メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 2018年11月1日(木) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
2.9マクルーハンの延長上に IoT(モノのインターネット)あり IoT:Internet of Things(モノのインターネット) 「従来は主にパソコンやサーバー、プリンタ等のIT関連機器が接続されていたインターネットにそれ以外の様々な"モノ"を接続すること」 (http://mono-wireless.com/jp/tech/Internet_of_Things.html) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
IoTの概念図 (http://mono-wireless.com/jp/tech/Internet_of_Things.htmlから借用) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
Internet of Thingsとマクルーハン 「モノのインターネット(Internet of Things : IoT)により、センサーと通信機能を持ったモノ達、例えば、ドアが「今、開いているよ。」猫が「今寝ているよ。」植物が「喉が渇いたよ。」等とつぶやき始めるのです。これらの情報をインターネットを介し様々な場所で活用することができます。 」 (http://mono-wireless.com/jp/tech/Internet_of_Things.html ➡人間拡張の原理の現状での究極かと。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) あるいは現代の魔法使いの次の発言 「究極は、人間にIoT経由の通信機能を持たせる、あとは身体を用いて選んでいく。「あ、洗剤が切れた」となったら、その時点で商品が届くような社会です。ボタンを押す必要すらなくなる、そういった社会にするにはどうするかが、すごく重要な課題だと思っています」。https://logmi.jp/business/articles/173117 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 私のつぶやき(評価) ただしこういうものを「薔薇色の未来」とはみなしたくない(G) まず、これらのものはウイルス、マルウェアに無防備といわれる また、これらの情報は、表面上は、個人対猫、個人対暖房機器、個人対要介護高齢者 しかしそれらが自動集積されて、ビッグデータとして、企業や行政に利用される 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) また個人へのお薦めや最適化ということも当然想定される カスタマイズされたもの、パーソナライゼーションされたもののみ我々が触れるようになり、そうでないものに触れられない、フィルターバブル同様の状況に陥らせる可能性、大。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) フィルターバブル 「インターネット検索サイトのアルゴリズムが、ユーザーの情報(所在地、過去のクリック履歴、検索履歴など)に基づいてユーザーが見たい情報を選択的に推定するような検索結果を出すことが原因で、ユーザーがその人の観点に合わない情報から隔離され、実質的に彼ら自身の文化的、思想的な皮膜(バブル)の中に孤立するようになっていくこと」 (ウィキペディアの定義を一部省略) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
2.10メイロウィッツ 場所の意識の喪失した(壁のない)世界 2.10メイロウィッツ 場所の意識の喪失した(壁のない)世界 ジョシュア・メイロウィッツ『場所感の喪失』(1985邦訳2003)・・・(マクルーハンとゴフマンの影響を強く受けたと自ら語る) 伝統社会・・・分離による秩序付け・・・表領域vs裏領域(これはゴフマンの着想)、公的vs私的、上位vs下位、男vs女、大人vs子供。あと表領域はそれぞれの専門を隔てる壁もある 電子メディア時代・・・このような分離を取っ払う感覚を与える 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 「ハロルド・イニスの『Empire and Communications (帝国とコミュニケーション)』(1950年)によって提起されて議論を呼んだ「メディア理論」の業績が重要性を増し、マーシャル・マクルーハンの『メディア論 (Understanding Media)』(1964年)で広く知られるようになった。