創造原理Ⅳ
神の愛 神を中心としてその二性性相の実体対象 として完成されたアダムとエバが一体と なり、子女を生み殖やして、父母の愛, 夫婦の愛, 子女の愛など、 創造本然の三 対象の愛を体恤することによってのみ、 三対象目的を完成し、四位基台を完成し た存在として、人間創造の目的を完成す るようになる。(原理講論 73p)
神の愛 神 ア エ 三対象の愛 体恤 四位基台を完成した存在として、人間創造の目的を完成 子女
神の愛 このような四位基台の三対象の愛におい て、その主体的な愛が、まさしく神の愛 なのである。(原理講論 73p)
神の愛 神 ア エ 三対象の愛 その主体的な愛が神の愛である。 子女
神の愛 神の愛は三対象の愛として現れ、四位 基台造成のための根本的な力となるので ある。(原理講論 73p)
神の愛 神 神の愛がその関係を通じて現れたもの。 三対象の愛 その主体的な愛が神の愛である。
神の愛 神の愛がその関係を通じて現れたもの。 神 神の愛は父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を代表します。もちろんそこには兄弟の愛も入って行って、これを拡大すれば国家や世界の愛も入って行きます。神の愛は父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛であるという言葉を言います。それが最高に素晴らしい言葉です。 (천342)
神の愛(結論) ために生きる愛ではなく、自分のためにという愛に二人とも引っかかったのが堕落です。 (原理に関するみ言1巻P74) 神の愛は三対象の愛として人間の間に現 れる。 人間の間に現れる愛は神の愛がその関係 を通じて現れただけで私のものではない。 (本然の世界) 愛を自分のものとして変えてしまったこ とが堕落である。 ために生きる愛ではなく、自分のためにという愛に二人とも引っかかったのが堕落です。 (原理に関するみ言1巻P74)
神の愛 神 本然の愛の姿 堕落世界の愛 神でない私が主体となった愛
私達が知っている愛 神 堕落世界の愛 神でない私が主体となった愛 ア エ 子女 どんなに愛しても完成も幸福もない!
真の愛 愛は神様も一人で成すことはできないの です。愛は必ず相対的な基盤を通じて成 されるのです。愛はどこから始まるのか、 自分から始まるのでなく相手から育って 行くものです。(천324)
真の愛 神 ① 神様の恩恵 ア エ ② 相手がいてくれるために ③ 私を通じて神様の愛が現れる! 子女
真の愛 愛はどこから出てくるのか?私から出て くるものではなく、 から来るもので す。 から出て来るために私が頭を下 げて、 のために生きなければなりま せん。「ために生きよ」という天理がこ こから出てくるのです。極めて高貴なも のが私に訪ねてきますが、それを受ける には、「ため」に生きるべきだという 「ために生きる哲学」を成さなければな りません。 (천325-326) 相手 相対 相手 相対 相手 相対
真の愛を実践するために 神 どんなに愛しても完成も幸福もない ア エ 自分を主体とした愛だった!! 子女
真の愛を実践するために 神 愛は私から出てくるものではなく相手から来るもの! ア エ 私が頭を下げて、相手の為に! 子女
真の愛を実践するために キリスト教は愛と犠牲により、イエスを 中心として、人間同士がお互いに横的な 授受の回路を回復させることによって、 神との縦的な授受の回路を復帰させよう とする愛の宗教である。 (原理講論53p)
真の愛(結論) 愛は相手から来る。 私が頭を下げて相手の為に生きなければ ならない。 私に訪ねて来る神様の愛を受けるために、 相手を敬い、為に生きなければならない という「為に生きる哲学」を成さなけれ ばならない。
肉身生活の意義 人間は地上で完成され、神の愛を完全に 体恤して初めて、肉身を脱いだ後のその 霊人体も神の愛を完全に体恤することが できるようになるのである。(原理講論8 7p)
肉身生活の意義 神 ア エ 堕落世界の愛 子女 自分を主体とした愛 神様の愛を体恤することができない!
肉身生活の意義 神 ① 神様の恩恵 ア エ ② 相手がいてくれる為に ③ 私を通じて神様の愛が現れる! 子女
肉身生活の意義(結論) 私を通して神様の愛を現すべき! 相手がいてくれるべき! 神様に侍る姿勢、謙遜さ 相手に対する感謝、尊重 相手の為に生きる生活
整理 み言のとおりに生きる統一食口の姿 ・自己の愛でない神様の愛を現そうとする姿 ・その愛を感じるようにしてくれる相手に感謝して大切に思う姿 ・相手の為に生きる生活
整理 み言のとおりに生きる統一教会の姿 ・相手の為に生きることによって、神様の愛を現そうと努力する人たちが集まる教会。 ・神様の愛が目に見えるようにいっぱいに満ちた教会 ・神様が共に暮らす教会
ありがとう ございました