Network Economics (6) 日本のテレコム改革 京都大学 経済学研究科 依田高典
黎明期(1985-1989) 1982年第二次臨時行政調査会 1985年電気通信事業法・NTT法 第1種・第2種電気通信事者区分 成果と課題 (1)電気通信産業の活性化、(2)多様なニーズへの対応を目的とした競争原理の導入 1985年電気通信事業法・NTT法 (1)光ファイバー・ケーブルや通信衛星等の新しい伝送路の出現。(2)規格の違う複数のネットワークの併存を可能とするインターフェース技術の進展。 第1種・第2種電気通信事者区分 第1種参入の需給調整条項と経理的・技術的基礎 1985年NCC3社の参入 成果と課題 新事業社誕生・料金低下 競争基盤・企業体質・ネット高度化・国際化
黎明期の証言 伊東光晴氏 直江重彦氏 林紘一郎氏 公社の理想とは 電電公社民営化とは 電電公社民営化の背景 民営化・自由化の見通し 電電公社側から見た民営化
「英国で生まれた本来の公社モデルというものは、1980年当時の日本の公社の実態とは随分かけ離れたものである。公社とは本来、(1)自主的経営の下で効率性の追求が可能な組織であり、(2)厳しい監査によって業績次第では役員の任免もあり得るというものであった。しかし、日本の公社はというと、(1)公社法により資金運用が制限されており、(2)基準内給与と基準外給与の流用制限のため経営効率化が阻害されるような実態があった。そこで、日本の公社民営化論が出て来るわけだが、当初の構想は日本航空のような政府出資による特殊会社のようなものであり、公社を純然たる民間会社にしてはならないという考えが支配的であった。何故ならば、(1)日本では受託経営者層が育っておらず、(2)外部監査も機能していないからである。公社民営化の主要な力は国鉄において働いた。言い換えれば、日本の公社問題は国鉄の累積赤字の問題であり、また国鉄の労働組合にスト権をどの程度認めるべきかという問題でもあった。」 戻る
「それに対して、電電公社は大幅な黒字であり、国鉄のような労使対立の問題もなかった。電電公社民営化の推進主体としておおよそ次のようなものが挙げられよう。(1)電電内部(特に非技術部門)は、給与総額制・予算統制のような政府の介入を排除し、内部効率を高めたいという欲求を持っていた。(2)大蔵省は電電株を売って、財政赤字を埋めたいと考えていた。(3)郵政省は電電との力関係を改め、真の通信政策の監督官庁になりたいと考えていた。」 戻る
「電電公社民営化の直接的契機には次のようなものがある。(1)公衆電気通信法の不備が誰の目にも明らかだったこと。その当時、料金問題と経営問題の研究会・調査会において、本電話機の開放と専用回線の自由化は不可避だと考えられていた。しかし、郵政省はその実現のための実効的な監督権限を持っていなかったのである。(2)電電公社のスキャンダルに対する風当たり。積滞の漸次解消に伴い、1974年をピークに新規加入者が激減したため、新規投資先が自然に漸減していった。こうして、電電公社は1970年代後半には過剰な黒字を別の用途に使う必要性がある体質に変化していた。これが、不正経理事件の一背景である。また、正当な経営効率化インセンティブであるべきはずの年度末生産性向上手当が「ヤミ給与」として禁止されてしまったことも、別の背景である。」 戻る
「電気通信事業法の第一種・第二種区分はこの当時の歴史的発展を踏まえた合理的判断であった。電気通信のインフラストラクチャは公共財であり、使用料(アクセス・チャージ)の問題が必ず将来発生することを最初から予定するべきだと主張した。他方、第一種への新規参入は難しいとも考えていた。何故ならば、(1)NTTが料金リバランシングを行えば、NCCのクリーム・スキミングを容易に排除することができ、(2)政府内の諸官庁が縄張り争いで後押しする事業者に別々に土地の使用特権を賦与することは、政府の行動として整合性を欠くことになり、(3)通信のような技術革新が早く償却期間の短い分野では初期投資を回収することが困難だと思われたからである。」 戻る
