英語教師の幸せ 千葉県立成田北高校 組田 幸一郎
お願い twitter による実況はご遠慮下さい
自己紹介 口頭で自己紹介を行います。 最近は、授業のことを考えていても、「限界」「犠牲」が気になって仕方ありません。
本日の話題 教師としての幸せというのは、進路実績を上げることだけではない。 自分の生き方を教科書にして、彼らが自分たちの人生を自分で選択し、生き方を見つめられるサポートをすることではないか。 その結果としての大学進学はある 皆さんは、どんな先生になりたいですか そして、どのような教員人生を送りたいですか
教育観(人間観) 自分なりの生き方(教育哲学)は、いろいろな場面で、とっさに出てくる。このとっさに出てくる話しや行動が、相手の心にいちばん響いてくる。(いくつか経験談あり) 多くの生徒が宿題をしてこなかった件 タバコで停学になった生徒に対して 生き方と授業をオーバーラップさせることで、生徒は授業にも積極的になる(逆も真)
教育 英語教育
教育とは 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 (教育基本法第1条) 「人格の完成」「国家及び社会の形成者」「心身ともに健康」が教育の目的
先生の仕事(共通) 校務分掌(教務、生徒指導、進路指導など) 部活動(自分が経験したことのない競技もある・特に中学校) 掃除監督(この時間は大切です) 学校内の人間関係の構築 担任のお仕事(生徒の話を聞く・生徒の家庭環境の把握など)
英語教師の仕事 授業(英語力をつける・中学校は1週間20-22時間程度、高校は14-16時間程度) 自分の英語力の研鑽
つまり。。。 授業とは、業務の中の一部に過ぎない
研修のある仕事・ない仕事 学力をつける(授業の研修はある) その他の仕事の研修はほとんどない 校務分掌(校内で先輩教員に教わる) 部活動(ほぼ研修なし) 掃除監督(もちろん、研修なし) 学校内での人間関係(がんばれ!) 担任のお仕事(役に立つ研修はあまりない。同僚の仕事ぶりを見て、自分のスタイルを作る)
クローズアップされる仕事内容 授業:生徒の学力を高める 模擬テストで好成績をとらせる 有名大学に合格させる 英語が全ての科目の中でもっとも「期待される」 模擬テストで好成績をとらせる 有名大学に合格させる 全てが、学力アップ=授業力アップにダイレクトにつながる。そのため、英語教師のための勉強会・研修会はいくらでもある。
あれれ??
全て、「教育」から離れていませんか?
「望まれる英語教師像」 生徒の英語力をつける→学力向上→進路実績 英語の授業のため「研修会」への出席→充実した授業→学力向上→進路実績 英語力の高い英語教師→すぐれた授業→学力向上→進路実績
全て、進路実績につながります。
進路実績を上げる教師が優秀な教師なのか?
進路実績 教育 授業(英語の授業)
教育とは(再掲) 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 (教育基本法第1条) 「人格の完成」「国家及び社会の形成者」「心身ともに健康」が教育の目的
教育 vs 進路実績 教育とは、その人が生きていく根本 進路実績とは、大学への合格者人数 教育とは、全ての人にとって必要なもの 教育 vs 進路実績 教育とは、その人が生きていく根本 進路実績とは、大学への合格者人数 教育とは、全ての人にとって必要なもの 大学合格とは、半分の高校生に必要なもの
進路への期待 自分の子どもに期待をする保護者(アクセサリーとして子どもを考えてないか) 少しでも「いい学校」を目指す生徒 生徒の期待をサポートしたい教師 実績をあげたいという名誉欲のある教師 生徒募集のために実績を残したい学校
英語教師の成長とは、進路実績を上げられるようになることなのか?
進路実績を目指すなら、一般大学入試を目指す生徒が少ない学校なら、何を目標に授業をしますか?
教師の「職人芸」 確かに授業は大切である。どのように組み立て、どのように展開していくは大切である。 教師の仕事の中で、授業は教育の土台を作るが、その先に何を見るかが大切である。 教師としての仕事を俯瞰的に理解し、教師としての哲学を持たないと、技術しか考えられなくなってしまうのではないか。つまり、授業のみで完結させてはいけない!
生徒の努力のサポート 生徒が希望をかなえるために努力をすることは、教師であればサポートしたい。 生徒が自分の力を伸ばそうとするために努力しているのであれば、教師はサポートする。 学力向上を生徒が望んでいるのであれば、教師はサポートする。 これらは、至極当然のことです。
授業の先には、何を見ますか?
