メディア社会学 2015年6月9日(火).

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メディア社会学 2015年6月9日(火)

性 ・・・ 女性の進出、性的マイノリティの権利 学歴 ・・・ 階層再生産、生まれ変わり 職業 ・・・ 階級闘争、生まれ変わり 1.5社会のなかの葛藤 葛藤の大きな要因 -属性(デモグラフィック要因)の違う者相互の葛藤- 年齢 ・・・ 世代差 性 ・・・ 女性の進出、性的マイノリティの権利 学歴 ・・・ 階層再生産、生まれ変わり 職業 ・・・ 階級闘争、生まれ変わり 宗教 ・・・ 支配的宗教

年齢 : 世代間葛藤、親子の対立、全共闘世代、新人類(「世代」と「年代」の違いに注意) 新世代に新しい文化:行動様式(対抗文化) 年齢による葛藤 年齢 : 世代間葛藤、親子の対立、全共闘世代、新人類(「世代」と「年代」の違いに注意) 新世代に新しい文化:行動様式(対抗文化) → 親世代に反撥 → 彼らがいずれ親世代に → 主流文化に(ブルージーンズの一般化、ロンドン五輪開会式でとりを務めたポール・マッカートニー「卿」、アキバ系の、漢字の読めない元首相・漫画の社会的受容)

性役割分業の時代 性差による葛藤 女性の社会進出の時代へ(マイノリティの権利としての女性の権利、ジェンダー論)。 それを支える家庭の領域への産業資本の浸食。家電製品の発達、お総菜産業の発展

性的マイノリティの権利への意識 -子孫を残すこと、家を守ることという意識が世界的に薄れる→性愛と子孫とを切り離す -性における自己決定権の尊重 -多様性への配慮 -もちろん、これに反対する層も根強くいて、アメリカ大統領選挙でも争点に。

学歴差による葛藤 「階層再生産」(ブルデューPierre Bourdieu 1930-2002/第二次世界大戦後のフランスの最大の社会学者)の道具か、階層の流動化の要因か(従来は後者のための武器と考えられた)  (福沢諭吉も「流動化の要因」の方に立つ) 前者の考え方・・・教育の差が他の差を拡大再生産。デジタルデバイドの発想と共通。 戦後すぐの日本・・・後者の面、強かった。 「生まれかわり願望」(苅谷剛彦)

意味世界に関わるし、「政教分離」していない社会においては「権力」の配分にも密接に関わる 宗教の違いによる対立・葛藤 宗教:支配的宗教か否か → 社会変動の大きな要因に。 意味世界に関わるし、「政教分離」していない社会においては「権力」の配分にも密接に関わる イラクでのシーア派・スンニ派の対立。 ケネディ元大統領。

1.6 自明性への疑いの眼差し 現代社会の様々な自明とされる事柄(制度や仕組み)を改めて疑う 子供の目で社会をとらえ直す。 1.6 自明性への疑いの眼差し 現代社会の様々な自明とされる事柄(制度や仕組み)を改めて疑う 子供の目で社会をとらえ直す。 外国人の眼、あるいは過去の人の眼で、今の時代をみると、別の様相、異様なものに映る。 →比較による、自己相対化(基本的にどちらかといえば社会を分節化しない方向かと)

自明とされた制度や規範、習慣等を相対化。あるいは制度、規範等の意味、理由を探る。 例)現象学的社会学、イリッチなどの病院や学校を相対化する歴史研究

イリッチの経歴①(ウィキペディアより) 「イヴァン・イリイチ」イヴァン・イリイチ(Ivan Illich, 1926年9月4日 - 2002年12月2日)は、オーストリアのウィーン生まれのユダヤ系知識人。社会評論家。文明批評家。イバン・イリッチとも表記される。 南米での解放の神学などの運動に共感を抱き、のちカトリックから離れる。 プエルトリコのカトリック大学の副学長を経て、メキシコのクエルナバカで、世界文化情報センター(CIDOC、ケドック)を主催。

イリッチの経歴② 学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹に、道具的な権力、専門家の権力を見て、それから離れて地に足を下ろした生き方を模索。過剰な効率性を追い求めるがあまり、人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判し、学校教育においては、真に学びを取り戻すために、学校という制度の撤廃を提言。「脱学校論」として知られる。これは、当時のフリースクール運動の中で、指導的な理論のひとつになった。

イリッチの経歴③ また、彼は家庭の主婦の家事労働など、報酬を受けない再生産労働を「シャドウワーク」(影法師の仕事?鶴見和子の訳)と命名、女性の家庭内労働の捉え方で新しい視点を提示したことでも知られている。 著書 『脱学校の社会』 (1971) 『シャドウワーク』 (1981) 『脱病院化社会』 (1975)

イリッチの写真 http://d. hatena. ne. jp/asin/4938710560http://www. isis. ne イリッチの写真 http://d.hatena.ne.jp/asin/4938710560http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0436.html

『脱学校の社会』① 通念「学校・・・賢くする施設」 イリッチの逆説「学校・・・バカ製造器」 なぜこういうことがいえるのか? 好きなアーティストは? 『源氏物語』、ビートルズの学校化(教科書掲載←Sirの称号)

