第一部 つながりはコミュニケーションの土台 あなたにとって一番大切なつながり
ある眼科医院で 目の具合が悪くなって眼科に行った。医者は、あなたの話をしばらく聞くと、おもむろに自分の眼鏡を外し、それをあなたに手渡して言う。 「これをかけてごらんなさい。私はこの眼鏡をかけて、もう十年になりますが、本当にいい眼鏡です。家に同じものがもうひとつあるから、これはあなたに差し上げましょう」 そう言われて、あなたはその眼鏡をかけてみるが、目の調子は一向によくならない。 「これはひどい。何も見えません」 「どうして?私はそれでよく見えるんだから、もっと頑張ってごらん」 「頑張ってますよ。でも何もかもぼやけて見えます」 「困った人だ。もっと前向きに頑張りなさい」 「とにかく、何も見えません」 「何を言ってるんだ。こんなにあなたのことを助けようとしているのに」 (スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣 キングベアー出版 より)
場面は変わって,ある家庭で 「ねえ、どうしたの。言いにくいんだろうけど、お母さんはね、あなたのこと、分かってあげたいだけなの。本当よ」 「どうかな。母さんは、きっと馬鹿みたいな話だって言うに決まってるさ」 「そんなことはないから、言ってごらんなさい。お母さんほどあなたのことを大切に思っている人はいないんだから。本当にあなたのことを心配しているのよ。なぜ、そんなに落ち込んでいるの」 「別に」 「いいから、言ってごらんなさい」 (スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣 キングベアー出版 より)
「何ですって?!」そこで母親は急に声を荒らげ、 「本当のこと言うと、学校がいやなんだ」 「何ですって?!」そこで母親は急に声を荒らげ、 「学校がいやってどういうことなの。あなたの教育のためにどれだけ犠牲を払ってるか分かってるの。教育はあなたの将来の基礎なのよ。お姉ちゃんのように勉強していれば、成績も上がるし、学校だって好きになるわ。何回言えば分かるの。やればできるのに、ちゃんと勉強していないだけなのよ。もっと頑張らないと。一所懸命やらないとだめよ」 しばらくして,また母親が口を開く. 「で,どうしたの?」 (スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣 キングベアー出版 より)
おとな教育委員会 (こども教育委員会 AC公共広告機構 2007年度全国キャンペーン)
子供に教えてもらう=おとな教委 (こども教育委員会 AC公共広告機構 2007年度全国キャンペーン)
あなたのため?って本当ですか? 実は自分の価値観を押し付けていませんか? 自分はこんなにあなたのためを思っているのに・・・ 眼科医の眼鏡→患者無視 おかあさんの「教育」→子供無視 自分はこんなにあなたのためを思っているのに・・・ 自分の価値観を受け入れない相手に対する攻撃 思うように相手をコントロールできないストレス→自己攻撃 相手はあなたをどう思っているでしょうか? こういう関係は他にもあるのではありませんか? 例えば,「全ては患者様のために」というスローガン
相互非難ゲーム (相手はわかってくれない) からの脱却のために 相手に責任があるのではなく,自分に問題があることに気づく 自分を理解してもらうよりも 自分の考えをわかってもらう(=実は自分の価値判断を押し付ける)よりも まずは相手を理解する
相互非難の関係を脱出するために まずは自分の家庭から 「あなたのため」の罠を意識する 自分の価値観の押し付けを徹底して排除する まずは相手を理解する必要性を認める 相手を理解するためには 愛する(慈しむ・好奇心を持つ) ひたすら相手の話を聴く すると相手も自分を認めてくれる お互いから学び,向上する関係ができる
