いただきま~す 全国学校給食週間 *育て!元気な四街道っ子* 学校給食の歴史を振り返ってみよう! 作ってみよう! 元気なカレー丼 平成25年1月 給食だより 四街道市学校栄養士会 *育て!元気な四街道っ子* 1月24日~30日 全国学校給食週間 昭和20年,日本は戦争が終わったばかりで食料が不足していた。そのため,栄養失調の子どもたちがたくさんいました。そのころの小学6年生は,現在の小学4年生くらいのからだの大きさだったそうです。日本の様子を見てアメリカやアジア救済委員会(LALA:ララ),連合軍などの援助がたくさん送られてきて,昭和21年12月24日に学校給食が再開されました。 この日は、学校が冬休みのため1か月後の1月24日から1週間を給食に感謝する「全国学校給食週間」としています。この週間は,学校給食の意義や役割について理解と関心を深め,学校給食のより一層の充実と発展を図ることを目的としています。 学校給食の歴史を振り返ってみよう! 明治22年 学校給食のはじまり 山形県鶴岡市の私立忠愛小学校で,貧困児童の救済のために行われたのが始まりです。 その後,全国各地で子どもたちの栄養改善のために給食が実施されるようになりました。 献立は「おにぎり,焼き魚,漬物」で,無料で実施されていました。 戦争が始まり昭和19年から中止 昭和22年 戦後の給食開始 アメリカやアジア救済委員会(LALA:ララ),連合軍などから物資援助があり,給食が 再開されました。ミルクは,脱脂粉乳に砂糖とビタミン剤を加えたものです。温かく湯気が上がり膜が張ったミルクは独特な風味だったそうです。 昭和25~30年頃 完全給食の開始 アメリカから小麦の援助を受け,パン・ミルク・おかずがそろった「完全給食」が実施 されるようになりました。 ところが援助資金の打ち切りなどがあり,学校給食は中止の危機を迎えました。そのような中で全国の保護者などを中心に継続の要望が高まり,昭和29年に「学校給食法」が制定(平成21年一部改正)され、その後も給食が続けられるようになったのです。 昭和40年代頃から,ソフトめんが登場するようになりました。また,脱脂粉乳から牛乳へ切り替わった時期でもあります。 作ってみよう! 元気なカレー丼 昭和35年 旭小学校給食開始 昭和51年 米飯給食の導入 それまではパンやめんが中心の給食でしたが,この年から正式に米飯が導入されるようになりました。はじめは月1回でしたが,現在では週3~4回が米飯給食です。 給食で使う小松菜を作っている四街道市大日の農家 松戸さんに小松菜たっぷりのメニューを教えていただきました。是非,作ってみてください。 材料 4人分 作り方 小松菜 1束 ① 小松菜はさっと湯がいて,水に取って絞ってから 豚肉 80g 長さ3cmに切る。 玉葱 2個 ② 玉葱は薄切り,根生姜・にんにくはみじん切り, カラーピーマン 豚肉は細切り,ピーマンは荒いみじん切りにする。 ゆで大豆 100g ③ 鍋に油を敷き生姜・にんにくを香りが出るまで炒め、 サラダ油 大さじ1 豚肉を加え炒める。 根生姜 1かけ ④ 玉葱を加えさらに炒め、大豆・カラーピーマンと水 にんにく を入れ5分位煮る。 水 400cc ⑤ ④に市販のカレールウを入れ煮溶かし、仕上げに 塩 少々 小松菜を入れ、塩・こしょうで味をととのえる。 こしょう ⑥ 器にごはんを盛り④の具をかける。 カレールウ 適量 ごはん 500g 現在 平成8年 四街道北中学校給食開始 平成13年 市内全校完全給食実施 現在では,栄養バランスのよい内容はもちろんのこと,給食を通して子どもたちや保護者の方々に「食」についての様々なことを知ってもらうため,行事食や郷土料理,地元の農産物を活用した献立を実施しています。 給食は生きた教材として,学校での「食育」を進める上で大切な役割をしています。