『脱学校の社会』② 制度のもつ落とし穴 自ら学ぶ力vs制度

『脱病院社会』 常識「病院は健康を維持するための施設」 イリッチ「病院は病気を作る施設」 これも制度の落とし穴 病院・・・医療関係者の生活のための施設 自己治癒力、自然治癒力vs薬漬け、検査漬け 医原病

『シャドウ・ワーク』① (旧来の)常識「(専業主婦のいる家庭の場合)男が女性を食べさせている」 (25年前の「わたおに」での台詞) イリッチ「(専業主婦であっても)家計に貢献している」

『シャドウ・ワーク』② フェミニストからの肯定と否定 沖縄経済との関係(玉野井芳郎)

イリッチの例を離れて、少し、社会の自明性とされる枠組み、慣習を突き放して捉えるということを、別の実例で見てみよう。 韓流ドラマ 現象学的社会学

韓国(韓流)ドラマの様式とリアリティ 財閥、不治の病、プラトニックな愛といったお約束の道具立て 自明になったものを異邦人の眼によって捉え直す  →日本にいる韓国人留学生に韓国ドラマについて聞く。  →向こう(韓国)に居る時:自然なもの  日本:リアリティが欠如したものと考えるようになったという。

様式のなかでの美 浮世絵の歌舞伎役者の眼 平安美人の眼 →当時の美男美女がその通りであったかは(?) 一昔前の少女漫画の眼・・・現実には奇妙(「ウソップランド」という30年前の深夜番組に出てきた「怪物ランド」の芸)・・・いまのプリクラ?

現象学的社会学での日常生活の 自明性への疑い・・・ 多元的現実論 我々が〈現実〉と呼んでいるもの=多元的な領域から成る意味の秩序として主観的に構成されたものにすぎない。

それでも〈現実〉が客観的拘束力を持つのは、〈現実〉が主体的に構造的に〈内在化〉されるため。 このような〈現実〉構築のプロセスは本質的に社会相互作用の場と切り離すことができない 作田啓一・井上俊編『命題コレクション社会学』1986,p.51より(一部改変)

バーガー(Peter Ludwig Berger)の用語 ノモス コスモス/ノモス/カオス① バーガー(Peter Ludwig Berger)の用語 ノモス 自らの経験に秩序を与える意味世界〔規範〕。 社会に参加し、共通の意味世界を分かち合うことによって成立する。 →反対語がanomosつまりアノミー

コスモス/ノモス/カオス② コスモス ノモスの上位に秩序付けられた世界観 例:宗教など。 カオス ノモスを揺らがせる、日常を攪乱する出来事

ノモスはコスモスによってたえず再構築されなければならない 身近な者の病気や死や災害など。旧来の意味世界では解釈できない出来事 ノモスはコスモスによってたえず再構築されなければならない 『社会学のエッセンス』有斐閣,1995,p.274 より(一部補足あり)

ピーター・バーガー(1929-) 現象学的社会学者。この学派の始祖アルフレッド・シュッツ(1899-1959)の弟子。プロテスタントの牧師でもある。シュッツの現象学的社会学を明快にしたとされる。デュルケムの統合を重んじる方法論とウェーバーの個人の行為の意味理解を積みあげていく方法論の統合をした。(なおシュッツはフッサールの現象学とウェーバーの理解社会学の統合をめざした)。

http://teoriesdelacomunicacio. wikispaces http://teoriesdelacomunicacio.wikispaces.com/Berger+i+Luckmann及びhttp://analisisinstitucional1.wordpress.com/2012/05/20/peter-ludwig-berger/

シュッツによると、これは現象学的エポケーとよばれる。 エポケー(哲学的判断停止)① 現象学的エポケー 現象学は、デカルト的懐疑という方法を徹底化することによって、世界の現実性に対する我々の暗黙の信念を停止することを教えてきた。 シュッツによると、これは現象学的エポケーとよばれる。

エポケー(哲学的判断停止)② 自然的態度のエポケー 日常世界の中で生活している人びとの自然的態度は世界は見かけどおりではないのではないか、という疑いを括弧に入れることで成立している。 そこでは、世界が経験されるとおりの形でそこにあることが素朴に信じられ、その存在根拠は問われることなく自明的に理解されている。 シュッツはこれを自然的態度のエポケーとよぶ。

エポケー(哲学的判断停止)③ 現象学的還元 現象学は、自然的態度におけるあらゆる自明的理解をいったん括弧に入れ、意識に直接現れるがままの「事象そのもの」へ向かおうとする。 現象学還元とよばれる操作によって、世界は素朴な実在であることを止め、純粋な意識的生の流れに現れるがままの「現象」となる。 『命題コレクション社会学』1986,pp.52-53より

我々は、それぞれ多様な世界、多様な物の見方(世界観)があり得ることに気付かされる。 自明とされる世界を括弧に入れると 我々は、それぞれ多様な世界、多様な物の見方(世界観)があり得ることに気付かされる。 しかし、多様な現実、多様な世界観のなかでも自分たちが自明とする現実を「至高の現実」と捉えていることに気づく。

