で誰にでも明らかな事実は、その例外となる。 ③特権自体は患者のものだが、医師や病院が患者のためにそれを主張することが許される。だが、それは医師の裁量ではなく、患者が放棄しない限り特権を主張しなければならない。 ④犯罪捜査という公益のためだという主張に対しては、たとえ殺人が問題になった事件でも医師の守秘特権を支持したニュー・ヨーク州の先例が引用される。1つは、てんかん発作があり、それが運転中に起こる可能性のあることを意識しながら自動車を運転して実際に発作が起こり4人を死亡させた運転者が、治療にあたった医師にこれらの点を打ち明けた内容が証言拒否の対象となるとされた1956年の判例、もう1つは、1886年の判例で、堕胎罪に問われた女性を診察した医師が女性から聞いた事柄を証言することが禁じられている。 ⑤連邦法には、殺人事件の場合、医師患者関係に基づく守秘特権は認めないとする明確な規定があるが、ニュー・ヨーク州法にはそのような規定はない。逆に明確に守秘特権の例外が列挙されており、本件はその例外にあたらない。

2002年ニュー・ヨーク州最高裁 事案 1998年5月25日、マンハッタンで殺人事件が発生し、目撃者は犯人もまた血を流していたと証言した。そこで捜査当局は、25日と26日に救急病棟での治療を受けた記録を調べたいと考えた。1983年の先例を知っていたので、医師や看護師が診療の過程でえた情報は除くという趣旨を明示した文書提出令状を請求したが、請求先の23病院のうち4つを経営する医療法人が記録提出を拒んで訴訟になった。 結論 今回も州最高裁は、病院側の主張に軍配を上げた。  「患者は、救急治療を受けたということで、自らの医療記録や医師の医療上の判断の秘密を失うかもしれないというおそれを抱くべきではない。・・・(当裁判所が)逆の決定を下したならば、緊急時の救急治療を妨げ、患者の医師との間の秘密の関係を侵害し、患者の合理的なプライバシーの期待を損なうことになる」。

注目点 第1に、2001年のいわゆる9.11事件以降、テロリズムなど犯罪捜査を推進する動きばかり目立つ中で、このように医師や病院の守秘義務を強調する州最高裁判決が出ているところが驚きである。 第2に、ニュー・ヨークでも守秘義務が尊重される対象は、患者が医師を信頼して行う情報提供であり、病状や治療に関連した情報。逆に、先例で、ある特定の描写に合致したすべての患者の写真とか、ある特定の医師が担当する患者の氏名住所などは守秘義務の例外となる。日本であれば、それこそ個人情報であって、医療の内容とは無関係にそれだけで問題となるといわれそうである。 ただし、ニュー・ヨークのような取扱いが全米のどこでもそうかという点には留保がつく。医師の守秘義務と刑事司法の関係は、アメリカでは各州の制定法の定めによることになっており、州によっては、医師の守秘義務が適用になるのは民事の場合だけとするところもある。

HIPAAプライバシー・ルールと刑事司法 ○HIPAA Privacy Rule とは? 患者の許可がなくとも情報提供のできる場合 12類型の公益活動 「警察など法執行関連の開示」という項目。次のような場合、病院は捜査機関等に医療情報を開示することができる。 ①裁判所の命令その他司法手続の令状によって情報請求がなされた場合。 ②医療監視機関からの請求による場合。 ③警察を含めた法執行機関からの請求については、イ)匿名化した情報では役立たないこと、ロ)請求された情報が法執行の目的から見て適切な関連性があること、ハ)請求範囲が法執行の目的達成に必要最低限のものであること、を確認した場合。 ④法によって開示・情報提供が義務づけられている場合(たとえば、虐待事例や、致命傷を与えうる武器による傷害事例)。

警察への情報提供 ⑤逃亡者や容疑者について警察等から情報を求められた場合、限定された個人識別情報の範囲で情報提供することができる。それらは次のような情報である。   (1)住所氏名 (2)生年月日と生地 (3)社会保障番号   (4)血液型   (5)傷害の種類   (6)治療をした日時   (7)死亡日時   (8)身長、体重、性別、人種、髪の色、ひげや傷跡の有無などの特色を示す情報 ⑥生存している犯罪被害者の情報(ただし、原則は被害者の同意を得てであり、同意を得ることが困難なケースでは、当該情報が患者以外の誰から犯罪を犯したか否かを判定するに必要であり、患者に不利な形で利用されないことを確認し、提供が患者の利益になると判断した場合に限って提供できる)。 ⑦死亡した犯罪被害者の情報(この場合に限っては、捜査機関の請求を待たずに、病院の方からの積極的情報提供が許される) ⑧病院内で犯罪が行われたと疑われる場合(捜査機関の請求は不要)。 ⑨病院外で医師が犯罪事件に関連して救急治療を行った場合、それに関連する犯人や被害者の情報を捜査機関に通報することができる。