「電電公社の黒字基調が必ずしもそこで効率的経営が行われていたことの証左とはならない。電気通信事業のような技術革新が激しい産業では他産業並みに生産性が伸びているはずなのに、そうなっていなかったのは、公社体制がゆえに経営効率化の効果が減殺されてしまったからである。そこで、「官業が悪なのか」「独占が悪なのか」「巨大性が悪なのか」と問えば、それぞれの相互関連はあるものの、究極的には「独占が悪の根源」ということになろう。当初、電電公社内部では「民営化」は望むところだが、何とか「独占」を守り「競争」は避けたいという意見もあった。電電公社の経営は、「給与総額制」「関連ビジネスへの投資規制」「料金認可制」「法的独占性」という4つの柱で成り立っていたわけであるが、そのうち「給与総額制」「投資規制」「料金認可制」の3つは外し、「法的独占性」だけ残そうというのは許されない話であった。」 戻る
模索期(1990-1994) 1982年第2次臨調答申 1990年政府措置 90年代の通信政策ビジョン NTTのオープンネットワーク計画 (1)電電公社の経営合理化、(2)独占の弊害除去、(3)経営管理規模の適性化のため、中央会社と複数の地方会社に再編成 1990年政府措置 (1)NTTの長距離通信事業部と地域別事業部制の導入ならびに収支状況の開示(1992年4月実施)、(2)移動体通信業務の分離(1992年7月営業開始)、(3)NTTの在り方の5年後再検討 NTTのオープンネットワーク計画 90年代の通信政策ビジョン (1)グローバル・インテグレーション、(2)ネットワーク型産業構造、(3)首都圏と地方の格差拡大、(4)ライフスタイルの変化が見込まれた。また、90年代の政策課題として、(1)基幹グローバル・ネットワークの構築、(2)新しい情報流通産業の創出、(3)地方におけるアメニティの創生、(4)ゆとりある高齢社会の実現
模索期の証言 伊東光晴氏 電電改革の問題点 NTTの在り方 直江重彦氏 新規参入の予想と現実
「民営化・自由化には、料金水準の低下と企業効率の向上というメリットとクリーム・スキミングというデメリットがあることを認識しなければならない。電気通信産業の自由化により、第一種は規制料金、第二種は自由料金となったため、一市場・二価格という矛盾が生まれた。この二価格は市場の区分ではなく、所有形態の区分に基づいているところが問題であった。特に、データ通信部門は、規制料金と自由価格が混在するようなグレー・ゾーンである。当初NTTデータの技術的・財務的蓄積により規制価格が市場支配価格になるが、その後VAN事業者が臨機応変な価格設定力を駆使して競争上優位に立つことは容易に予想された。従って、NTTの対抗策として、データ部門の分離子会社化が必要になることは早くから分かっていた。また、NTTとNCCの間の非対称規制による価格差政策に対するNTTの自己防衛策として、回線の再販売があった。先ずNTTの回線を認可料金で第二種事業者に販売し、さらに第二種事業者が自由料金で顧客に再販売するというものである。」 戻る
「NTTの経営形態問題に関して言えば、二つの代替的やり方がありえた。一つは英国型の通信政策であり、プライス・キャップを通じてBTに大幅な黒字経営・高配当政策を許し、強いナショナル・フラッグ・キャリアを育成し、国際競争に備えるというやり方である。もう一つは米国型の通信政策であり、長短分離とヤードスティック分割を通じて機器部門と接続部門に風穴を開け、しかる後相互参入による競争ダイナミズムを引き出すというやり方である。いずれにせよ、この時期、国際法のパリ条約における「通信主権」という理念が海底ケーブルや宇宙衛星を通じた国際通信というやり方で有名無実化しており、各国の通信政策は国内の産業構造を云々する時代から国際競争力を競う時代に突入しつつあったことを忘れてはならない。私は1990年時点で郵政省トップに英国型と米国型の通信政策のいずれを選ぶのかと問うた。英国型政策が最も安全であり、一番悔いを残さないやり方であったろう。しかし、郵政省は分割を強く望んでいた。他方、NTTの会計はというと歳入と歳出だけを合わせる旧態依然とした公社会計であり、通信システムはというと外部との接続を前提としない一貫体系である。私はこのような状況下では分離分割をやってはならないと判断した。そこで、公正な接続が可能となるような分離会計とアンバンドリングの導入をNTTに約束させることで問題の5年後見直しを決定した。」 戻る
