メディア社会学(第8回) 知識情報・図書館学類・担当・後藤嘉宏

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メディア社会学(第8回) 知識情報・図書館学類・担当・後藤嘉宏 2018年6月12日(火)

1.5社会のなかの葛藤 年齢 ・・・ 世代差 性 ・・・ 女性の進出、性的マイノリティの権利 学歴 ・・・ 階層再生産、生まれ変わり 葛藤の大きな要因 -属性(デモグラフィック要因)の違う者相互の葛藤- 年齢 ・・・ 世代差 性 ・・・ 女性の進出、性的マイノリティの権利 学歴 ・・・ 階層再生産、生まれ変わり 職業 ・・・ 階級闘争、生まれ変わり 宗教 ・・・ 支配的宗教

年齢 : 世代間葛藤、親子の対立、全共闘世代(団塊の世代・ベビーブーム世代)、新人類(1960年代生まれ移行)、モラトリアム世代 年齢による葛藤 年齢 : 世代間葛藤、親子の対立、全共闘世代(団塊の世代・ベビーブーム世代)、新人類(1960年代生まれ移行)、モラトリアム世代 「世代」と「年代」の違いに注意) 新世代に新しい文化:行動様式・・・対抗文化・サブカルチュア・カウンターカルチュア

→ 親世代に反撥 → 彼らがいずれ親世代に → 主流文化に 年齢による葛藤 → 親世代に反撥 → 彼らがいずれ親世代に → 主流文化に  例;ブルージーンズの一般化、ロンドン五輪開会式でとりを務めたポール・マッカートニー「卿」、アキバ系を自称する、漢字の読めない元首相(現副首相)・漫画の社会的受容

女性の社会進出の時代へ(マイノリティの権利としての女性の権利、ジェンダー論)。 それを支える家庭の領域への産業資本の浸食。 性差による葛藤 性役割分業の時代から共同参画社会に 女性の社会進出の時代へ(マイノリティの権利としての女性の権利、ジェンダー論)。 それを支える家庭の領域への産業資本の浸食。 例 家電製品の発達、お総菜産業の発展  →これらは単身・独身世代も支える 男性も家事育児分担(「イクメン」)

性的マイノリティの権利への意識 -子孫を残すこと、家を守ることという意識が先進諸国において薄れる(「家」の観念がそもそも男女同権だと成り立ちにくい)→性愛と子孫とを切り離す -性における自己決定権の尊重 -多様性への配慮 -もちろん、これに反対する層も根強くいて、アメリカ大統領選挙でも争点に。(例、トランプ氏)

学歴差による葛藤 「階層再生産」(ブルデューPierre Bourdieu 1930-2002/第二次世界大戦後のフランスの最大の社会学者) 学歴は階層再生産の道具か、階層の流動化の要因か(従来は後者のための武器と考えられた)  (福沢諭吉も「流動化の要因」の方に立つ) 前者の考え方・・・教育の差が他の差を拡大再生産。デジタルデバイドの発想と共通。 戦後すぐの日本・・・後者の面、強かった。 「生まれかわり願望」(苅谷剛彦)・・・流動化の夢で大学産業・受験産業は成立する

意味世界に関わるし、「政教分離」していない社会においては「権力」の配分にも密接に関わる(宗教で法が大事・ファリサイ人) 宗教の違いによる対立・葛藤 宗教:支配的宗教か否か → 社会変動の大きな要因に。 意味世界に関わるし、「政教分離」していない社会においては「権力」の配分にも密接に関わる(宗教で法が大事・ファリサイ人) イラクでのシーア派・スンニ派の対立。 ケネディ元大統領。

1.6 自明性への疑いの眼差し 現代社会の様々な自明とされる事柄(制度や仕組み)を改めて疑う 子供の眼で社会をとらえ直す。 1.6 自明性への疑いの眼差し 現代社会の様々な自明とされる事柄(制度や仕組み)を改めて疑う 子供の眼で社会をとらえ直す。 子どもの眼、外国人の眼、あるいは過去の人の眼で、今の時代をみると、別の様相、異様なものに映る。 →比較による、自己相対化(基本的にどちらかといえば社会を分節化しない方向かと)

自明とされた制度や規範、習慣等を相対化。あるいは制度、規範等の意味、理由を探る。 例)現象学的社会学、イリッチ(元々カトリックの文明批評家だが、社会学者や教育学者たちに強く影響を与える)などの病院や学校を相対化する歴史研究