この観点は、後年のジョシュア・メイロウィッツの業績(『場所感覚の喪失 (No Sense of Place)』1986年など)に受け継がれた」(ウィキペディア「コミュニケーション学」はイニス→マクルーハン→メイロウィッツと系譜づけている) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 政治家の執務室、教授の研究室、弁護士の事務所、医師の医局・・・従来権威のあるもの 表が見えて裏が見えないから権威が成り立った(その典型が「神秘のヴェール」) (現代)表領域と裏領域の境界線、消失 マクルーハンの人間拡張の原理の延長で、我々の視覚の延長上に、裏領域まで通じる感覚をもつ。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) そうすると、政治家や弁護士の表の仕事の領域と裏の領域の区別も認めなくなるし、自分らの視覚、視神経の延長上にそれらの執務室や事務所があると感じて、隠すことによる権威というものが成り立たなくなる。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
3. メディアの定義と諸相 3.1 メディアの辞書的定義のいくつか 3. メディアの定義と諸相 3.1 メディアの辞書的定義のいくつか 3.1.1稲葉三千男の定義① 二通りの「メディア」 1)神と人の媒介(垂直方向) 2)人と人との媒介(水平方向) (『コミュニケーション事典』(1988、平凡社)の「マス・メディア」の項目) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.1.1稲葉三千男の定義② 1)神と人の媒介(あるいは媒介に必要な媒介項)・・・媒介項は<みこ><霊媒><預言者>など・・・(以下、後藤の補記)異質的な媒介をする媒介・・・異質なままだとメディウム。他方、媒介項を飛び越えて、直接媒介可能と考えるとミッテルに (稲葉氏は中井正一のミッテルについての論文も書き、先述のマクルーハン批判もした、元東大教授) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.1.1稲葉三千男の定義③ 2)人と人との媒介(あるいは媒介に必要な媒介項)・・・媒介項は送り手と受け手との中間にあるもの・・・同質的な媒介をする媒介・・・ミッテルの媒介、媒介物はメディウム 2-1)媒体材料 (例)音波に対する空気、文字に対する紙 2-2)媒体材料に情報が加えられたもの (例)新聞、雑誌、パンフレット、レコード、映画、ラジオ、テレビ 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.1.1稲葉三千男の定義④ 「媒体media(メディウムの複数形)とは,もともと<中間にあるもの>または<中間>を意味した.神と人との中間にいてなかだちをする<みこ><霊媒><預言者>なども含まれる」(稲葉 1988 498)・・・1)の方に相当するメディア この「神と人との中間」にいるものという部分を「送り手と受け手の中間にあるもの」とよみかえて、稲葉は議論していく。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.1.1稲葉三千男の定義⑤ 「対面集団face to face group内での会話や音楽会場での演奏などだと、空気が音波のメディウムで、手紙や遺言状だと紙が文字のメディウムである」。さらに印刷術の発明にともなって「新聞、雑誌、パンフレットなどの印刷物が」最初のマス・メディアとして登場する。つぎにレコードや映画が登場するが、これらはいずれも「物体として持ち運びができるという意味でパッケージ型である」。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.1.1稲葉三千男の定義⑥ 他方ラジオやテレビはパッケージ型ではない。またフィルムや電波の情報を再生するための再生装置は「送り手と受け手の中間にあるもの」であるので、マス・メディアに含めうるという。さらに「マス・メディアがマス・コミュニケーションとまったく同義に使われることも少なくない」。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.1.2上田修一の定義 1)メディア=媒体 2)メディア=従来からのマス・メディア 1)2)共に「情報を運ぶ乗り物」 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.2メディア概念の諸相1 メディア・・・表層、表象・・・例、「流行は時代を表すメディア(鏡)だ」 表現・・・「芸術作品は作者の心を表すメディア」「時代の空気を表すメディア」・・・マクルーハン、中井はじめ、元来、芸術研究の人がメディア論に赴く理由(稲葉三千男教授も一高・東大時代、大岡信、日野啓三らと同人誌で活躍) Mediate「媒介する、取り持つ」・・・ならば酒、カラオケ、ゲーム、美味しい食事、夜景、格好良い車も「メディア」?!!