注目点 第1に、このリストのほとんどは、医療機関が患者の医療情報を提供してもよいとされるケースの列挙であり、情報提供義務があるわけではない。患者がたとえ犯罪者であっても、医療機関には守秘義務の課される場合があり、それを解除して、情報提供しても法的な責任を問われないと保証しているに過ぎない。 第2に、死亡した犯罪被害者の場合はともかく、生存者の場合、被害者はもちろんのこと、加害者についても限定された情報提供だけが認められている。 しかも第3に、この連邦の医療情報プライバシー・ルールでは、州法で情報保護をより手厚くする場合にはそれが優先すると明記されており、たとえば、ニュー・ヨーク州の2002年の判決がこれで覆されたわけではない。 要するに、医師や病院が、警察から医療情報の提供を求められても、守秘義務を理由に断ることが出来るし、また断らなければならないケースも少なくないのである。

個人情報保護法と警察の困惑 ○死因のわからない遺体が見つかって検視に行った。遺体近くに病院の診察券があり、病院に病歴などを尋ねたが「本人か家族の同意がないと教えられない」と断られた。 ○交通事故や傷害事件の当事者のけがの程度について「同意がないとだめ」と言われた。意識不明で回答できない状態でも同様の回答だった。 ○関係者のアリバイ捜査をしていて「この人物がこの期間に入院していたか」などを問い合わせても答えてもらえなかった。

厚労省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン」Q&A(事例集) Q5-24 警察や検察等捜査機関からの照会や事情聴取に関して、「第三者提供の制限の例外」に該当する場合には、どのようなものがあるでしょうか。 A5-24 警察や検察等の捜査機関の行う刑事訴訟法第197条第2項に基づく照会(同法第507条に基づく照会も同様)は、相手方に報告すべき義務を課すものと解されている上、警察や検察等の捜査機関の行う任意捜査も、これへの協力は任意であるものの、法令上の具体的な根拠に基づいて行われるものであり、いずれも第三者提供の制限の例外である個人情報保護法第23条第1項第1号の「法令に基づく場合」に該当すると解されています。 Q5-25 警察や検察等捜査機関から患者の状況について照会や事情聴取があった場合、患者本人の同意を得ずに回答できるのでしょうか。個人情報保護法の施行を機に警察等からの照会等に対する取扱いを変えた方がいいですか。 A5-25 警察や検察等捜査機関からの照会や事情聴取は、個人情報保護法第23条第1項第1号の「法令に基づく場合」に該当し、患者本人の同意を得ずに回答しても同法違反とはなりません。また、災害発生時等における照会については同法第23条第1項第4号に該当すると考えられることから、これらに関する取扱いを変更する必要はなく、従来どおりの対応が可能と考えます。  なお,上記照会や事情聴取により求められた患者の状況その他の医療情報を患者本人の同意なく提供することが民法上の不法行為を構成することは、通常は考えにくいと思われます。もっとも、求められた以外の情報を提供した場合には、損害賠償を請求されるおそれも否定できません。照会や事情聴取に応じ警察や検察等捜査機関に対し個人情報を提供する場合には、当該情報提供を求めた捜査官の役職、氏名を確認するとともに、その求めに応じ提供したことを後日説明できるようにしておくことが必要と思われます。

日本の騒ぎの顛末が示すこと 第1に、個人情報保護法が施行されて、医療機関が捜査協力を渋ったということ自体が問題である。本当は個人情報保護法以前の問題のはず。   実は実効性   個人情報保護法 > 刑法134条  医療倫理として患者の秘密を守るという姿勢はない。 第2に、医療機関が「過剰反応」した対象は住所氏名というような情報。ニュー・ヨーク州の先例では、ある特定の医師にかかっている患者の住所氏名を提供するのは、医師の守秘義務とは全く関係のないこと。 「法律があるから仕方がない」という姿勢。実は法の意義に対する「無感覚」あるいは無意味な条件反射。