「NCC3社の経営に関していうと、当初光ファイバ−の日本テレコムとテレウェイは有望、無線のDDIは望み薄と予想された。何故ならば、主に第一種事業者の参入は光ファイバーが有利な専用線事業の方に起こると考えられたからである。しかし、事実は異なった。第一種の参入が無線でも可能な電話サービスの方に起こったためDDIでも十分に市場に参画できたのである。また、DDIの当初の特殊な料金体系・距離区分もDDIの経営の追い風となった。」 戻る
「日本の1985年事業法は、全ての分野で市場を開放するという世界で最も開かれた競争体制を目指したものであった。しかし、(1)競争事業者の既得権化、(2)市場分割を前提とした参入規制、(3)NTTの経営効率向上化の不十分さにより、その目的は十分に果たされなかった。この時期は一種の移行期間でもあり、(1)市場区分型参入、(2)回線利用の自由化制限(単純再販や公専公の禁止)、(3)分割の先送り、(4)ユニバーサル・サービス義務はそうした時代の過渡的政策とも理解できよう。NTT法の見直し条項に関していうと、産業の発展にかかわる根本的問題としてではなく、NTT対郵政省・NTT対NCCのような感情的問題になってしまったのが不幸である。NTTの在り方問題は、通信政策の入口でもあり出口でもあった。NTTの分割反対の言い分は、ユニバーサル・サービスと技術的整合性の二つである。1990年時、私はNTTの分離会計・分社化によって、NTTの在り方問題のソフト・ランディングの道を提唱した。具体的には、都合11個の地域会社のうち中央が持株会社となり、長距離に国際業務を認め子会社化するというものであり、現在のNTTドコモの経営形態の雛形ともなっている。その場合、公正有効競争条件の確保のために、接続会計と接続ルールの策定がキーとなる。しかし、その時点では有線ネット(音声)中心・移動体ネット(携帯)補助を念頭においていて、その後の逆転までは見抜けなかった。」 戻る
世界情報通信革命期(1995-) 1996年NTTの在り方特別部会 評価:(1)多数の事業者の参入、(2)競争分野の料金の低廉化、(3)サービスの多様化、(4)料金体系の多様化。 次の改革:(1)相互参入の促進、(2)多様なネットワークの形成、(3)地域間の競争の促進、(4)接続の確保、(5)国際競争力の向上、(6)研究開発力の向上、(7)ボトルネック独占の解消。 再編成:(1)NTTを長距離通信会社と東西2社の地域通信会社に再編成すること。(2)長距離通信会社の完全民営化を図り、その国際通信・CATV・コンテント・地域通信への参入を認めること。(3)地域通信会社は当面特殊会社として業務規制を受けるが、地域間の相互参入を認めること。(4)KDDの国内通信業務の提供を認めること。 政治的決着:(1)NTTを持株会社の下で東・西日本地域会社と長距離会社に再編成すること。(2)子会社方式によりNTTに国際通信業務への進出を可能とすること。
革命期の証言 伊東光晴氏 96年答申 分離分割 テレコム改革とは 直江重彦氏 情報通信産業の展望 林紘一郎氏 今後のNTTの経営課題
「21世紀のR&Dの主体はNTT以外ない。そのためには、NTTの地域網の独占をどう活性化するかが問題となる。問題は二つに整理できる。(1)NTTのボトルネック独占力のために、NTTが競争的成長分野で自由な営業ができないこと。移動体とデータが将来株式上場され、NTTとの資本関係が切れた時、NTTは抜け殻となってしまう。 (2)高費用体質の源であるNTTのインタレスト・グループを解体すること。日立・富士通・沖・日本電気の4社が国際的汎用性のない通信機器を山分けで受注する体制になっていたため、諸外国に比べて調達費用が高かった。この所に競争を導入し、費用を安くしたいというのは、NTT内部の声でもあった。それでは、いかにしてNTTのポテンシャルを最大限発揮させられるだろうか。そこで考えたのが、対等な規模の3社によるヤードスティック競争なのであった。一つは長距離+国際+移動体+データ、あとの二つは東日本・西日本地域電話会社である。本当に重要なのは電話産業ではなくて、コンテンツ産業の方なのである。そのためには、NTT分割と相互参入を通じた市場の拡大こそが21世紀の情報通信産業を切り開くと考えた。」 戻る