飲みュニケーション、太鼓持ち(幇間(ほうかん) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) メディア概念の諸相2 太鼓持ち(幇間(ほうかん)・男芸者)や仲人・・・メディアの典型とも 人を表すメディアは?・・・服装、表情、顔、スタイル、容姿 そもそも人(というか動植物)・・・遺伝情報を選ぶ(運ぶ)ためのメディア←窮極的な見方 良い遺伝子が欲しい・・・美男美女・頭の良い人・スポーツのできる人を「すてき」と思う本能の成立の理由 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) メディア概念の諸相3 人の中枢は脳、その脳を模したコンピュータ・図書館もメディア そもそも先述の、服装、表情、顔、スタイル、容姿を「メディア」という語で表すのが適切?→表現?サイン? 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.3メディアの対概念の多義性1 メディアの対概念は?・・・典型は「情報」 マクルーハンなら「メッセージ」 では「メッセージ」とは何?・・・思考、情報の意味・・・解釈を伴う(情報は解釈を必ずしも伴わない・・・データ概念にも近づく)・・・コード(=文法・読み解き方)理解必須、コンテクストも。 解釈なき情報はありうるか否か?そもそもそう考えると情報は「もの(対象として分離できるモノobject)」なのか・・・やや疑問 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.3メディアの対概念の多義性 ・・・ただし読まれない情報はあるし、先述の物財の情報性も →読み取り機械の保管の問題とも関連する。読み取りするリーダとデータ双方を保管する必要性(実際、図書館・資料館の大きな課題) ・・・読み取る側も読み取られる側も双方メディア(→マクルーハンのメディア概念の重層性に) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 4.メディアからマス・メディアへ 4.1中井正一のメディア論、マクルーハンのメディア論の纏めと、マス・メディア論への視座(示唆) 4.1.1マス・コミュニケーション論とマス・メディア論(そもそもはあまり分けて専門家も使っていないと思われる) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
4.1.1マス・コミュニケーション論とマス・メディア論 マス・コミュニケーション論の大きな問題関心・・・受け手の主体性をどう捉えていくか? べき論(Sollen)・・・メディア・アクセス権の主張、公共圏、コミュニティ・メディア論 (CATV、死語となった「ニューメディア」論)・・・受け手の主体性をいかに確保していくか 実態論(Sein)・・・効果論研究や「利用と満足」研究・・・受け手が本当に送り手のいいなりになっているのか? 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) メディア・アクセス権 ジェローム・バロン『誰のためのアクセス権か』(邦訳1980原著1973)Jerome A. Barron(1934-) 合衆国憲法修正1条の新しい解釈を 古典的言論の自由論・・・政府からの自由 VS 現代の言論の自由論・・・マスメディアからの自由+マスメディアへの自由 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 特に放送の公平原則(公正原則)を軸に議論を展開・・・制度的に公平性が求められるのが放送・・・国民の共有財産としての電波 cf(「発掘!あるある大事典」の納豆騒動(2007/01/07)での菅義偉総務大臣(当時)の発言等) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 公共圏 ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』 (原著1962、邦訳1973)Jürgen Habermas(1929-) ハンナ・アレント(1906-75)の言論のギリシアモデルを下敷きに オイコノミーの意味 17-18世紀啓蒙期、公共圏が成立 先駆けとしての文芸的公共性(芸術の利害関心のなさ→とらわれのない自由な討論) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) その自由な議論をする場・・・貴族や資本家等上流階級のサロン、カフェ、パブ 貴族と上層市民が対等に話し合える場-公共圏の成立 次第に話題が、文芸のみならず政治・経済に 政治的公共性の成立→市民革命の基盤に→市民社会、自由と平等な近代の成立 公共圏参与資格・・・教養と財産 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 参与資格のある人々だから、利害関心にとらわれないという意味でも自由な討論ができた。(文芸的公共性でそれが訓練される・・・利害関心のない芸術) 19世紀・・・公共圏の変容の時期 チャーチスト運動等、選挙権の拡大。 