通訳翻訳論4 日本の翻訳通訳史(3) 世界初の同時通訳 国連通訳の歴史 通訳翻訳論4 日本の翻訳通訳史(3) 世界初の同時通訳 国連通訳の歴史 獨協大学 国際教養学部言語文化学科 永田小絵
大正から昭和へ 明治時代から引き続き、外国文学の翻 訳が盛んに行われた。 昭和初期までにいわゆる「世界の名 作」と呼ばれる作品はほとんど翻訳さ れている。 外国の推理小説、探偵小説、児童文学 の翻訳により、翻訳文学が庶民に歓迎 される。 翻訳文学の影響を受け、推理小説や怪 奇小説を発表する作家が出てきた。
戦争と通訳者 戦争、紛争時には従軍通訳者が必要。 軍による強制的な徴用など、他律的に 通訳者として使われる例と、自律的に (自ら志願して)通訳者となる例。 渡辺潔(『アンクル・ジョンとよばれ た男』)と時実弘(『幻影の大連』) に描かれた通訳者の姿は「通訳」とい う業務範囲にとどまらない。 山崎豊子『二つの祖国』は、実在の人 物をモデルとして、二つの文化、二つ の祖国の狭間で苦悩するアメリカ日系 人の姿が描いている。
戦争と通訳者 『アンクル・ジョンとよばれた男』 リアム・ノーラン著、菅野和憲訳 広島で牧師として働いていた渡辺潔は、香港捕虜収容所の通訳として召集された。そこで彼が目にしたのは、人間としての尊厳を剥ぎ取られ、劣悪な環境の中で十分な治療を受けられずに死を待つ捕虜たちの姿だった…。祖国と敵国との間で苦悶しながらも、潔は仲間の協力を得て、捕虜たちに医療品を届ける決意をする。それはクリスチャンとして聖書のことばに従い、自分のできる小さなことから平和をつくりだそうとする決意でもあった。
戦争と通訳者 時実弘著『幻影の大連』 関東局中国語通訳生の記録 戦争と通訳者 時実弘著『幻影の大連』 関東局中国語通訳生の記録 著者は昭和16年から敗戦の引き上げ時期まで中国の大連で関東局中国語通訳生(警察通訳)を務めた。この記録によると、大連には中国語・ロシア語の通訳生が駐在していた。著者は主に現地中国人からの情報収集、中国八路軍との交渉、大連在住日本人の保護などの仕事をしていたことがわかる。
戦争と通訳者 山崎豊子『二つの祖国』 ロスアンゼルスに生まれた天羽賢治は、大学を日本で過ごした後、ロスアンゼルスの加州新報で日米両国の文化を理解した新聞記者として手腕を発揮する。新聞記者として脂が乗ってきた最中に日米開戦となる。日系人であるが故に家族全員がマンザナール強制収容所に入れられ、大きな屈辱を味わう。 日本人として生きるべきか、それともアメリカ人としてアメリカに忠誠を尽くすべきか悩んだ末、語学兵に志願し太平洋戦線へ向かう。日本が敗戦した後、賢治は進駐米軍の言語モニターとして極東軍事裁判に臨む。モニターという責任の重圧と家庭不和が重なり、心も体も衰弱し、判決後に拳銃自殺を遂げる。 モデルとなった実在の人物:伊丹明、ハリー・K・フクハラ。
近現代における通訳の歴史 日本生産性本部の視察団派遣 世界の同時通訳の歴史 日本の同時通訳-アポロ宇宙船の月面 着陸
近現代の通訳の歴史 日本では第二次世界大戦後に通訳の需要が飛躍的に伸 びた 極東国際軍事裁判(東京裁判) 山崎豊子の『二つの祖国』:米軍将校となった日系人が極東軍事裁判で同時通訳のモニターを担当 進駐軍との折衝 アメリカ進駐軍のために通訳を行う人材が集められた アメリカ大使館勤務にあった西山千氏も 日本生産性本部の代表団派遣随行同時通訳者 村松増美 『私も英語が話せなかった』