イリッチの経歴①(ウィキペディアより) 「イヴァン・イリイチ」イヴァン・イリイチ(Ivan Illich, 1926年9月4日 - 2002年12月2日)は、オーストリアのウィーン生まれのユダヤ系知識人。社会評論家。文明批評家。イバン・イリッチとも表記される。 南米での解放の神学などの運動に共感を抱き、のちカトリックから離れる。 プエルトリコのカトリック大学の副学長を経て、メキシコのクエルナバカで、世界文化情報センター(CIDOC、ケドック)を主催。

イリッチの経歴② 学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹に、道具的な権力、専門家の権力を見て、それから離れて地に足を下ろした生き方を模索。過剰な効率性を追い求めるがあまり、人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判し、学校教育においては、真に学びを取り戻すために、学校という制度の撤廃を提言。「脱学校論」として知られる。これは、当時のフリースクール運動の中で、指導的な理論のひとつになった。

イリッチの経歴③ また、彼は家庭の主婦の家事労働など、報酬を受けない再生産労働を「シャドウワーク」(影法師の仕事。鶴見和子の訳)と命名、女性の家庭内労働の捉え方で新しい視点を提示したことでも知られている。 著書 『脱学校の社会』 (1971) 『シャドウワーク』 (1981) 『脱病院化社会』 (1975)

イリッチの写真 http://d. hatena. ne. jp/asin/4938710560http://www. isis. ne イリッチの写真 http://d.hatena.ne.jp/asin/4938710560http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0436.html

『脱学校の社会』① 通念「学校・・・賢くする施設」 イリッチの逆説「学校・・・バカ製造器」 なぜこういうことがいえるのか?  好きなアーティストを思い浮かべてください・・・ 世界最古の官能小説『源氏物語』、不良のシンボルのビートルズの学校化(「音楽之友社の」教科書掲載←Sirの称号)

『脱学校の社会』② パッケージ化・・・本来の面白さを殺ぐ 与えられる出来合の質問があり、文学等の芸術であっても正しい答えがある。自分の頭で考えない。 大学の研究と高校までのお勉強との違いに典型的に現れる よって覚える力と与えられた課題を解決する力はつくが、課題発見の力はつかない 学校は「馬鹿製造器」

『脱学校の社会』② 講義者の感じた例、ラルース社のフランス古典文学のテキスト 制度のもつ落とし穴 自ら学ぶ力vs制度 本当に楽しいことなら、進んで先輩の技を盗んでやろうと思うはず。教えられるのではなく、自ら学ぶ

『脱病院社会』 常識「病院は健康を維持するための施設」 イリッチ「病院は病気を作る施設」(何でも常識の反対さえ唱えればイリッチになれる) これも制度の落とし穴 病院・・・医療関係者の生活のための施設 自己治癒力、自然治癒力vs薬漬け(例 精神安定剤・抗ガン剤・コルチゾン)、検査漬け 医原病

『シャドウ・ワーク』① (旧来の)常識「(専業主婦のいる家庭の場合)男が女性を食べさせている」 (30年前の「わたおに」での台詞) イリッチ「(専業主婦であっても)家計収入に半分以上に貢献している」

『シャドウ・ワーク』② フェミニストからの肯定と否定(上野千鶴子・東大文学部教授(当時)) 沖縄経済との類似性(この本の訳者の玉野井芳郎東大経済学部教授(当時))

イリッチへの批判の例 (どちらも当たり前すぎて面白くはない) 1.主体的に学べるようになるための基礎はどうしても必要だし、それは詰め込みになりうる。「門前の小僧」や寺子屋の孔子の漢文の素読などが、日本人の教養を支えてきたはず 2.薬漬け批判は正しいが、しかし西洋医学の進歩の何よりの証拠は、先進国の平均寿命の驚異的な伸びからも明らか。とはいえマッチポンプであることは間違いないが、ポンプの精度が上がっている

イリッチの例を離れて、少し、社会の自明性とされる枠組み、慣習を突き放して捉えるということを、別の実例で見てみよう。 韓流ドラマ 現象学的社会学

財閥の御曹司と庶民の娘、不治の病、プラトニックな愛といったお約束の道具立て 自明になったものを異邦人の眼によって捉え直す 韓国(韓流)ドラマの様式とリアリティ 財閥の御曹司と庶民の娘、不治の病、プラトニックな愛といったお約束の道具立て 自明になったものを異邦人の眼によって捉え直す  →日本にいる韓国人留学生に韓国ドラマについて聞く。  →「向こう(韓国)に居る時:自然なもの  日本に滞在してみて:リアリティが欠如したものと考えるようになった」という。