公共圏の拡大 利益配分が政治の課題に 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) ハーバーマスのこの著書への評価 出版から半世紀以上経つが、未だに頻りに肯定的に引用される 近代や民主主義の意味を考える際の根本的な問題提起をしていると。 近代の理想・・・「自由」と「平等」・・・この二つが矛盾なく存在したのはなぜか?矛盾が生じたのはどうしてか?←この問への答えを示唆 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) この問いの一環として「未完の近代」というハーバーマスの着想がある。 「自由」と「平等」双方の成立する近代→未だ完成途上 この考え方は脱近代・ポストモダン派と論争にもなった 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
マス・メディア実証研究の主流 -効果論研究 1)弾丸理論・皮下注射モデル・・・ナチズムやオーソン・ウェルズ「火星人襲来」が背景に 2)限定効果説 カッツ&ラザースフェルト マス・コミュニケーションの二段の流れ仮説 「オピニオン・リーダ」「小集団(準拠集団)」 3)強力効果説(2.に較べて相対的に「強力」という意味)新しい効果論 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 強力効果説についての主な2つ 3)強力効果説 3.1)アジェンダ・セッティング(議題設定機能)仮説 3.2)沈黙の螺旋状階段 の2つが有力 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
3.1)アジェンダ・セッティング(議題設定機能)仮説 アジェンダ・セッティング仮説・・・議題設定機能(マコームズとショー(1972)) マス・メディアは議題(イッシュー)の提示に大きな機能/イッシューの賛否には影響与えない(「強力」効果論といっても・・・) しかし 賛否に関係ないとはいえ、実質ある事柄の賛成派・反対派のいずれかを利することに 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
アジェンダ・セッティング機能が成り立つと影響が「強力」になる実例 1)女系天皇・女性天皇をもう政治課題にしないとの安倍元首相の意向→メディアが受け取る→報道を減らす→結果的に、女性天皇に反対する自民党の一部勢力の意見に有利な状況を作り出す(前任の小泉元首相はやや前向きだったのに) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 2)憲法改正論議・・・従来、国会において議論すらタブーであった→今はそれを議論すること自体は与野党共に合意→議論する中で、(社民党、共産党、立憲民主党を除いて)与野党共に改憲そのものも(9条に触れるか否かは別にして)否定はしない(テレ朝の姿勢「テレビタックル」等) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3)日本の核兵器保有・・・憲法同様、論じること自体がタブー→北朝鮮の核保有という事態→核保有の是非を論じることそのものは国会においてもマス・メディアにおいてもタブーではなくなってきている。 (背景)政府や与党が、アジェンダを決めていき、それに大手マス・メディアが追随している現状 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 万年野党と思われた民主党政権が出来た ←「政権選択」が、アジェンダに(2009年)。 それを防ごうと麻生太郎(当時首相・現副首相)は「政権選択よりも政策を」と叫んだが。 どちらに入れるべきかはマス・メディアは語らない/だけど「政権選択」がイッシューに→民主党政権の芽が出る 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 2017年の総選挙 森友、加計問題を争点にしたい野党・リベラル派マスメディア(「朝日」等) VS 北朝鮮の挑発的行為への防御→改憲の必要性を争点にできると踏んだ政権与党 →北朝鮮の金正恩委員長は結果的には安倍の応援をしたことに(マートンのいう逆機能) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 3.2)沈黙の螺旋状階段仮説 サイレント・マジョリティ 黙っている多数派と、饒舌な少数派 見かけ上の多数派はどちら? 