社会心理学(GED231) -社会的自己の形成(1)- 「私という存在」

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社会心理学(GED231) -社会的自己の形成(1)- 「私という存在」

このクラスで理解すべきこと 1.「私」は知性、感性、霊性を持った存在であると同時に社会性を持っている。それはどういう意味か説明せよ。 2.完璧な自己認識(自分を知るということ)は不可能だといわれている。それは何故か。 3.社会環境が自己の形成に及ぼす影響は決して小さくはない。David Riesmanはそれを3つの類型に分類している。それを挙げよ。

このクラスで理解すべきこと 4.放蕩息子が「我に返る」(ルカ15:17)という体験をしたが、「鏡に見る自分」という自己認識理論を適用して説明せよ。 5.Johari’s Windowの「四つの自己像」の中で、「認罪」の体験をするのはどの部分か。説明せよ。

人 間 -その社会心理学的前提-  人が、ひとりでいるのは  良くない。(創2:18)

人 間 -その聖書的前提-  神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創1:27)

人 間 -その神学的可能性-  だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。                 (2コリ5:17)

「私」という存在 「私とは誰か?」 「私とは何か?」 哲学的視点 宗教的視点 社会心理学的視点

「私」という存在 哲学的視点  「汝己を知れ」     (ソクラテス)               前470~前399 「我考える、故に我あり」      (デカルト)1596~1650 

「私」という存在 宗教的視点  「色即是空」(般若心経)    物資的・生理的に固定的な実体    がなく空であること (龍樹 150~250頃)

「私」という存在 社会心理学的視点 「私」とは本質的に二重化された存在 「主我」と「客我」の二重性 「見る私」と「見られる私」の二重性 「主我」と「客我」の二重性 「私とは『私とは何か』と問うところのもの」 自分自身に関係を持つ私

「私」という存在 聖書的視点   神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創1:27)

「私」という存在 聖書的視点   「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」        (1コリ15:10)

「私」という存在 聖書的視点   「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。            (1テモ1:15)

社会的自己の二重性 「客我(Me-self)」と「主我(I-self)」 「客我」-自己の中に取り入れられた他者の視点 「主我」-客我のまなざしを浴びながら行動する自己

鏡に見る自分(テキストp.35)

主 我 客 我 人との付き合い どちらの自分に支 配されているか? ・客観化された自分 ・他者の立場からみた自分 ・他者とコミュニケートできる自分 主 我 どちらの自分に支 配されているか? 客 我 ・自分が自分であると気づかずにいる自分 ・衝動的な自分 ・主観的に行動する自分 人との付き合い

社会的自己の二重性 物質的客我 社会的客我 自己の身体的環境 性、体格 他人からみた自己認識 父母、友人、教師が自分をどう見ているかという自己認識 他人の数だけある自己像

社会的自己の二重性 精神的客我 自己の心理的諸能力・諸傾向を具体的に集めた全体像 感覚的経験、情的経験、欲望の客観的認識 劣等感、優越感、罪悪感等の客観的評価

社会的自己の二重性 聖書的客我 イザヤの神認識と自己認識(イザ6:1-8) 主を見ることと自分を見ることの相関関係 カルヴァンの神認識と自己認識 神を知ること 己を知ること   (キリスト教綱要第一頁) 放蕩息子の神認識と自己認識-(ルカ15:17-19) 「我に返る」ことと罪意識・神意識の関連

人 「客我」の認識 関係論的に到達する「客我」 「客我」の発見は個人技ではないこと 人との関係において認識できるもの 他者との関係の無い人間の存在は不可能

人 「客我」の認識 関係論的に到達する「客我」 「客我」の認識は社会的であること 私以外の存在にふれて初めて知ることが出来る私の存在 自己は自分の体内にあるのではなく、他者との間に存在

自分を知る難しさ 人がよく見えて自分が見えない自分   -生理的弱点-視界の限界   -心理的弱点-自己省察の困難                          (Taylor)

事実と真実 ・目に見えるものが全てだという思いこみ -部分を全体だと取り違える失敗 -限られたものしか見ていないという限界 の認識不足    -部分を全体だと取り違える失敗    -限られたものしか見ていないという限界  の認識不足    -見えていない部分を無視する失敗