なぜ,自分の家庭なのか? 仕事場では前からたくさん弾が飛んでくる この上に後ろからも弾が飛んできては体中穴だらけ だから後方にある味方の陣地(家庭)から決して弾が飛んでこないようにする→さらに後方支援基地にする 特別なコミュニケーション訓練の場は必要ない その時,その場で得られて継続する成果 配偶者,子供とのタフな交渉ができれば,医療面接なんて朝飯前 例えば,嫁姑の争いは,確実に自分めがけて飛んでくる.回避行動を取らなければ命中率100%である
第二部 現場でのつながり
先程の絵を巡る夫婦喧嘩 夫 「どうだい,ちょっと値が張ったんだけど,なかなか素敵な絵だろう.飾るのは客間がいいと思うんだが」 夫 「どうだい,ちょっと値が張ったんだけど,なかなか素敵な絵だろう.飾るのは客間がいいと思うんだが」 妻 「あなた,なんでまた,こんな気味の悪い絵を買ってきたの」 夫 「この女の子のどこが気味が悪いのさ.後ろ向きで顔が見えないからのっぺら坊だろうって?全く君ってのはへそ曲がりな見方しかできないんだね.絵に嫉妬してるの?」 妻 「あなたこそ,頭がどうかしちゃったんじゃない.こんな気味の悪いお婆さんを女の子だなんて」 夫 「へそ曲がりという評価は訂正しよう.滅茶苦茶だ.可愛い少女をお婆さんだなんて,頭がどうかしたのは君の方だ」 妻 「高いお金を出して気味悪い絵を買ってきただけでも充分なのに,その上にとんでもない嫌がらせをする人なんかと,もうこれ以上一緒にいられないわ」
共通した問題意識 同じ物の見方が違うだけ 医療者側から Monster Patient 裁判・医陪責 コンビニ受診 患者側から ドクハラ 医療過誤 たらい回し 絵の見方を変えると若い女性の後姿にも,老婆の横顔にも見える.どちらの見方が正しいか論争するのは無意味.不毛.無駄.お互いにそういう見方があると認めると,この絵に対する人々の行動の落しどころが見えてくる.例えば,どこに飾るとか,誰への贈り物にするとか,いくら値段をつけるとか.
医療崩壊:不毛な犯人探し ドクハラする医者が悪い コンビニ受診する患者が悪い マスコミが悪い 厚労省が悪い 警察・検察が悪い 裁判所が悪い あなたも昔,いや,今でも,この非難合戦大会にに参加していませんか?その非難合戦を繰り返しながら,世の中が悪くなるばかりだと言っていませんか? つまり,非難合戦は世直しの役に立っていないことを自ら認めていることになります.非難合戦への参加は止めた方が得だと思いませんか.世直し聖人,水戸黄門ごっこは,やりたい人に任せておいて,自分の足元を見つめましょう.自分の診療,自分の家庭のマネジメントを考えましょう.面白くやれるように工夫しましょう. どうして非難合戦に参加したがるのか?自分が何かにかかわっている,自分の存在意義が安易に見つけやすいからだろう.同時に,自分の死を考えないで済むからだ.自分の死を意識すれば,時間が限られていると思うから,仕事の優先順位をつける.すると普通の人間は,自分の足元が大切になるから,天下国家を論じるような作業は優先順位がはるかに低くなる. 何十年も非難合戦を繰り返して,良くなったことがありますか?
撃ち方止めてなんか悪いことあります? 第一次世界大戦の初めのころ、フランスとベルギーにまたがる800キロの西部戦線の前線でドイツ軍対フランス軍・イギリス軍の激しい戦闘がつづいていた。そして、まもなく戦線は膠着状態に陥った。ところが、膠着状態が長びくにつれ、不思議なことに、両陣営が無人地帯を挟んで同時刻に食事をとるようになった。しかも、その食事時間中は、たがいに攻撃をやめていたのである。たとえば、イギリス軍の陣営では、補給部隊が食料をはこんでくると、兵士たちは歓声をあげながら食事をとるようになった。その間、ドイツ軍からの攻撃はもちろんない。どうやらドイツ軍側も同様に、無警戒に食事をとっていたらしい。 敵同士であるにもかかわらず、打ちとけあいはさらにすすんだ。その年のクリスマスのころには、こともあろうに、敵同士が親しくなってしまっていた。もちろん軍規に反して、だ。