日本のバブルと米国の サブプライムバブルとの比較 08BC007A 新井 廉
日本のバブル バブル発生の背景はプラザ合意(1985) プラザ合意とは・・・ ドル高・高金利政策を行っていた米国の政策を ドル安・低金利政策へ変換するために、各国で 協調することを取り決めた 日本は円高・低金利となり円高不況となった。
金余りと株価バブル 80年代以降株式市場が発展し、エクイティファ イナンスが容易になり、株価も上昇した。 エクイティファイナンスの容易化と円高不況に よる本業の不調から、企業に資金余剰ができた。 利益獲得のために財テク投資が過熱した。 銀行も大企業への本業向けの貸出が減少し、 企業財テク投資向けの貸出増加へ転換した。
地価の上昇と不動産バブル 日本には土地神話が存在していた。 ⇒企業は含み益経営のために土地を取得し、 金融機関は好んで土地を担保とした。 80年代初頭、国内外企業による都市部のオフィ ス需要が増加し、実需による地価が上昇 政府の都市・地域開発によって東京から大都市 圏、地方へと地価の高騰が広がった。 銀行・企業の金余りが不動産投機を過熱させた。
日銀・政府の金融政策 公定歩合 プラザ合意による急激な円高から2.5%まで引き 下げ超低金利政策をとった。 しかし、株価、地価のピークを迎える頃、物価 上昇懸念から公定歩合を6.0%まで引き上げた。 総量規制 大蔵省が金融機関に不動産業貸し付けの抑制 をし、不動産市場への資金供給を減少した。
バブルの崩壊、金融危機の発生 日銀・政府の金融政策によって、株価は90年年 初から、地価は92年から暴落していった。 株価や地価が下落し始めたら、企業倒産が多発 し、金融機関の経営悪化が深刻化してくると金 融機関の破綻が余儀なくされた。 95年から金融機関の破綻が相次ぎ、97年には三 洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券などの破綻 が起こった。
米国のサブプライムバブルの背景 ITバブル後の米国経済の低迷から、土地購入に おける優遇処置等の資産インフレ政策によって 住宅需要が拡大した。 資産インフレ政策とは、資産価格を上昇させて 資産効果を期待する政策 資産効果とは、保有する土地・株式などの資産 価値が上昇し、消費行動に与える効果
地価の上昇 1.ITバブル後の米国経済を立て直すため、FF金 利が1%であったため、住宅ローン金利も低金 利となり住宅需要が拡大した。 2.政府によるマイノリティの持ち家促進政策と して、住宅購入の優遇処置がとられた。 3.証券化によってリスク分散が可能なため、サ ブプライム層へ貸出が拡大した。
バブル崩壊の原因 06年、住宅需要が飽和状態となり住宅価格が上 昇を止めた。住宅価格上昇を前提としていた借 換えができなくなり、リッセトを回避できなく なった。 サブプライム層の延滞率はたちまち増加し、デ フォルト件数も増加した。 住宅ローン返済をあてにしていた証券化商品の 価値は急落し、金融機関は大きな損失を被った 。
日米のバブルの比較 類似点 バブルの背景としても、日米とも長い間金融緩 和が行われていた。 バブル発生時、金融引締めを行う時期が遅く、 バブルの被害を抑えることができなかった。
相違点 1.企業と家計の役割 日本:企業が借入れによる資金調達などの過剰 債務を負い、不動産投機を行っていた。 米国:消費者が住宅ローンを負い、借換えやホ ームエクィティローンなどで過剰債務を 負いながら住宅購入や消費活動を行って いた。
相違点 2. 物価上昇率 日本:91年に3. 3%だった物価上昇率が95年に はマイナス0 相違点 2.物価上昇率 日本:91年に3.3%だった物価上昇率が95年に はマイナス0.1%まで減少した。 バブル崩壊後に物価上昇率が下落し、デフレ スパイラルが日本経済を長期低迷させた。 米国:08年のガソリン価格高騰が物価上昇率 を押し上げ、スタグフレーションの恐 れがある。
金融機関の保有する投資目的資産に 対して負荷をかけるべきではないか 論点 金融機関の保有する投資目的資産に 対して負荷をかけるべきではないか
感想 パワポにアニメーションをつけられず、少し 後悔は残りました。それでも、自分のテーマを 納得のいくまで調べられたし、論点もしっかり とまとめられたと思います。問題点は多々残り ますが発表を重ねるごとに多くのことを学んで いる実感があるので、これからも今まで以上に 頑張っていきたいです。