英語教師の幸せ・成長とはどのようなことなのか。
教育の視点をおろそかにすると、自分なりの答え=教師としての哲学が持てない。
カリスマ教師はいらない 教師としての哲学を持ち、担任を引き受け、授業が上手な先生が、お手本となるような先生ではないだろうか? そういう先生は、どの学校にもいます。メディアに取り上げられるようなカリスマ教師は必要ありません。
どのような先生に なりたい?
ライフサイクル(E.H.エリクソン) 乳児期(基本的信頼 vs 不信) 幼児期前期(自律性 vs 恥・疑惑) 幼児期後期(自主性 vs 罪悪感) 学童期(勤勉性 vs 劣等感) 青年期(アイデンテティ vs アイデンテティの拡散) 成人期前期(親密 vs 孤立) 成人期後期 (世代性 vs 自己陶酔) 老年期(統合性 vs 絶望)
結論 死ぬときに、「生まれてきてよかった」「自分の人生も捨てたもんじゃない」と思いたい。 人間は幸せになるために生きている。
英語教師的ライフサイクル(20代) フレッシュな時期。生徒に「先輩」と呼ばれることもある。いくら学校にいても、飽きない時期。 教務部や生徒指導部など、学校の全体の流れが見られる分掌にいれられる(たいへんです)。 自分が学んできたことと、実際の授業との間にすり合わせができない。生徒と自分との間に、英語学習に対する温度差が強く生じる。勉強しない生徒が多い学校だと、転勤をしたくなる。その逆だと、授業が楽しく感じる。
英語教師的ライフサイクル(30代) 少し、全体が見えてきて、生意気になる時期。生徒との距離感も少し出てきて、体力気力とも充実している。 学校内の仕事、修学旅行や委員会などでチーフを任されるようになる。 英語教師としては、ここから温度差が出てくる。どんな英語教師人生を過ごしたいのか、ここから個性が出てくる。
英語教師的ライフサイクル(40代) どこの学校に転勤しても「即戦力」扱いをうける。また、教師としての力量も、雰囲気に現れてくる。 学年主任や生徒指導部長などをつとめるようになる。学校運営の主体となり、若い先生の教育係にもなる。 英語教師としては、差がつく。流行追いかけ型、こだわり型、伝統型などに分かれていく。
英語教師的ライフサイクル(50代) 管理職になる人もいる。教諭のままの人は、保護会対応や管理部など、縁の下の力持ちになることも少なくない。 担任を持つ割合は減り、副担任になるケースが多くなる。 ここから、英語教師として変わる人はほぼいない(見たことがない)。授業の中での雰囲気がある人は、コントロールできる。
結論 辞めるときに、「自分は教師をしていてよかったな」と思いたい。 「生徒の成長」を伴った、自分の成長こそ、教師として、英語教師としての幸せなのではないだろうか。
20代の皆さまへの質問(1) 皆さんはどのような人間ですか。 どのような人生を送りたいですか? あなたが生まれてきた意義はなんですか? あなたの社会的役割はどのようなものになると思いますか? あなたはどのように生きて、どのように死にしたいですか? 仕事は人生でどのような役割ですか?
皆さんへの質問(2) 先生の英語力がなくても、「指導力」のある先生がいます。抜群の英語力でも、「指導力」のない先生がいます。みなさんは、どちらを選びますか? 「英語力もあり、指導力もある」というのが理想でしょうが、どちらに最初はウエイトをおきたいですか?
皆さんへの質問(3) 「経験」が大切だというなら、50代の英語の先生の指導力は誰しもが高くなるはずです。しかし、必ずしもそれはあてはまらない。 「英語教育」に明るかったり、研修会にまめに参加しているからといって、指導力が高いわけではない。 みなさんは、教師になったときに、めざす英語教師像はどのようなものですか?
皆さんへの質問(4) 誰しもが英語を必要とはしません。大学進学率が50%。進学者の約半分はAO,推薦入試で受験がなく、大学進学のために英語学習を必要とするのは、全体の20%そこそこでしょう。みなさんは、残りの80%の高校生に対してどのような英語学習の動機付けをしますか? グローバルなんていう言葉には、よく分からない生徒も多いことを忘れないで下さい。
皆さんへの質問(5) 大学での英語授業の中には、TOEIC対策をうたうものも少なくありません。コミュニカティブな英語も極めて少なくないようです。(ソース:卒業生からの話) 大学で「必要になる」という英語力のために英語を学習しろと、推薦AO希望の生徒にいえますか?