何かの合図で、いきなり「停戦」に入ることもあったという。由々しき事態に、司令部は数名の兵士を軍法会議にかけた。なかには歩兵大隊全体が罰せられることまであったという。司令部は、兵士たちによる勝手な停戦がおこなわれないよう、取り締まりをきびしくした。 ところが、悪天候がつづいたとき、これまでとはちがった方法で「停戦」が成立することになった。「ひどい雨のときには、大規模な攻撃行動をとることは不可能なのだから、そんなときにはたがいに撃ちあいはやめましょう」という、暗黙の了解ができたのだ。 (高橋伸夫 できる社員はやり過ごす 日経ビジネス文庫 P138-9) 最悪のlose/loseの関係である戦争でさえ,こういう,自主停戦が起こる.ましてや,医療現場での闘争おや
山のあなたに住むという 「健康」という名の青い鳥 病者と健常者 そのつながりを断つもの 山のあなたに住むという 「健康」という名の青い鳥
この攻撃にどう対処するか? 反撃ではなく,「武装解除」を 「先生はいいですね, 若くて健康で」 この攻撃にどう対処するか? 反撃ではなく,「武装解除」を
「健康」というメッセージの危険性 医療者が攻撃される可能性 病気は悪 病者は駄目な奴 私は健康で幸せです だからあなたも健康になりましょう あなたを健康にすることをお約束します
病者から医療者への攻撃 あなたは若くて健康でいいですね 病気になった人間は駄目なのですか? 私を元の体に戻して下さい それがあなたの仕事でしょう その約束が果たせなければ 私はあなたを認めません
医療者は病者からの攻撃に弱い 「病者は駄目な奴」というメッセージを発信 医療者は健康であるべきだ その結果,患者様から攻撃される 病気を治す 病者を健常者に戻す 心も体も健康に 医療者は健康であるべきだ 病者との共感が生まれない 「患者様」と呼んで差別 その結果,患者様から攻撃される
「武装解除」の基本コンセプト 病 病 健 健 従来型解釈モデル より“現実的” 病気と折り合いをつける 病気の完全否定 排他的ではない。相手(患者、他の医療人)、状況によって使い分けているし、また、個人のキャリアでも変わる 健 健 病気と折り合いをつける 病気の完全否定
対応の基本 「つながり」による「武装解除」 自分は悩める医療者。神でも魔法使いでもない 自分も病者と共通点がある 自分も病んでいる:心・体 自分も年を取った 自分も死に行く者である. 差別と対立構造を解消し,共感を生み出す
北斗の拳でなくたって 僕らはみんな死んでいる ただし毎日少しずつ そう言ってるのは僕だけじゃない 寺山修司だってそう言ってる 死亡率,あなたも私も100% 北斗の拳でなくたって 僕らはみんな死んでいる ただし毎日少しずつ そう言ってるのは僕だけじゃない 寺山修司だってそう言ってる 1983-88 週刊少年ジャンプ連載 84-88年 フジテレビでアニメ化
不完全な死体 昭和十年十二月十日に ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかゝって 完全な死体となるのである (「懐かしのわが家」 寺山修司1935-83) “死体”を忌み嫌う病気(癌,痴呆)に置き換えてみましょう
彼岸と現世 日本伝統のつながり 盆の迎え火・送り火 恐山のイタコの口寄せ 黄泉の国との交流 今後の検討課題 死の概念・定義の歴史的変遷 霊魂の概念の歴史的変遷
生死はデジタルで分けられる? 死 死 生 生 従来型解釈モデル より“現実的” 毎日少しずつ死んでいく 死亡確認の瞬間に100→0 排他的ではない。相手(患者、他の医療人)、状況によって使い分けているし、また、個人のキャリアでも変わる 生 生 毎日少しずつ死んでいく 死亡確認の瞬間に100→0
毎日少しずつ死んでいくことの利点 ー病者,死者とのつながりー 病者,死者も仲間と捉える 共感,仲間意識の維持と発展 相対的に生の意義を考える 死をいたずらに恐れない 死に備えることの楽しみ 積み立て貯金→教育!
