日本文学作品选读 『浮雲』
二葉亭四迷と『浮雲』 二葉亭四迷(1864·明1~1909 ·明42年)は、日本近代文学の創始者であり、批判的リアリズム文学の先駆者でもある。1886(明19)年『小説総論』を発表して逍遥の『小説神髄』よりはるかに徹底したリアリズムの実質を示し、翌年、『浮雲』を発表して近代リアリズム文学の創始者となった。
『小説神髄』と『小説総論』: 逍遥の写実は「只傍観してありのままに模写する」という現象の再現にとどまりがちであった。 二葉亭の模写は現象を本質との関係においてとらえ、写実における個々の意味深い現象を選択·構成·描写して、深い本質の表現をめざすものであった。 『小説総論』は用語·概念の未定着からくる難解、簡略すぎて説明不足になったところもあるが、本格的な近代リアリズムの文学理論を提出した画期的な意義をもつ評論であって、『浮雲』の方法論的母胎となった。
『浮雲』のあらすじは次のようである。 主人公内海文三は静岡県士族の子で早く父を失い、老母を故郷に残して上京して、叔父園田孫兵衛のもとに身を寄せ、優秀な成績で学業を終え、ある役所の下級官吏となった。孫兵衛の娘お勢とは叔父夫婦も暗に認める恋仲だったが、人員整理のとき、失職する。すると、打算的な叔母のお政は掌を返すように文三につらくあたり、娘を文三の同僚で処世術にたけた本田昇に嫁がせようとする。本田は世才にたけ、今度の行政改革でも免職どころか、職階が一級上がる。新しい教育を受けてはいるが浅薄で西洋好みのお勢も、出入りする本田に興味を示す。
お勢は本田に復職のとりなしを頼むよう文三を勧めるが、本田を俗物ときらっている文三はそれをいさぎよしとせず、言い合いになる。そんなことから園田家が居辛くなるが、お勢への恋慕の気持ちから立ち去ることもできず、、本田がお勢に近づくのを不安と焦燥の念をもって眺めながらどうすることもできず、一人悶々とするところで小説は中絶する。1953年刊の手記によれば、本田はお勢を遊んで捨てて課長の妻の妹と結婚し、文三は失望と身辺の不幸に身を崩し発狂するというプランになっていた。
中心思想: 「あれは園田せい子といふ女が主人公でありました。このせい子のやうな極く無邪気な人は、相手の人次第でどうにでも動く、といふのが日本人の性質である。つまり自動的でなく、他動的であるといふのです。その他動的だから、いいものが導けばいいが、悪いものに誘はれると悪くなる。これが日本人で、このせい子が日本人を代表したものだとしたのが『浮雲』の思想であった。」 -------矢崎鎮四郎
すなわち武士の出身の篤実な孫兵衛(旧思想) 、同じタイプの文三(新思想) 、功利主義的なお政(旧思想) 、軽薄才子の昇(えせ新思想)の四者の対角線の交差点に、『浮雲』のように不安定な女学生お勢を置き、そのお勢の変貌を通して、表面的なものにひかれてうつろやすい日本人、特に文明開化の知識人の性格を象徴させ、同時に、欧化主義化の日本に象徴させて、日本の近代化への文明批判を意図した。しかし、絶対主義的官僚体制との対決などのようなものは描かれていない。
『浮雲』の新しさ: 1、作者は「日本文明の裏面」の観念上の新旧思想の対立、旧思想の根深さ、それによる悲劇などを追求している。 2、『浮雲』はそれぞれの人物の性格や心理を精細に分析して活写していることである。日本近代文学における心理小説の最初の作品である。「小説の筆が心理的方面に動き出しのは、日本ではあれが初めであろう。あの時代にあんなものを書いたのには驚かざるを得ない。」と森鴎外が驚嘆している。