「方向感覚」研究のパラダイム 見直しに関する一提案 ― SDQ-Sの利用にかかわって ― 加藤義信 (愛知県立大学文学部)
1.「方向感覚」を研究するとは どういうことか 1.「方向感覚」を研究するとは どういうことか 1‐1.方向感覚は「感覚(sense)」ではない。 ・なぜ「方向感覚(sense of direction, sens de l’orientation)」というのか? かつては、「方向感覚」は、空間内の移動にかかわって働く勘のようなものとして考えられていたのではないか? 近代以前、森の中、広々とした草原、砂漠等の均質にして物的手がかりの少ない空間においては、自然が与えてくれるわずかな手がかりに頼らざるを得なかった。そうしたわずかな手がかりは「感覚」されるものであった。 Baker(1977)のように、人間のこうした感覚(とりわけ、磁力線を感知する生得的な能力)の存在を信ずる研究者もいる。
しかし: 現代においては: ①移動とは人工的環境の中での移動であること、 ②移動の際に利用できる外的情報源が多様に用意されていること、 ①移動とは人工的環境の中での移動であること、 ②移動の際に利用できる外的情報源が多様に用意されていること、 の2点から、かつてと「方向感覚」が問題となる状況は一変してしまった。 自然がかすかに与えてくれる情報(風の向き、植物の匂い、天体の位置etc.)から目標地点の方向を推定したり、現在地点を特定することなど、いまやほとんど問題にならない! 人間の移動は、抽象的な空間で行われるわけではない。文化的・歴史的に条件付けられた具体的な生活空間において行われる。したがって、「方向感覚」が、移動パフォーマンスにかかわる用語として生まれ、用いられてきたとすれば、いまや移動の展開される現代の生活空間がいかなる性質を有するかを抜きに、それを語ることはできない。
1‐2.日常語の「方向感覚」とは、大規模空間内で目的をもって移動する際、そのパフォーマンスの効率水準をさすことばである。 方向感覚が悪い→ 目的地にたどりつけない、たどりついたとしても著しく効率(時間、心的疲労など)が悪い。 目的地にたどりつくためには何が必要か? ①出発点ないし他の参照点と関係づけた現在地のモニター ②現在地あるいは他の参照点と関係させた目的地の位置情報 ③現在地から目的地へと移動するためのプラン ④移動に伴うそのプランの不断の更新 etc., etc.・・・・
1‐3. 「方向感覚」の心理学的研究とは? 「方向感覚」を心理学的に研究するとは、つまるところ: 大規模空間における移動パフォーマンスの効率を規定する要因を、環境の側よりも個人の側に焦点を当てて行う研究のことである。 ↓ 個人の側に焦点を当てるということは、移動パフォーマンスの個人差の原因を探ることでもある。
2.これまでの「方向感覚」研究の陥穽 これまでの研究は、移動パフォーマンスの個人差を、もっぱら個人内のベーシックな空間諸能力の差や性格などの個人特性の差の反映と想定して、「犯人探し」をしてこなかったか? 自戒を込めて例を挙げれば: Kato(1987), 加藤(1989),加藤(1990)など SDQ-Sに代表される「方向感覚」質問紙と、ベーシックな空間認知課題(心的回転課題、空間記憶課題、景観再認課題、方向判断課題、距離推定課題)や知能テスト、性格テストの成績との関連をみる研究パラダイムの定着 ↓ 「犯人」は見つかる場合もあるし、見つからない場合もある! 詳しくは、松井(2004)のレヴュー参照
“犯人探し”型の研究 その1: 加藤(1988) 方法: 結果: “犯人探し”型の研究 その1: 加藤(1988) 加藤義信(1988) 大規模空間における方向感覚能とミニチュア空間における基本的な位置記憶能力の関係,日本心理学会第52回大会発表論文集,P.261. 方法: 方向感覚高低各群に、位置記憶課題(6×6のマトリックス上に16個のミニチュアのおもちゃが配列されていて、これを1分間観察して、何がどこにあったかを覚える課題)を実施。 結果: 項目再生数と位置再生数に両群間で傾向差あり。
“犯人探し”型の研究 その2: 加藤(1990) 加藤義信(1990) 大規模空間における方向感覚能の個人差を規定する要因について-ミニチュア空間における位置関係構成能力との関連の検討-, 日本心理学会第54回大会発表論文集,P.541. 方法: 方向感覚高低各群に、相対的位置継時記憶課題(Chain条件とNon-Chain条件)を各条件16試行ずつ計32試行実施。 結果: Chain条件、Non-Chain条件ともに、両群間に有意な成績の差あり。