自分の死に備える面白さ 絶対に無駄にならない ←死は必ず訪れる 遺された人への最高の贈り物 →人を幸せにできる 最高の謀略家としての自分 →死諸葛嚇走活仲達
お払い箱を目指して 毎日少しずつ死んでいく 大切な自分自身が失われる時に備える 自分の死に備えてバックアップを作成する 教育(=自分の学習)を継続して行なう 教育の結果若い人が育つ 若い人が育てば自分がお払い箱になる
第三部 “つながり”がわかれば、対立が消える 第三部 “つながり”がわかれば、対立が消える Lose/loseからwin/winへ
西部戦線異状あり 第一次世界大戦の初めのころ、フランスとベルギーにまたがる800キロの西部戦線の前線でドイツ軍対フランス軍・イギリス軍の激しい戦闘がつづいていた。そして、まもなく戦線は膠着状態に陥った。ところが、膠着状態が長びくにつれ、不思議なことに、両陣営が無人地帯を挟んで同時刻に食事をとるようになった。しかも、その食事時間中は、たがいに攻撃をやめていたのである。たとえば、イギリス軍の陣営では、補給部隊が食料をはこんでくると、兵士たちは歓声をあげながら食事をとるようになった。その間、ドイツ軍からの攻撃はもちろんない。どうやらドイツ軍側も同様に、無警戒に食事をとっていたらしい。 敵同士であるにもかかわらず、打ちとけあいはさらにすすんだ。その年のクリスマスのころには、こともあろうに、敵同士が親しくなってしまっていた。もちろん軍規に反して、だ。何かの合図で、いきなり「停戦」に入ることもあったという。由々しき事態に、司令部は数名の兵士を軍法会議にかけた。なかには歩兵大隊全体が罰せられることまであったという。司令部は、兵士たちによる勝手な停戦がおこなわれないよう、取り締まりをきびしくした。 ところが、悪天候がつづいたとき、これまでとはちがった方法で「停戦」が成立することになった。「ひどい雨のときには、大規模な攻撃行動をとることは不可能なのだから、そんなときにはたがいに撃ちあいはやめましょう」という、暗黙の了解ができたのだ。 (高橋伸夫 できる社員はやり過ごす 日経ビジネス文庫 P138-9) 最悪のlose/loseの関係である戦争でさえ,こういう,自主停戦が起こる.ましてや,医療現場での闘争おや
今,我々の身に起こっていること 最新医学であなたも幸せになりましょう でも不幸になる例もたくさんあります 看板に偽りあり,どうしてくれる そんなこと言われたって,医療の結果は不確実ですから “最新医学で幸せに”って言ったのは誰だ! 私じゃありません.経営者です 診療した責任も取らない気か!訴えてやる モンスター患者だ.逃げるが勝ち!
宣伝が過大な期待を誘発 →結果が保証されると誤解→病者や死者はゾンビ→対ゾンビ武装強化 最新医学は素晴らしい 私は最新医学を身に付けています ウチには素晴らしい機械があります ウチでは最新の検査をしています 私は専門医です 全ては患者様のために 相手を武装させてしまっている.こちらを砲撃するための砲弾をわざわざ用意してしまっている
全ては患者様のために=慇懃無礼 私はあなたの僕(しもべ)です 私は全ての点で自分の意志に反してあなたに従属しなければならない惨めな人間です あなたは私に全面的に依存しています あなたは一人では何もできない幼稚園児です だから私はあなたのことを馬鹿にしています 馬鹿にされれば誰でも怒る かくして生まれるモンスター患者
伝統的な誤解 医療者 患者 つながりを利用した本来の戦略 医療者 患者 病気 問題
診療の原点としての問診・診察 患者に助けてもらう,教えてもらう存在 道徳ではなく,基本的診療戦略 問診・診察そのものが教えてもらう行為 問診:何が困っているのかを教えてもらう 診察:どうして困っているのかを教えてもらう 非言語性メッセージを引き出す 治療が始まった後も,モニタリング・評価のために問診,診察を継続し,繰り返す 問診・診察は,相互学習の過程
医療とは: 病という「資源」を生かした 相互教育・学習 患者側 医師を教え・育てるという覚悟・辛抱 医師とともに育つという喜び 医師側 患者から学び・育つという覚悟・辛抱 患者とともに育つという喜び
医療崩壊:不毛な犯人探し ドクハラする医者が悪い コンビニ受診する患者が悪い マスコミが悪い 厚労省が悪い 警察・検察が悪い 裁判所が悪い あなたも昔,いや,今でも,この非難合戦大会にに参加していませんか?その非難合戦を繰り返しながら,世の中が悪くなるばかりだと言っていませんか? つまり,非難合戦は世直しの役に立っていないことを自ら認めていることになります.非難合戦への参加は止めた方が得だと思いませんか.世直し聖人,水戸黄門ごっこは,やりたい人に任せておいて,自分の足元を見つめましょう.自分の診療,自分の家庭のマネジメントを考えましょう.面白くやれるように工夫しましょう. どうして非難合戦に参加したがるのか?自分が何かにかかわっている,自分の存在意義が安易に見つけやすいからだろう.同時に,自分の死を考えないで済むからだ.自分の死を意識すれば,時間が限られていると思うから,仕事の優先順位をつける.すると普通の人間は,自分の足元が大切になるから,天下国家を論じるような作業は優先順位がはるかに低くなる. 何十年も非難合戦を繰り返して,良くなったことがありますか?