事実と真実 目に見えるものを真実と断定する誤謬   -事実が必ずしも真実であるとは限らない   -事実の断片をつなぎ合わせても全体像と ならない

事実と真実      「猫は動物である。」(事実)      「犬も動物である。」(事実)      ∴ 「犬は猫である。」(真実?)                       (媒概念不周延の誤謬)

社会的自己の形成 自己形成の要因-社会環境 (D. Riesman) 伝統指向的自己 停滞的な共同体の中に発達する自己 旧来の伝統・習慣を遵守することを要求する社会に適応した自己

社会的自己の形成 自己形成の要因-社会環境 (D. Riesman) 2.内部指向的自己 初期資本主義社会の発達に伴う急速な社会の変化  2.内部指向的自己 初期資本主義社会の発達に伴う急速な社会の変化 個人が旧来の伝統的共同体から離脱 新しい環境にあって孤独に耐え、自己の内部の良心に従って生活(プロテスタント倫理) 個人主義的な生活態度

社会的自己の形成 自己形成の要因-社会環境 (D. Riesman) 3.他人指向的自己 資本主義の成熟により、官僚的大企業経済が発達  3.他人指向的自己 資本主義の成熟により、官僚的大企業経済が発達 管理・販売など人間関係を操作する職業の増加 他者の期待に敏感に反応できる人物の必要

社会的自己の形成 自己形成の要因-社会環境 4.多元指向的自己 社会のグローバル化による自己の多元化   4.多元指向的自己 社会のグローバル化による自己の多元化 サイバースペース・仮想現実に生きる複数の「私」-状況に応じて使い分ける「私」 ネットを媒体とした人間関係の成立 内部において複数に分裂する自己 他者に対してネットの上で容易に融合する自己

社会的自己の形成 デカルトの誤謬 自己認識は単独行為(瞑想)のうちに達成不可能 自己の存在を理性によって証明しようとした誤謬 デカルトの自己認識(存在を疑うことから出発) あらゆる存在を疑うことは考えている証拠 考えているということは存在があるという証拠 であるから、私は私の存在を疑っている限り、私は存在する。 「我考える、故に我あり」(Cogito ergo sum.)

人格形成の三段階 社会的自己の発達段階(George.H.Mead) 準備段階(Preparatory stage) 自己の客観化・他人の役割取得不可能 ままごとの段階(Play stage) 言語の習得と他人の単一的役割取得 ゲームの段階(Game stage) 複合的な役割取得可能

人格形成の三段階    ゲーム段階  複合的役  割の取得 準備段階 役割取得 不可能 ままごと 段階 言語の習得 役割取得

自己省察の必要   もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。 (ガラ6:3-4)

自己省察の必要 彼は本心に立ちかえって(口語訳) 彼は我に返って(新改訳・新共同訳) 自分を見失わないために(人との関係において) 主 我   -自己省察を怠ったパリサイ人の祈り   -客我を見失った滑稽さ   -見失った自分を取り戻した放蕩息子    ・自分を意識しない自分 ・衝動的な自分 ・主観的に行動する自分 主 我 彼は本心に立ちかえって(口語訳) 彼は我に返って(新改訳・新共同訳) ・自分を意識した自分 ・第三者の立場から見た自分 ・客観化された自分 客 我

自己省察の必要 神を知るために(神との関係において)    -神を知ることと自分を知ることの密接な関係    -霊的な位置づけを認識する必要 我々の知恵で、真理にかない、また堅実な知恵と見なされるべきものの殆ど全ては、二つの部分からなりたっている。神を認識することと、我々自身を認識することとである。ところが、この二つは多くのきずなによって互いに結びつけられているので、どちらが他に先立つか、どちらが一方を生み出すかを見分けることは容易ではない。 (カルヴァン『基督教綱要』第一章、1559年) 人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」(創3:8-9) 「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:41-42)

『まず、自分を知ると いうことです。』 TBSスポーツニュースキャスター 「2000本安打を達成されましたが、これから したいと思うことは?」 『まず、自分を知ると  いうことです。』

社会的自己の二重性

“ I am what I think you think that I am.” 社会的自己の二重性      C.H.Cooley’s “Looking-Glass-Self”

自己省察(吟味)の基準 C.H.Cooley’s “Looking-Glass-Self” 基準を自分に置いて自分を見る “ I am what I think that I am.” 「自分で自分を判断した私」 疑似客我 虚 像

「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。」          (ルカ18:11-12)

「人は誰でも人類を作り替えようと努力するが、自分を作り替えようとはしい。」 「人は誰でも人類を作り替えようと努力するが、自分を作り替えようとはしい。」  (レオ・トルストイ)     