加藤(1990)の実験結果 相対的継時位置記憶課題での位置情報提示条件別にみた方向感覚高低各群毎の平均正答数
“犯人探し”型の研究 その3: 加藤(1987) 方法: 結果: 2)高群は低群よりもランドマークの記憶において優れている。 “犯人探し”型の研究 その3: 加藤(1987) Microgenèse de la carte cognitive et sens de l’orientation, Revue de Psychologie appliquée, vol.37, No.3, 261-282. 方法: 地方都市郊外を車で移動。助手席から移動中の景観をビデオカメラで録画。そのテープ(約4分)を実験室で再生することによって、方向感覚高・低2群に経路学習を行なわせる。5試行実施。各試行後にスケッチ・マップを行なわせる。 結果: 1)方向感覚高群は低群より経路を早く学習。 2)高群は低群よりもランドマークの記憶において優れている。 3)高群は記憶したランドマークを地図の構造化に有効に利用している。 (高群では、認知地図の構造化の指標である「ネットワーク」の数とランドマークの再生数との間に相関あり。低群では、なし。)
加藤(1987)の実験結果 方向感覚高低群別にみた 正確に経路を描いた人数の試行にともなう推移
加藤(1987)の実験結果 ランドマーク得点(中央値)の試行にともなう変化
加藤(1987)の実験結果 方向感覚高低群別にみた各指標間の相関係数
3.研究パラダイム転換の必要性 「私たちは環境の中を移動するとき、(意識的、無意識的に)何を行っているか?」 人工都市空間である私たちの生活環境内の移動パフォーマンスを問題とするのであれば、まず知るべきは以下の点。 「私たちは環境の中を移動するとき、(意識的、無意識的に)何を行っているか?」 実際の移動中にはその発揮がほとんど問題にならない空間能力もある。 パフォーマンスの効率性に実際にはかかわっていない能力との関連をいくら測定しても、結果がpositiveに出ようが negativeに出ようが、意味がないのでは? eg.方向判断課題の妥当性 都市大規模空間での移動中に現在地点をモニターするのに、出発点との直線的な方位関係を特定する必要はないし、仮に必要となる場合があっても、ふつうは高い精度を必要としない。
4.筆者の提案する研究ストラテジー 実際の移動中に人は何を行っているか、虚心坦懐にまず観察する必要 その上で、移動パフォーマンスの効率性にrelevantな要因とirrelevantな要因を移動空間の性質との関係で、考察・整理してみる。 さらに、問題を解きほぐして実りある研究を行うために、relevantであると思われる諸要因を中心に、移動パフォーマンスの個人差を規定していると思われる要因階層モデルを構築してみる。 さらにモデルに基づいて、どのようなコンポーネントが移動パフォーマンスの個人差にどの程度貢献しているかを検討する。
「移動パフォーマンスの個人差」要因関連モデル Kato & Takeuchi, Individual differences in wayfinding strategies, Journal of Environmental Psychology. 23(2003) 171-188.
5.このような研究ストラテジーから SDQ-Sを見直してみると(1): どのように利用できるか? ・ さしあたりは、移動パフォーマンスの著しく高い人、低い人のスクリーニングテストとして利用。質問紙から選別された「高い人」、「低い人」の実際のパフォーマンスは調べて、真性の「高い人」「低い人」を特定し、さらにその人たちのパフォーマンスがそれぞれどのようなコンポーネントに由来するかを探る。 ・ 移動パフォーマンスの効率性に影響を与えるコンポーネントが明らかになった段階では、その結果を質問紙の改良にフィードバックする。改良質問紙のスクリーニングの精度はそのことによって上がるであろうから、これを「低い人」「高い人」の診断に役立てることも可能であろう。
5.このような研究ストラテジーから SDQ-Sを見直してみると(2): 利用のためには、どう改良できるか? 上記のような利用目的にそって考えれば、SDQ-Sは移動パフォーマンスを中心に問う項目群より構成されるべき。 尺度構成の際の項目選定が当該の現象にかかわる多様な経験を問うところから出発するとしても、その経験の問い方はおそらく理論負荷的であることを逃れ得ない。したがって、項目として何が問われ、何が問われないかによって、抽出される因子も異なってくる。 特定のモデルを念頭において、問うべき経験項目を精査・再検討してみることも必要ではないか?