対立構造を解く 医療者 市民 マスコミ 行政
ところで・・・ 厚労省の働きは 十分である 不十分である どちらだと思いますか?
厚労省の働きは不十分である (けしからん) もっと働いてもらいたい ↓ 期待している 存在価値を認めている 厚労省様お願いします。頼りにしてます。
非難の背後に相互依存あり =潜在的な共存共栄関係 あなたは厚労省を頼りにしている あなたは厚労省にいい仕事をしていもらいたいと思っている いい仕事をしてもらうためには気持ちよく働いてもらう必要がある 厚労省の人に気持ちよく働いてもらいたいと思っている
究極の相互非難が共存関係に 第一次世界大戦の初めのころ、フランスとベルギーにまたがる800キロの西部戦線の前線でドイツ軍対フランス軍・イギリス軍の激しい戦闘がつづいていた。そして、まもなく戦線は膠着状態に陥った。ところが、膠着状態が長びくにつれ、不思議なことに、両陣営が無人地帯を挟んで同時刻に食事をとるようになった。しかも、その食事時間中は、たがいに攻撃をやめていたのである。たとえば、イギリス軍の陣営では、補給部隊が食料をはこんでくると、兵士たちは歓声をあげながら食事をとるようになった。その間、ドイツ軍からの攻撃はもちろんない。どうやらドイツ軍側も同様に、無警戒に食事をとっていたらしい。 敵同士であるにもかかわらず、打ちとけあいはさらにすすんだ。その年のクリスマスのころには、こともあろうに、敵同士が親しくなってしまっていた。もちろん軍規に反して、だ。何かの合図で、いきなり「停戦」に入ることもあったという。由々しき事態に、司令部は数名の兵士を軍法会議にかけた。なかには歩兵大隊全体が罰せられることまであったという。司令部は、兵士たちによる勝手な停戦がおこなわれないよう、取り締まりをきびしくした。 ところが、悪天候がつづいたとき、これまでとはちがった方法で「停戦」が成立することになった。「ひどい雨のときには、大規模な攻撃行動をとることは不可能なのだから、そんなときにはたがいに撃ちあいはやめましょう」という、暗黙の了解ができたのだ。 (高橋伸夫 できる社員はやり過ごす 日経ビジネス文庫 P138-9) 最悪のlose/loseの関係である戦争でさえ,こういう,自主停戦が起こる.ましてや,医療現場での闘争おや
シナリオ1:よくある状況 先生頭が痛いんです (問診・診察後)診察した限りでは何もありません でも,先生、くも膜下出血が心配なんです。検査して下さい では念のためにCTを撮りましょう 先生,CTよりもMRIをお願いします MRIは予約検査ですから,今日はできません でも,先生, CTではくも膜下出血を見落とすことがあるから,MRIの方がいいって,昨日「ためしてガッテン」で言ってたので,是非MRIをお願いします
本音シナリオ:人間不信 患者様:先生頭が痛いんです 先生様:診察した限りでは何もありません 患者様:でもあんたの診察だけじゃ心配だ。MRIを撮ってくれ 先生様:おい、俺を信用しねえってのか。 患者様:テレビで,お前よりずっと偉い先生がMRIがいいって言ってたんだ.それに金はこっちが払うんだ、ぶつくさ言わずにさっさと伝票書けよ。 先生様:こんなに苦労して診察してやっている俺様の言うことよりテレビの言うことを信用する奴に用はない.今直ぐたたき返してやりたいが,こういう奴に限って,あとで,院長にいちゃもんつけてくるような馬鹿な真似をしかねないから,どうしてくれよう.
シナリオ2:ボケとツッコミ(1) 先生頭が痛いんです 診察した限りでは何もありません では,くも膜下出血は大丈夫でしょうか? では念のためにMRIを撮りましょう えっ?MRIを撮るんですか?どうして? このまま家に帰って、万一くも膜下出血を起こしたら,大変でしょう。 確かに大変ですが、でも、先生、今、診察した限りでは何もないっておっしゃったじゃありませんか。 ええ、でも念のために・・・
ボケとツッコミ(続) 診察ではわからないんですか? 診察でわかるのですが、診察で問題がなくて、MRIを撮らずに、半年後にくも膜下出血で亡くなった例で訴訟が起こったことがあるのです。 でも,MRIを撮っても,私がくも膜下出血を起こす確率そのものは低くなりませんよね? ああ,ええ,まあ、そ,そうですね。 じゃあ、MRIを撮るのは、私の体を心配しているからではなくて、私が起こすかも知れない訴訟から自分の身を守るために撮る、それが先生のおっしゃる”念のため”という意味なのですね?