そのような「至高の現実」は、自分たちの社会的相互作用(教育による文化伝承や習慣、規範に基づく色々な相互行為、コミュニケーション等)によって構築されたものであることに思い至る。(→社会構築主義の立場) 命に関わる病気、大災害などを想定したり、身近な者の死に直面すると・・・

 今まで自明のものとしてきた世界が異なって眺められるようになる。 → 異界からの眼、異邦人の視線で眺め直すことが可能になる。 つまり、エポケーのようなものを強制的に迫られると言える。・・・今まで自明のものとしてきた世界、「至高の現実」に疑いの眼を。

神義論 バーガーによると・・・ 神義論(弁神論)theodicy こういったコスモスの変化は「神義論」に関係する。 端的に言えば、神がこの世界を創造したにもかかわらず、なぜ悪や苦難が存在するのか、なぜこの世では義人が苦しみ悪人が栄えるのか、という疑念に対して、そのような事態は決して神の存在を脅かすものではなく、むしろ神の存在の否定が誤りであることを論じて、神を弁護する試みのことを指す。 「ヨブ記」における神義論批判(http://rc.moralogy.jp/ronbun/360.html)より。

人が不幸な事態(大災害や伝染病、幼少の子どもの死など)に見舞われると・・・ 自暴自棄あるいはニヒリズムに陥るケース 逆に、「だけど神はいる」と信仰世界に入ったり、神の存在を確信したりするケースも少なくないという。 → 意味ある世界秩序、コスモスに憧れ、現世の不完全性、無意味さを自覚するという道筋があり得る。http://www.iwakimu.ac.jp/~moriyuki/sr/07/sr07.htm より。

例えば身近な人が亡くなった際 普段は信仰心の弱い人でも、その人が別の世で生きていて、亡くなった人のいる「天国」、「来世」があると考えるケースは多い。  → 亡くなった者があの世へと旅立ち、見守ってくれているなどと考えることで死というものを合理化しようと考える。 

失われたものが取り返しがつかないものであればあるほど、我々は失った物の価値を自分の意味づけの体系の中で下げることで、失った事実を軽く見積もる合理化を図る。 「失った事実を軽く見積もる」=この世の生(故人が失ったもの)を軽くする・・・もっと価値あるものとして「あの世」の存在を想定する こういう合理化は、例えばふられた友人に慰める場合を想起すると良い。

〔バーガー自身の説明1〕(ウェーバーのいう)弁神論とは、人間の悩み苦しみの体験に意味を与える釈明のことである。人間のほとんどの歴史を通じて、宗教はそのような「弁神論」を提供してきた。自然のもたらしたものであれ社会のもたらしたものであれ、人間のもっとも耐え難い体験に対してさえも、宗教は、さまざまに意味づけをしてきた。近代社会は宗教的弁神論の信憑性をおびやかしておきながら、弁神論を必要とするような人間の不幸な体験を完全に取り除いたわけではなかった。人は相変わらず病苦や死に打ちのめされ、社会的不正や収奪に苦しんでいる(バーガーほか『故郷喪失者たち』邦訳、215)

〔バーガー自身の説明2〕不条理な現象は、それを何とか切り抜ける必要があるばかりでなく、その理由を説き明かされる。つまり当該社会に構築されたノモスをもって説明されなければならない。その理論上の洗練度はいかにもあれ、宗教的正当化の手段をもってこうした現象を説明することを神義論(theodicy)と呼んでよかろう。

・・・あらゆるノモスは必然的に個人性の超越を伴うものであり、だからこそ、それらは事実上神義論を意味するのである。すべてのノモスは、一つの意味深い実在として個人の前に立ちはだかり、彼と彼の全経験を包み込む。それは、彼の生活に意味を与え、さらには、その矛盾と苦痛に満ちた断面にもまた意味を賦与する(『聖なる天蓋』邦訳79-81・表記等一部修正)。

〔ウェーバーの幸福の神義論〕幸福な人間は、自分が幸福を得ているという事実だけではなかなか満足しないものである。それ以上に彼は、自分が幸福であることの正当性をも要求するようになる。自分はその幸福に「値する」、なによりも、他人と比較して自分こそがその幸福に値する人間だとの確信が得たくなる。

・・・この幸福の正当化ということこそ、いっさいの支配者・有産者・勝利者・健康な人間、つまり幸福な人々の外的ならびに内的な利害関心のために宗教が果たさなければならなかった正当化という仕事のもっとも一般的な形式であり、これが幸福の神義論と呼ばれるものである。(『宗教社会学論選』邦訳41-42)

〔ウェーバーの苦難の神義論〕これに対して、この観点を逆転させて、苦難の宗教的聖化へと至らしめる道程ははるかに複雑である。・・・ところで、たいていのばあい、救いへの待望のなかから、何らかの苦難の神義論が生まれてきた。

・・・苦難の神義論がルサンティマンによって色づけられている、ということはありえた。けれども、此岸における不運を償いたいという欲求は、その決定的な基調として、必ずしもルサンティマンの色合いをおびていなかっただけでなく、通例は一度としてそうした色合いをおぼることはなかった、といってよい。(同書42-49)。