自己省察(吟味)の基準 「自分で自分を判断した私」 誤った自己省察からでた祈り   ・“ I am what I think that I am.”    「自分で自分を判断した私」   ・自分を自己省察の軸足に    したパリサイ人               ・祈りの内容と態度の不整合   ・祈りではなく独り言

自己省察の基準  自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として(ejkei‘nov" ejstin dovkimo")受け入れられるのです。」(2コリ10:18)  あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、(spouvdason seauto;n dovkimon parasth‘sai tw’/ qew‘/)  (2テモ2:15)

自己省察の基準 C.H.Cooley’s “Looking-Glass-Self” 基準を他者に置いて見た自分 “ I am what you think that I am.” 「他人が見た自分」 虚 像

 この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。(マタ13:55)

自己省察の基準 C.H.Cooley’s “Looking-Glass-Self” 基準を他者に置き自分を見る “ I am what I think you think that I am.” 「他人から見ると、こんな自分だろうと        判断する私」-比較の上に立った自分 虚 像 実 像

自己省察の基準  わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る」(2コリ10:12-13・新共同訳)

 「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。」    (1サム15:30)

実 像 「本心に立ちかえった」 自己省察の聖書的基準 YOU perceive that I am.” 主キリストに基準を置いて見る自分 “ I am what I acknowledge  YOU perceive that I am.” 「キリストの視点から自分を         振り返り、認知した私」 「本心に立ちかえった」  自分 (ルカ15:17) 実 像

自己省察の聖書的基準 取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」             (ルカ18:13)

“ I am what I think YOUthink that I am.” 自己省察の聖書的基準 神が見た自分を見出した取税人    “ I am what I think YOUthink     that I am.”            ・「こんな罪人の私」を神            に差し出す祈り          ・神に受け入れられた祈り

Only One ニューヨーク DNA遺伝子組み合わせ(10の24億乗) 102,400,000,000=1000000000…

私は神の特別誂え 神がデザインして下さったはずの私を再発見すること 神がデザインして下さった私が醜いはずはない。 神がデザインして下さった私がこんなに弱いはずはない。 神がデザインして下さった私は何かできるはずだ。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。    (ピリ4:13)

神が視た私 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」  イザヤ43:4

使徒パウロの自己省察 私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。(ピリ3:4-6)

使徒パウロの自己省察   しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。(ピリ3:7-8)

使徒パウロの自己省察  「私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」  (ピリ3:8-9)

使徒パウロの自己省察 w|n prw'tov" eijmi ejgw. 使徒パウロ晩年の告白 (AD65) 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。    (1テモ1:15) AD67/8 殉教 w|n prw'tov" eijmi ejgw.

四つの自己像 Johari’s Windows 自分に見える自分 ・誰にも明らかな自分  -性別  -年齢  -目立つ性格 他人に見えない自分 ・人には隠してある自分 ・マスクの裏にある自分 ・自分だけ知っている秘密 他人に見える自分 公の自分 秘かな自分 ・他人には見えて自分  には見えない自分 -知らなかった能力 -気づかなかった弱点 ・誰にも分からない自分 ・未開拓の自分 ・可能性を秘めた自分 見えない自分 隠された自分 自分に見えない自分

四つの自己像 公の自己像(Public-self) 秘かな自己像 (Secret-self) ペテロの性格 衝動的、感情的 (マタ16:22-23、ヨハ13:37) 秘かな自己像 (Secret-self) ユダの性格 本音を巧妙に隠す才能(ヨハ12:4-6)

四つの自己像 見えない自己像 (Blind-self) 隠された自己像 (Hidden-self) 主イエスに子犬だと指摘された女 (マタ15:22ー28) ナタンに罪を指摘されたダビデ(2サム12:1-15) 隠された自己像 (Hidden-self) 神の業が現された盲人(ヨハ9:1-41)

 神の恵みによって、私は今の私になりました。  (1コリ15:10)

このクラスで理解すべきこと 1.「私」は知性、感性、霊性を持った存在であると同時に社会性を持っている。それはどういう意味か説明せよ。 2.完璧な自己認識(自分を知るということ)は不可能だといわれている。それは何故か。 3.社会環境が自己の形成に及ぼす影響は決して小さくはない。David Riesmanはそれを3つの類型に分類している。それを挙げよ。