様式のなかでの美 浮世絵の歌舞伎役者の眼(歌川國芳) 平安美人の眼「細い目や、かぎ状の鼻、下ぶくれの顔立ちなどが典型的な美女」https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14146593434 →当時の美男美女がその通りであったかは大いに?(違うという証拠もないし、上記知恵袋の回答者は平安時代の文献もその通りであったことを支持するとあるが、ともあれ)

一昔前の少女漫画の眼・・・現実には奇妙(「ウソップランド」という30年前のテレ朝系の深夜番組に出てきた「怪物ランド」の芸) いまの若者はプリクラやsnowで「盛る」が、そのことと同じ? (こっちは様式と現実は違うという証拠ありというかみんな違うと認識して遊んでいる)「女の子は盛ってなんぼのもの」(藤田ニコル)

現象学的社会学での日常生活の 自明性への疑い・・・ 多元的現実論 我々が〈現実〉と呼んでいるもの=多元的な領域から成る意味の秩序として主観的に構成されたものにすぎない。

それでも〈現実〉が客観的拘束力を持つのは、〈現実〉が主体的に構造的に〈内在化〉されるため。 このような〈現実〉構築のプロセスは本質的に社会的相互作用の場と切り離すことができない 作田啓一・井上俊編『命題コレクション社会学』1986,p.51より(一部改変)

←現実に存在していると考えられる対象や現象は、客観的もしくは物理的に存在しているのではなく、人々の認識によって社会的に構築されているとする社会構築主義の立場 社会的構築物・・・それを受け容れている人々にとっては自然で明白なものに思えるが、実際には特定の文化や社会で人工的に造られたにすぎないもの

バーガー(Peter Ludwig Berger)(多元的現実論の提唱者の一人)の用語 ノモス(原義は「定められた分け前」 ) コスモス/ノモス/カオス① バーガー(Peter Ludwig Berger)(多元的現実論の提唱者の一人)の用語 ノモス(原義は「定められた分け前」 ) 自らの経験に秩序を与える意味世界〔規範〕。 社会に参加し、共通の意味世界を分かち合うことによって成立する。 →反対語がanomosつまりアノミー

ノモスを揺らがせる、日常を攪乱する出来事 コスモス/ノモス/カオス② コスモス ノモスの上位に秩序付けられた世界観 例:宗教など。 カオス ノモスを揺らがせる、日常を攪乱する出来事

身近な者の病気や死や災害など。旧来の意味世界・規範では解釈できない出来事 ノモスはコスモス(いわばノモスのメタレベルの意味づけ機能をもつもの。宗教、等。あるいはその人の信条・生きていることの意味づけ)によってたえず再構築されなければならない 『社会学のエッセンス』有斐閣,1995,p.274 より(一部補足あり)

ピーター・バーガー(1929-) 現象学的社会学者。この学派の始祖アルフレッド・シュッツ(1899-1959)の弟子。プロテスタントの牧師でもある。シュッツの現象学的社会学を明快にしたとされる。デュルケムの統合を重んじる方法論とウェーバーの個人の行為の意味理解を積みあげていく方法論の統合をした。(なおシュッツ(晩年以外は昼間は銀行員)はフッサールの現象学とウェーバーの理解社会学の統合をめざした)。

http://teoriesdelacomunicacio. wikispaces http://teoriesdelacomunicacio.wikispaces.com/Berger+i+Luckmann及びhttp://analisisinstitucional1.wordpress.com/2012/05/20/peter-ludwig-berger/ ピーター・バーガー

シュッツによると、これは現象学的エポケーとよばれる。 エポケー(哲学的判断停止)① 現象学的エポケー 現象学は、デカルト的懐疑という方法を徹底化することによって、世界の現実性に対することを教えてきた我々の暗黙の信念を停止。私たちの日常的考え方の判断を停止し、宙づりにする。 シュッツによると、これは現象学的エポケーとよばれる。