皆さんへの質問(6) 一部企業は、TOEICのスコアを入社時に求めます。しかし、大学進学をしない生徒がそういう企業に就職することは少ないでしょう。「就職のために英語学習が必要だ」と皆さんはいえますか? 人気の高い公務員で、英語が必要だということはあまり聞いたことがありません。
皆さんへの質問(7) いろいろとネガティブな話をしてきましたが、では授業はいい加減に行い、生徒の英語力をつけなくても構いませんか? いい加減な授業で、単位は落とさない先生は、もしかしたら生徒にとって「いい先生!」といわれるかもしれませんよ。
皆さんへの質問(8) 有名高校→有名大学→一流企業を目指す人が多くいます。この「方程式」は幸せに直結すると思いますか? 有名高校→有名大学→一流企業を目指す人が多くいます。この「方程式」は幸せに直結すると思いますか? 安定した収入、高い社会的地位があれば、幸せだと思いますか?
なれると思う人 本日は、あまり有意義な時間を過ごせるわけではありません。申し訳ございません<(__)>
必ずしもなれるとは思わない人 今日は、一緒に悩みましょう。特に、懇親会でこそホンネがでますから。 どうして進路実践にこだわるのか? 幸せのX㌫が進路だと思いますか? 授業がいい加減でもいいというわけではありません、念のため。
皆さんへの質問(9) さきほどの質問と同じことを伺います。 皆さんはどのような人生を、英語教師として送りたいですか?
教員免許状は、外国語(英語)という教科で私たちに与えられている。その専門をおろそかにする先生に皆さんは習いたいですか? 「自分がこれだけやっているのに」という感覚を持つと、私たちは間違える。プライベートでも、仕事でも、自分の一生懸命さの見返りを相手に求めると、それは目的からはずれて行く。
英語教員は、英語学習者としての自覚が必要であり、楽しんで英語を学習し、それを生徒には押し付けない。 授業の基本的な技術は学んだ方がいい。その上で生徒をじっくり観察すれば、適切な指導方法は見えてくる。自分が必要だと思うこと=生徒が学習すること、ではない。
私の思い込み 授業をしっかりできる先生は、生徒指導・担任もできる。生徒指導・担任ができる先生は、どんな校務分掌もこなす。(得手不得手はあり) また、部活動でも生徒をひきつける。
教育哲学を持つ 自分はどのような先生でありたいか
教師と○○は似ている? 若いときは若さで客がつくが、年を取ればテクニックが必要になる。 教師は若いときは、若さで生徒がついてくるが、年を取ると哲学が必要になる。
自分にはウソをつけない 哲学があれば、自己評価がいちばんになる。哲学がなければ、自己評価ではなく、他者からの評価を欲しがる。 自己評価が低ければ、喪失感やむなしさがある。 「勲章」にすがっても、喪失感やむなしさは消えない。
教師である自分にもウソはつけない 自己評価が確立していなければ、授業は時流に流される。 自己評価が低ければ、いいかげんな授業でさえも、
カニは甲羅に似せて穴を掘る 教師は、自分の人生観=幸福感に似せて教育をする。(ここからは、逃れにくい) 皆さんの人生観はなんですか? どのように生きて、どのように死んでいくか 人生の意義 皆さんの幸福とはなんですか? お金? 学歴? モノ? 人とのつながり? 精神的な何か?
私なりの哲学 答えがあるわけではありません
授業に対して わかりやすい授業を行えば、生徒は私たちの指導を受け入れてくれる
授業は人間教育の基礎 分からないものが分かることで、達成感を得ることができる 達成感の積み重ねで、「自分にもできる」「自分には価値がある」と思える これが、自尊感情につながる これが、向上心につながる
思春期という波乱の時期を無事に乗り越えるためには、生徒自身が「自尊心」を持つ必要があります。 長い人生を有意義に送るためには、自分の人生を自分で選ぶ必要があります。 それらを育むのが教育で、その土台に授業があるのではないでしょうか。
教師は、「生徒のため」になりがちではあるが、「自分が幸せに生きる」ことで、生徒の幸せも考えられるのではないか? 「自分の幸せ」はひとり一人に価値観があります。
教育と会社経営 理念なき経営 哲学なき教育 儲ければいいだけ 社会貢献も考えず、行動したとしても儲けのため ブラック企業 規制すればいいだけ(生徒指導) 合格させればいいだけ(進路指導)
哲学のある教育を意識して、有意義な英語教育はあるのではないでしょうか。 有意義な英語教育を行えば、その世界から離れていくときに、「自分の英語教師人生もまんざらでもなかったな」と思えるのではないでしょうか。