東京裁判の通訳 東京裁判では通訳者が通訳訓練を受け た専門家ではなく、また、被告と同じ 国籍の日本人、しかも外務省職員が多 くいたこと、さらに通訳の正確さを確 認する日系米人のモニター、及び、 翻・通訳に関する異議の裁定を行う米 軍人の言語裁定官がいた、という特徴 がある。本研究の目的はまずこの三層 構造の通訳手続きが採用された。
映画「明日への遺言」
映画「明日への遺言」 第二次世界大戦のB級戦犯として、そ の責任を裁判で問われた男・岡田資 (たすく)中将の、心打つ人間性に焦点 をあてた『明日への遺言』(2008年3月 1日(土)公開)。 裁判は、同時通訳を耳で聞きながら進 行される。イヤホン内の通訳の声は、 観客には一切聴こえないのだが、本当 に2名の同時通訳者により行われた。
戦後の復興 日本生産性本部の視察団派遣 1957年、日本はアメリカの産業界視察のために 大型代表団を派遣 日本国内で日英通訳を行なう人材を募集 通訳者はアメリカの国務省で通訳訓練を受けた 当時、日英両国語間では語順が違いすぎるため 同時通訳は無理だとの主張 1951年ごろ、西山千氏が進駐軍でウィスパリング形式 の同時通訳をしていた 生産性本部で通訳を行なった通訳者が帰国後に 日本で初の通訳者養成学校を設立
アポロ宇宙飛行の通訳 NHKで7号から17号まで四年間にわたっ て放送 米国で育った西山千氏が担当 最初は同時通訳は出演者だけに聞こえて いた その後、同時通訳者の声をそのまま放送 アポロ8号から通訳者が画面に出るように 視聴者から同時通訳をしている機械翻訳装置はどんなものかという問い合わせがあったため このアポロの同時通訳によって日本国中 に通訳者の存在が知られることになった
西山千 『同時通訳おもしろ話』 講談社 2004年 有名人のうっかり英語 アームストロングの小さな一歩 井深さんのゆで卵 ライシャワー大使の歴史授業 佐藤栄作総理の「善処」 コンラッドの「どっこいしょ」 女王陛下も間違う 2つの祖国 命がけのリスニング 西山名人の日本語勉強法
鳥飼玖美子『歴史を変えた誤訳』新潮文庫 2004年 鳥飼玖美子『歴史を変えた誤訳』新潮文庫 2004年 原爆投下は、たった 一語の誤訳が原因だった ―。突き付けられたポツ ダム宣言に対し、熟慮の 末に鈴木貫太郎首相が会 見で発した「黙殺」とい う言葉。この日本語は、 はたして何と英訳された のか。ignore(無視する)、 それともreject(拒否する) だったのか?佐藤・ニク ソン会談での「善処しま す」や、中曽根「不沈空 母」発言など。世界の歴 史をかえてしまった誤訳 の真相に迫る。
世界の同時通訳の歴史 同時通訳の始まり 1926年、IBMが同時通訳装置を開発 1927年、ジュネーブの国連会議で初めての同時通訳 1928年から、旧ソ連においてコミンテルン(共産党 国際組織)で利用 1935年、当時のレニングラードで開催した国際生理 学会でパブロフの演説が英仏伊独語に同時通訳 1945年、ニュールンベルグ裁判、極東国際軍事裁判 現在国連では公用語である英語、フランス語、スペ イン語、中国語、ロシア語、アラビア語の同時通訳
国連通訳 AIIC制作の映像教材を見ながら 国連通訳について理解を深めましょう。 AIIC:国際会議通訳者協会。 Association internationale des interprètes de conférence
通訳者の活躍(現代) 通訳をとりまく現代の状況に関しては、 各分野の通訳業務と資質及び学習法な どについて概観していきます。 会議通訳 司法通訳 通訳案内士 コミュニティー通訳 医療通訳 手話通訳 ……など。