6.現行のSDQ-Sは? 現行SDQ-Sは、実にさまざまな水準の項目群よりなる。経験、や行為の頻度、能力の自己評価が含まれる。 (その水準の多様性が、素朴概念としての「方向感覚」の概念の内包の明確化に役立ったという面はある)。 例えば: ・具体的場面での現在地定位に関するパフォーマンス評価 eg.「ホテルや旅館の部屋にはいると、その部屋がどちらの向きかわからない」 ・特定能力の一般的自己評価 eg.「所々の目印を記憶する力がない」 ・方略的行為の実行の有無 eg.「道を曲がるところでも目印を確認したりしない」
7.SDQ-S改良の提言 Ⅰ 能力評価の項目とパフォーマンス評価の項目が混在しているので、後者に統一する。 理由: 理由: ①能力の自己評価よりも具体的な場面でのパフォーマンスの自己評価のほうが一定の信頼性を期待できる。 ②方向感覚研究の最終目標がパフォーマンスの背後にあるメカニズムを明らかにすることにあるのなら、質問紙による研究の果たす役割は、まずパフォーマンスレベルからその背後の共通因子を特定していく手がかりを得ることにある(現象から見えざる要因の特定へ)。したがって、はじめからその共通因子のひとつとして想定される蓋然性の高い能力について直接問う項目は入れないほうがよいのでは?
7.SDQ-S改良の提言 Ⅱ 先のモデルからすると、移動者の環境に関するメタ知識や個別知識についての項目、方略利用に関する項目群を多数用意することによって、新たな因子が抽出される可能性がある。 (村越,2002の「土地勘」因子など) どのような移動空間にもあてはまる項目群と、特定の移動空間の性質に依存する項目群の両方を意識的に導入する。 (松井,2004の「均質環境での定位」因子などの抽出の可能性)
8.SDQ-Sを利用した具体的研究 Kato & Takeuchi (2003) Individual differences in wayfinding strategies, Journal of Environmental Psychology, 23, 171-188. 移動中の発話分析を通してみたwayfinding performanceの個人差を検討。 方法 ①SDQ-Sにより方向感覚高低2群を選別。 ②その人々を1回目は実験者先導で経路(一周約20分)を移動させる。2回目は単独移動を求める。 ③2回目の結果に基づき、実際にパフォーマンスの高い人(genuine good performer;GGP)と低い人(genuine poor performer;GPP)を抽出。 ④移動中の発話プロトコルを分析することによって、その人々が意識的、無意識的に移動中に用いている方略を検討。
8.SDQ-Sを利用した具体的研究(続き) Kato & Takeuchi (2003) Individual differences in wayfinding strategies, Journal of Environmental Psychology, 23, 171-188. 結果 (2回目の移動時の発話プロトコルの数量的分析) ① genuine poor performer はgenuine good performerに比べて「あいまいな想起」や「不安」の発話比率が高い。 (経路知識の不十分さや自己の移動能力にたいする自信のなさを反映) ②genuine good performerはgenuine poor performerよりも環境内の対象の能動的想起を示す「再生」のステートメントの比率が高い。受動的想起を示す「再認」のステートメントの比率は両群で差なし。 (移動の際に働くautomaticな記憶プロセスには個人差は少ない可能性)
8.SDQ-Sを利用した具体的研究(続き) Kato & Takeuchi (2003) Individual differences in wayfinding strategies, Journal of Environmental Psychology, 23, 171-188. 結果(発話プロトコルの質的分析) genuine poor performer 事例MA: 50以上の同じような建物が並ぶ団地内の移動で、建物ナンバーを目印として覚えようとする。第1試行前半では全発話の実に48.5%がこのような発話で占められる。 “30番(の建物)のところを右折して、32番を左” “こうきて、まっすぐきて、30番、32番、こうきて41番、で、40番か。” 不適切な方略利用で移動開始→途中でその不適切性を意識化→とまどい→適切な方略への切り替え行われず→終了