「人は孤立をおそれる動物」(ノエル・ノイマン) 多数派(見かけ上の)に少数派がどんどんなびいていく 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 「 「勝ち馬に乗る」「長い物には巻かれよ」という格言は、沈黙の螺旋が昔から存在していたことを示している」(ウィキペディア) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 沈黙の螺旋状階段仮説と現代の状況 検索エンジンやアマゾンのお薦め、さらにSNSの友だち候補紹介で、自分の気に入ったもののみ選ばせる・・・パーソナライゼーションやフィルターバブルの進展する状況・・・見るニュースも、発言を共有する仲間も似た者同士の集合・・・似た者の島宇宙が乱立・・・その島宇宙それぞれでは沈黙の螺旋が生じる。異論のいいにくいネット社会 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 用語「フィルターバブル」 「インターネットで、利用者が好ましいと思う情報ばかりが選択的に提示されてしまう現象。サーチエンジンなどの学習機能によって、利用者の望む情報が優先され、望まない情報から遠ざけられることにより、自身の作り出したフィルターで泡(バブル)のように包まれて、思想的に社会から孤立するさまを表す。米国の活動家イーライ=パリサーが自著で用いた造語」(デジタル大辞林) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
効果論→マス・メディア論、メディアの棲み分けの議論 [べき論]・・・大資本によるマス・メディアVS 小資本による地域メディアという対立図式 あるいは不特定多数への新聞VS 多様の少数者への出版といった図式 公平原則のある放送(義務としての公平中立)VS 義務ではなく自由だが公平中立を主体的に(信用と売れ行きと戦時中の経緯の名残のため)標榜する新聞VS 自由かつ中立性も気にしなくて良い出版 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) このような中において、携帯やネットといった新しいメディアはどのように位置づけられるのか?・・・そもそもワンセグに代表されるように、こういったメディアの分類そのものを無効にするのが、スマホ・携帯やネットであるともいえる(マルチメディアの一つの意味) 放送の範疇か通信の範疇か 発信側の意識としては通信部分が強いが、受信側も制度の側も放送の面が強い 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) →限定効果論は「パーソナル・メディア(会話)vsマスメディア」という図式を前提に ネット社会のネットはパーソナル?マス?(有馬哲夫・早大教授)(放送法か通信制度かいいずれの統制の下に置かれるべき存在かという問題にも照応) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) [実態論] 効果論・・・それぞれの時期における主流のメディアが会話(双方向性の典型のメディア)との比較対象とされ、調査対象に 理論枠組上はメディアの区分(どれが良いかといったべき論のような)はない・・・(テレビ=良いメディア;活字=悪いメディアとする、マクルーハンとは違って) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) しかし限定効果論-「べき論」としてあった受け手の主体性-を実証レベルで再認 他方、児島和人「パーソナル・インフルエンス再考」で問題点も指摘 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
4.2.2 マクルーハン、中井の示唆と受け手の双方向性 双方向性・・・マクルーハン、中井ともに重視。マクルーハンは解釈の自由から来るもの(文学研究がもと)。中井も印刷本や映画といった機械技術によるメディアの解釈の多様性。 対等性と双方向性 中井のミッテル・・・対等性・水平性・・・マクルーハンの冷たいメディアに近い 中井のメディウム・・・垂直性・・・熱いメディアに近い 垂直性に対する水平性 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
中井のメディウム、ミッテル概念の再掲① (第1回配付資料8-9) 中井のメディウム、ミッテル概念の再掲① (第1回配付資料8-9) メディウム的 vs ミッテル的 媒介物・媒体 コミュニケーションする モノ的 コト的 固定 流動 理論・体系 実践・素材 知識人 大衆 本 対話・会話 安定的 自己否定的 メディア社会文化論・筑波大知識情報・図書館学類・担当・後藤嘉宏
中井のメディウム、ミッテル概念の再掲② (第1回配付資料8-9)(最後の2行は新たな追加) 中井のメディウム、ミッテル概念の再掲② (第1回配付資料8-9)(最後の2行は新たな追加) メディウム的 vs ミッテル的 身分的 流動的 実体概念的 機能概念的 知識人と大衆の断絶 知識人と大衆の互換性 一方向性 双方向性 同次元のなか 異次元に飛び込む 個人での弁証法 対話としての弁証法 内なる言葉 外なる言葉 メディア社会文化論・筑波大知識情報・図書館学類・担当・後藤嘉宏