「NTTの分離分割が必要と考えた第一の理由は接続問題である。NTTの一元的機械・ソフト体系が残されたままであり、1990年〜1995年の間の接続会計・アンバンドリングのような公正有効競争のためのNTTの努力は残念ながら不十分だった。NCCにとって接続のための事務処理は膨大で、接続料も高い。長短分離による公正競争の実現は必要であった。第二の理由は地域間競争を促進させ、機器独占を除去するためである。例えば、東日本がR&D部門を持つようになれば、西日本は機器を市場から調達するようになる。対等な両者が相互参入すれば、政府対企業のような情報の非対称性問題も回避できる。西日本の赤字問題に関していうと、これは数字上のマジックである。人口・所得・企業数・世帯数は東西対等であり、ドコモの成功が示すように本来西日本でも十分採算が採れるはずである。NTTの主張は、(1)西の人員が1万人も多いこと、(2)共通費用の恣意的配分によるものに過ぎない。」 戻る
「この20年間テレコム政策にかかわって主張して来たことは、一貫して、(1)地域通信市場にヤードスティック競争を導入すること、(2)長短間で公正有効な接続条件を実現すること、(3)ボトルネック独占のくびきを外し、国際市場への門戸を開くこと、(4)相互参入ダイナミズムを通じて日本の情報通信産業に強い国際競争力を付けさせることである。持株会社方式による再編成という政治決着は1996年の答申とは随分かけ離れたものとなった。しかし、持株会社方式でもその後のやり方次第では、ヤードスティック競争のダイナミズムを生むことは可能である。いずれにせよ、電話の時代は終わり、コンピューターの時代がやって来る。電話が少しくらい高かろうが安かろうが、国民生活にはほとんど影響しない。郵政省はNTT東日本・西日本にプライス・キャップの枠をはめ、その市場支配力をコントロールしようと考えているようだが、収支均等とか無駄なことは止めておけ(笑)。国際競争の時代に備えて、今のうちに体力を付けさせるような政策があっても良い。」 戻る
「インターネットの爆発的普及は、トポロジーの異なるネットワークの時代の到来を告げている。従来の電話ネットは閉鎖的・中央集権的であったのに対して、これからのインターネットは開放的で分権分散的なものになる。何故ならば、現在の情報通信は技術革新が激しく多様性に富んでいるために、電話交換機や網サービス制御装置によって一元的にコントロールするシステムでは、ユーザー側の急速な変化や多様なニーズに迅速に対応できなくなっているからである。時代の変化はNTTの経営にも影響を及ぼす。象徴的な出来事を3つ挙げれば、(1)1994年5月の月間加入者増加において移動体系が固定系を上回ったこと、(2)1996年8月の月間加入者増加においてISDNが固定系を上回ったこと、そして(3)1997年度の固定系加入者数が前年度に比較して下回ったことである。このような激変する経営環境にNTTの持株会社方式が成功できるかどうかは、(1)グループ企業のキャッシュフローによる合理的管理を徹底し、経営資源の効率的移転を行えるかどうか、(2)不採算部門からの退出のメカニズムを確立できるかどうかが鍵となろう。」 戻る
「1993年度から始まったイリノイ大学のモザイクの無料配布に端を発するインターネットの爆発的普及は、ネットの世界を音声から画像へ、電話からマルチメディアへと変化させた。キャプテンのような過去の失敗は、双方向性がなく、統一的ネットワーク処理を前提していたため、サービス種類数が限定されたからである。インターネットの世界では、プロトコルの標準化さえ決まっていれば、ネットワークそれ自体は分散的に処理される。NTTの地域分割に関していえば、もっと細かく再編成し、密度の経済性・費用に応じた料金設定を可能にするというのも一案であった。鉄道とは異なり、電話は幹線の費用が高く、足回りは案外高くないかもしれない。「距離の死」という言葉がある。長距離事業者多難の時代がやって来る。将来的には、移動体に経営を助けてもらうようになるかもしれない。電話の時代は3年後にはなくなる。ネットの時代では、従量や距離は料金設定の重要な要素ではなくなる。アクセスの速度に応じた多様な定額料金制の導入が検討されるべきであろう。ネットは融合されるものであっても、一つに統合されるものではない。」 最初に戻る 戻る