8.SDQ-Sを利用した具体的研究(続き) Kato & Takeuchi (2003) Individual differences in wayfinding strategies, Journal of Environmental Psychology, 23, 171-188. 結果(発話プロトコルの質的分析) genuine poor performer(続き) 事例IE 発話量が全体で少なく、しかも非視覚刺激(匂い、音など)への言及が目立つ。 “ああ、この匂い、あまり好きじゃない” 「不安」の表明や「依存的発話」も目立つ。 “先生、これさっきのところですよね” IEは、第2回目の移動での「再認」の発話率が「再生」の発話率を上回った唯一の被験者。 (移動中の記憶の受動性が高く、意図的想起に困難をきたした様子がうかがえる。)
8.SDQ-Sを利用した具体的研究(続き) Kato & Takeuchi (2003) Individual differences in wayfinding strategies, Journal of Environmental Psychology, 23, 171-188. 結果(発話プロトコルの質的分析) genuine good performer 事例WA 絶対座標系の活発な利用が特徴。 “南西の方かな。・・・向こうに太陽があるから。2時ぐらいだから。” 発話のほとんどを推論的な発話が占める(76.0%)。「範囲」に関するコメントが出現している点も特徴的。 “だいたい時計と逆の回り方で、団地を南側から東に行って、北へ行って、西にいって、南に行って、戻ってくるという感じかな” 目印への言及発話が多いだけでなく、そのうちのあるものは他の被験者が注目しない対象で、詳細な記述となっている。 “黄色い壁のおもちゃの前を、切り株のあるところを通って。”
9.新しい研究アイデアの示唆 9-1. モデル中のknowledge on external worldに焦点を 当てた研究の提案 基本仮定 1)移動中に行われる推論は、リアルタイムで与えられる情報と既存の環境知識スキーマとの絶えざる対話である。 2)ここでの推論とは、機知の環境知識とリアルタイムで与えられる情報との照合から、移動目的に沿った一時的結論を導くことである。 3)既知の知識にはさまざまなレベルがある。 ・汎用性の高い、一般的な環境に関する知識 ・移動中の環境に関わる特殊な、その場だけに通用する知識 4)一般的な環境に関する知識の中には、意識的に利用される知識と暗黙のうちに利用される知識がある。 5)暗黙のうちに利用している一般的な環境に関する知識は、環境知識スキーマとして働き、移動パフォーマンスの促進要因にも、妨害要因にもなりうる。 6)環境知識スキーマには、さまざまな種類がある。 eg.建物スキーマ ・・・・例:学校は長方形で3階ぐらいの建物 ○○位置スキーマ・・・例:市役所は広い道路沿いにある。 名称スキーマ 例:「稲沢東小学校」は(自分の現在地の)東にある。
9-2. 仮説 poor sense of direction(移動パフォーマンスの効率性が恒常的に劣る状態)の原因の一部には、こうした推論過程に問題のあることが考えられる。 ・活発な推論過程の不在 ・推論過程に用いられる環境知識スキーマの乏しさ ・環境知識スキーマの著しい歪み ・環境知識スキーマの可動性の低さ(思い込みが激しい) ・環境特殊的な情報取得のスキルの低さ ・環境特殊的な情報と環境知識スキーマとの照合に必要な基礎的空間能力の不足(心的回転能力など)
9-3. 参与観察的予備実験 (誰か続きをしませんか?) 9-3. 参与観察的予備実験 (誰か続きをしませんか?) 方法: 参与観察協力者に、まったく行ったことのない町の駅に降り立って、あらかじめ渡された封筒に書かれている3つのポイントを順に巡って駅に帰ってくるよう依頼する。観察協力者は、移動のために現地で得られるどんな外的情報の利用も許される。移動中はthink-aloud法による発話をすべて録音し、これを後に分析。対象となった町は、愛知県内の12箇所。 結果: 移動中には様々な環境知識スキーマを用いた推論が行なわれる。スキーマ利用が適切に行なわれるか否かが移動効率に大きく影響。 例1: 学校を探す→<学校は3階建てぐらいの長方形の建物>→ そのような建物に注目する→結果(+) 例2: 市役所を探す→<市役所は広い道筋にありそうだ>→交差 点で広いほうの道を選択→結果(-)