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 中井正一のNDL時代の肖像写真(http://www.geocities.jp/m_ikinobu/kyoudokenkyu/kaihou22.htmlとhttp://www.google.co.jp/imgres?hl=ja&sa=X&tbo=d&biw=1280&bih=709&tbm=isch&tbnid=taOm6r5VMCecOM:&imgrefurl=http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1068.html&docid=BJJ1ouK9FqyEIM&imgurl=http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/image2/senya1068/106806.jpg&w=118&h=140&ei=A5DZUKSvK8zRkgXrmYD4AQ&zoom=1&iact=hc&vpx=12&vpy=167&dur=20&hovh=112&hovw=94&tx=46&ty=56&sig=100990456428961348754&page=1&tbnh=112&tbnw=88&start=0&ndsp=19&ved=1t:429,r:0,s:0,i:85) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 〔メディウムの媒介〕 垂直性(神と人)(死者と生者)(後世の人へのコミュニケーション)(貴族と平民)(知識人と大衆)etc次元の異なる者相互が交わらずに場所・領域としてのみ存在している状態 (それら相互に動き・交流があればミッテル) 小難しい理論やそれを載せた媒体は基本的にはメディウムの媒介物 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 〔ミッテルの媒介〕 対等性と双方向性 interactivity 透明な媒介 1)基本的に次元の同じ者のやりとり 2)次元の異なる者を同じと見なして行うやりとり(『土曜日』) しかし次元の本来違うものが対等性を発揮しようとするから、その壁こえのエネルギーが意味を持った。(以下は後藤の見解・・・今は逆。単なる水平性の増加としての対等性。メイロウィッツの受け手大衆像にみられるように)。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 現代では、情報媒体の相対的な稀少性の減少も背景に(「委員会の論理」の「印刷される論理」) →複製の場(機会)、発言の場が電子情報のように媒体の稀少性の低い局面では、増えてくる。 →また表領域と裏領域の境界線も不明瞭になるので(メイロウィッツ) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
5.時間の流れのなかにある言葉を記録する媒体としての紙-中井とマクルーハンの比較に向けて 〔木簡や石から本へ〕 稀少材としての木簡、石・・・永遠に残るような言葉、墓碑銘のようなもの。 恐らくは、時間の流れの中にある存在を悠久の時間の中に位置づけようとする試み。 紙の発生・・・当初は重要な手紙と記録、そして本のページに。 そのずっと後の一枚物の紙・・・散逸する可能性のあるメモや通知文 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 非常に大ざっぱに分けると 本(写本)・・・時間性の(時間的延長を意識したという意味であり、タイムリーであるという意味ではない、というかその反対の)メディア 来世(あの世)や後世(未来のこの世)を意識 そもそも人類の歴史の大部分・・・平均寿命、今より遙かに短いし、たいていは今と違い庶民は人生を苦しんだ・・・来世を意識(あるいは輪廻を避けて解脱(涅槃)を求める(原始仏教)) 近代・・・科学合理性の支配・・・大半の人々、来世を信じえず。代わりに後世を意識 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 現代のみ(それも科学の恩恵を受け、平均寿命も長い先進国の現代人のみ)・・・来世も後世も信じず、現世のみを重視する・・・地球を消費の対象としか考えない(cfハンナ・アレントの発想) 近代の本(=印刷本)・・・時間性とともに空間性の(空間的広がりも意識した)メディア 現代の本(印刷本)・・・空間性のみのメディアとなりつつある(消費物になりつつある) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 函入りハードカバー→函なしハードカバー→ソフトカバー(単行本)→文庫本・新書本 ・・・本の形態の軽装化・・・長時間の保存に耐えうることを意識しない形態に。使い捨てに向いた形態に →以上を踏まえてマクルーハン、中井の本への評価を見てみる 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