この漫才の背景 人間不信:この患者が自分を訴えるかもしれないÛこの医者は藪かもしれない 人間不信から生じる機械信仰 MRIが万能という幻覚妄想状態 医者と患者の双方が気付かないすり替え 両者とも人間不信ゆえにMRIを撮ろうとしているのに、あたかも患者のことを心配しているからMRIを撮っているかのような思い込み
対立構造を解くのはやさしい 日本全国を自分で引き受けない 誰か偉い人がやってくれるはずと思わない 明日から自分でできることをやればいい あなたは神様ではない 誰か偉い人がやってくれるはずと思わない 「偉い人」への依存、ちっぽけで無力な自分との間違った思いこみを避ける 明日から自分でできることをやればいい 自分の家庭で、自分の職場で:すでにあなたがやっていることを効率化するだけ
今日から自分でできること:患者編 神の手、名医を求めない=人間不信を止める 医者を教育する、助ける 自分には医者を見極める眼力がある? 目の前の医者が藪だと断定できる? 「あんたは藪だ」と言われたらどう思います? 医者を教育する、助ける 医者を育てるのが患者の仕事 わかりやすく説明し、診察に応じる 疑問に思ったことを質問し、説明させる 安易に検査を求めない→これも医師の教育
今日から自分でできること:医者編 限界を知る医師を目指す 患者に教えてもらう、助けてもらう 薬や検査を自慢の種にしない=人間を貶めない 医学の限界を知るための勉強を心掛ける 患者が来ない→医者が暇なのはいいこと 患者に教えてもらう、助けてもらう 患者から学ぶのが臨床の基本 問診、診察は患者に教えてもらう作業 患者への説明はコミュニケーションの基本 検査に頼らない=問診・診察に拘る
日本の救世主にならなくていい 誰も日本を救ってくれと頼んでいない あなたはそんな大それた人ではない でもあなたにできることがある 自分の家庭を維持・管理する 後ろから弾が飛んでこないようにする 家庭を職場の支援基地にする もっとあなたにできることがある 自分の仕事場を維持・管理する 前から飛んでくる弾を減らす、避ける 仕事を自分の人生の支援資源にする
基本戦略を広げてゆく ー金、人、物一切不要ー 医療者 患者 病気 問題 この基本戦略に新たなお金、新たな人、新たな仕組みは一切不要です。だから、いつでもどこでも簡単にできて、医療は安全になるし、効率の良い教育ができる。いいことだらけです。それを広げていく、自分の家庭から、職場から。これだけ面白くて手間暇かからない(むしろ手間やストレスを省く)
対立構造、非難合戦の解消 →相互協力関係=共存共栄 四百年以上の伝統 近江商人のモットー 三方善し (売手善し、買手善し、世間善し) 400年前から日本人もWin/Win Approachesを知っていた 田原総一朗 僕は滋賀の生まれで、有名な近江商人の末裔。実家も商売をやっていた. このところ、盛んにいわれている「コーポレート・ガバナンス」。これって「三方善」、つまり、客/社会/自分の三方に善きことを為すという表現で、僕の祖先の近江商人たちが何百年も前から実践していた概念と全く同じことなんです。もしかしたら、近江商人って、今のサービス産業・ソフト産業の元祖といっていい存在かもしれないな、と。そこに気づいて、自分のルーツを肯定できるようになってから、商売・経営というジャンルが僕にとってぐっと身近なテーマになりました。
参考文献 伊藤絵美 認知行動療法 べてる式 医学書院 スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣 キングベアー出版 伊藤絵美 認知行動療法 べてる式 医学書院 スティーブン・R・コヴィー 7つの習慣 キングベアー出版 高橋伸夫 できる社員はやり過ごす 日経ビジネス文庫 ただの医者じゃない メディカル二条河原 医者を辞めずに済む方法