Chapter5(Extra) Human Resource
ハーズバーグの2要因理論 マズローやアルダーファーの理論は人間の要求を解き明かすのに広く引用されているが、ハーズバーグの2要因理論は職場に限定した理論として広く影響を与えている。 人が満足を感じるのは、仕事そのものに対してであり、仕事を取り巻く要因には、満足を高めるような効果は期待しにくいと考えた。そこで、前者を動機付け要因と呼び、後者を衛生要因と呼んだ。 つまり、人のやる気を引き出そうと思えば、仕事そのものにやりがいや責任を待たせることが必要で、環境を快適にするとか、人間関係を良好にするといったことは、大切ではあるが、それ自体がやる気を引き出すことにはつながらない。
デシの内発的動機付け理論 デシの研究はハーズバーグの理論と同じように仕事そのものに人は満足を見出すということをベースに、大学の学生を対象に実験を実施した。 この実験により、人は本人の内発的要因により動機づけられている時、金銭的報酬を与えることは、内発的動機を損ねやる気を失わせてしまうことがあると主張した。つまり、金銭的報酬が内発的動機によってすり替わってしまい、金銭的報酬が減少したり無くなってしまうと、やる気も減じられてしまうと考えた。
フロー体験 モティベーション研究で,フロー体験が最近よく紹介されている。内容理論の中の内発的動機づけ理論に近い考えであるが,他の理論ほど頻繁に取り上げられてきたわけではないので,ここではKEYWORDの1つとして,詳細に見ていくこととしたい。 フロー体験について,チクセントミハイは,『フロー体験-喜びの現象学』の中で,次のような例を引いて説明している。複雑で意欲をそそられる訴訟に関わっている若手弁護士の話である。 「彼女は数時間図書館にこもり,年上のパートナーのために資料を分析し,訴訟についての可能な道筋の輪郭を措く。極度に注意を集中させるので,昼食をとることも忘れ,空腹に気づく時には外はもう暗くなっているなどということもよくある」。 つまり,やっていることに注意を集中し,我を忘れるほど打ち込んでいるような状態のことを意味している。それほど集中しているのだから,当然やっている最中は楽しんでいる。モティベーション研究において,最近このような現象が注目されている。 では,「フロー」とは何を意味しているのだろうか。チクセントミハイによれば,面接をした人の多くが,自分の最高の状態のときの感じを「流れている(floating)ような感じ」「流れ(flow)に運ばれた」と表現したことによっているとのことである。
フロー体験 チクセントミハイによれば,フロー体験には次のような要素がある。①能力を必要とする挑戦的活動,②行為と意識の融合,③明確な目標とフィードバック,④いましていることへの注意集中,⑤統制の逆説,⑥自意識の喪失,⑦時間の変換。①,③,④は比較的理解しやすいが,②,⑤,⑥,⑦は少しわかりにくいかもしれない。 行為と意識の融合とは,行為にあまりにも深く没入しているので,その行為から切り離された自分を意識することがなくなるような状態である。 統制の逆説とは,状況や環境,あるいは世界を自分が統制しているような感覚のことを意味している。 自意識の喪失とは,自分という意識がなくなってしまうような状況である。我を忘れるという表現があてはまる。 時間の変換とは,「時間が普通とは異なる速さで進む」ような状況である。何かに熱中していて,気がつけば思いもしないほど時間が経過していたといった状況はこれにあてはまる。
フロー体験 フロー体験によって人は成長していくとされる。それを図示したのが図である。
仕事の逆説 「仕事中,人々は能力を発揮し,何ものかに挑戦している。したがってより多くの幸福・力・創造性・満足を感じる。自由時間には一般に取り立ててすることがなく,能力は発揮されておらず,したがって寂しさ・弱さ・倦怠・不満を感じることが多い。それにもかかわらず彼らは仕事を減らし,余暇を増やしたがる」 これをチクセントミハイは,仕事の逆説としてとらえている。 では,私たちはどうして仕事に対して否定的なのだろうか。チクセントミハイは以下のような理由をあげている。それは,仕事に関して,自分の感覚が得た証拠を重視しないということである。つまり,直接的経験の質を無視しているということである。いい仕事をして,充実感を得るような体験をしても,それがストレートに仕事は楽しいものだという意識へは結びつかないのである。そのかわりに,仕事とはこのようなものであるはずだという思いにとりつかれている。仕事を義務,束縛,自由の侵害と考え,したがってできるだけ避けるべきものだと考えているというのである。 チクセントミハイの研究は,私たちに,「自分の仕事をもう一度よく見つめなおしてみませんか?」と問いかけているように思える。「いくら仕事だからといって,楽しい部分については,素直に楽しいと考えてはどうですか?」と。