マクルーハンと中井正一の印刷本(印刷メディア)への評価① 二人は実体でメディアを捉えない点で似た面も多いが、ここは大きく違う マクルーハンの評価・・・このような印刷本の空間性(広い地域に流布させるという意味での)を、表音文字の普遍性に代表させて、批判 文字文化の問題(抽象的であるだけに、広範囲に及ぶ支配の道具になっているという)を、写本よりも活字本は強化 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
マクルーハンと中井正一の印刷本(印刷メディア)への評価② 一方、中井正一の評価 ・・・印刷本・・・複製可能、商品・・・写本より一方向的。しかし多様な解釈の可能性。目の見える関係での合評会・相互討論(後藤のコメ・・・書き込みすれば大量の「異本」の流通とも捉えうる(ルネサンス期の写本同様のことの大量化))→逆に双方向性への兆しにも (実際中井の「委員会の論理」の80年後の現代の、amazonの書評機能もこの類とも捉えうる) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
「委員会の論理」(1936) (中井正一の戦前の代表作) 「いわれる論理」・・・ギリシアの問答法(弁証法)。(vs文字・・・奴隷のフェニキア人の専有物)・・・双方向 「書かれる論理」・・・中世の写本・・・教会が文書を独占。聖書の解釈権を独占・・・一方向 「印刷される論理」・・・近代の印刷本・・・大量の複製・・・それ自体は一方向・・・しかし多様な読み方・読書会等を通じて多様な解釈・・・双方向性の復活 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
『美学入門』(1951) (中井正一の戦後の代表作) 映画・・・カットとカットをつなぐ言葉(「・・・である」「・・・でない」「・・・かも知れない」「・・・に違いない」等々)がない。 →受け手が想像力で補ってつないで読みとる →受け手の主体性を喚起 ・・・マクルーハンの低精細度の議論(「低精細度→受け手が補う」)に似つつも、より精緻。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 少し文脈を切り離した(つなぐ言葉「繋辞(繋詞・コプラ)」は「文脈」を指示)理解を可能に。(花壇を椅子とみなすような機能概念的把握と通じる) すべてを「即」でつなぐ日本的な思想(西田幾多郎の哲学)等を批判的に意識している(鶴見俊輔) Cf絶対矛盾的自己同一(鈴木大拙→西田) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
『美学入門』から中井、マクルーハンの活字本への評価を見返すと・・・ 映画の制作側の文脈から切り離した理解という『美学入門』の動きは、本という体系的なメディウムよりも会話というミッテルを、対話の論理の復活という、中井の根本の考え方に通じる。 一見するとマクルーハンと中井の活字の本への評価は違うが、活字本の体系性やそれの権力性を解体し、双方向性を見いだすという、大きな流れは共通している 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) 最晩年の中井についての評価 生涯一貫して「メディウムからミッテルを」と語った、と稲葉三千男元東大教授(当時東大助教授) しかし最晩年の「農村の思想」という文章で「メディウムに支えられたミッテルを」と唱えていると杉山光信(元東大教授・当時東大助手)は上司の稲葉を批判 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員) また胃癌の手術に成功して小康状態を得た際、中井は「あと三冊の本を書かないと死ねない。論理学の本と美学の本と自伝だ」という趣旨のことを述べたと伝えられる。 →残るものとしての本、あるいは自由な解釈を支える体系性は必要と考えた可能性も 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
ここで・・・各メディアの関連付置 -時間性、空間性を軸に ←より時間性(垂直性) より空間性(水平性)→ 写本 印刷本 雑誌 新聞 ラジオ(ライブだとより右に) テレビ 電子メディア(双方向性の典型) 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)
比較的左側の媒体もそもそもは、より左に対して速報的(空間的)媒体だった・・・ 雑誌は本よりは速報的であるし、個人的であるし(journal はフランス語の日記の意味、また日誌の意味も)、新聞は(「新」しく「聞」くnewspaper ということからも、新しい事柄・「ニュース」を伝える「紙」媒体)である。 その「新聞」という速報的メディアに本来あった速報性のお株を奪うのが、ラジオやテレビであるといえる(もちろんさらにネット)。 2018/11/1 メディア社会文化論(担当後藤嘉宏・筑波大学知識情報・図書館学類教員)