シュッツはこれを自然的態度のエポケーとよぶ。(現象学的エポケーのいわば逆) エポケー(哲学的判断停止)② 自然的態度のエポケー 日常世界の中で生活している人びとの自然的態度は世界は見かけどおりではないのではないか、という疑いを括弧に入れることで成立している。 そこでは、世界が経験されるとおりの形でそこにあることが素朴に信じられ、その存在根拠は問われることなく自明的に理解されている。 シュッツはこれを自然的態度のエポケーとよぶ。(現象学的エポケーのいわば逆)

現象学は、自然的態度におけるあらゆる自明的理解をいったん括弧に入れ、意識に直接現れるがままの「事象そのもの」へ向かおうとする。 エポケー(哲学的判断停止)③ 現象学的エポケー 現象学は、自然的態度におけるあらゆる自明的理解をいったん括弧に入れ、意識に直接現れるがままの「事象そのもの」へ向かおうとする。 現象学エポケーとよばれる操作によって、世界は素朴な実在であることを止め、純粋な意識的生の流れに現れるがままの「現象」となる。 『命題コレクション社会学』1986,pp.52-53より

日常世界を否定したり疑ったりするのではないが、それが実在(リアリティ・真実の存在)であるとはまずは考えない。 自明とされる世界を「括弧に入れる」と 日常世界を否定したり疑ったりするのではないが、それが実在(リアリティ・真実の存在)であるとはまずは考えない。 我々は、それぞれ多様な世界、多様な物の見方(世界観)があり得ることに気づかされる。 しかし、多様な現実、多様な世界観のなかでも、自分たちが自明とする現実を「至高の現実」と捉えている社会的に構築されていることに気づく。

そのような「至高の現実」は、自分たちの社会的相互作用(教育による文化伝承や習慣、規範に基づく色々な相互行為、コミュニケーション等)によって構築されたものであることに思い至る。(→社会構築主義の立場) 「至高の現実」・・・「至高」といいつつ実はone of themなんだ、と。 そこで、命に関わる病気、大災害などを想定したり、身近な者の死に直面すると・・・

今まで自明のものとしてきた世界が異なって眺められるようになる。 → 異界からの眼、異邦人の視線で眺め直すことが可能になる。  今まで自明のものとしてきた世界が異なって眺められるようになる。 → 異界からの眼、異邦人の視線で眺め直すことが可能になる。 つまり、エポケーのようなものを強制的に迫られると言える。・・・今まで自明のものとしてきた世界、「至高の現実」に疑いの眼を。 (しかしコスモス=宗教は否定されないのは、バーガーが牧師兼社会学者でもあるからかも)

神義論 (この言葉の創始者は微分の創始者で数学者兼哲学者の ライプニッツ) バーガーによると・・・ こういったノモス(コスモス)の変化は「神義論」に関係する。 神義論(弁神論)theodicy 神がこの世界を創造したにもかかわらず、なぜ悪や苦難が存在するのか、なぜこの世では義人が苦しみ悪人が栄えるのか、という疑念に対して、そのような事態は決して神の存在を脅かすものではなく、むしろ神の存在の否定が誤りであることを論じて、神を弁護する試み。 「ヨブ記」における神義論批判(http://rc.moralogy.jp/ronbun/360.html)より。

人が不幸な事態(大災害や伝染病、幼少の子どもの死など)に見舞われると・・・ 自暴自棄あるいはニヒリズムに陥るケース 逆に、「だけど神はいる」と信仰世界に入ったり、神の存在を確信したりするケースも少なくない → 意味ある世界秩序、コスモスに憧れ、現世の不完全性、無意味さを自覚するという道筋があり得る。   http://www.iwakimu.ac.jp/~moriyuki/sr/07/sr07.htm より。

例えば身近な人が亡くなった際 普段は信仰心の弱い人、無神論者でも、その人が別の世で生きていて、亡くなった人のいる「天国」、「来世」があると考えるケースは多い。 → 亡くなった者があの世へと旅立ち、見守ってくれているなどと考えることで死というものを合理化(自分の世界の中で死が不条理なものと考えるのではなく、合理的な居場所を得ること)しようと考える。 

失われたものが取り返しがつかないものであればあるほど、我々は失った物の価値を自分の意味づけの体系の中で下げることで、失った事実を軽く見積もるという合理化を図る。 「失った事実を軽く見積もる」=この世の生(故人が失ったもの)を軽くする・・・もっと価値あるものとして「あの世」の存在を想定する

こういう合理化は、例えばふられた友人に慰める場合を想起すると良い。 普通は「逃した魚は大きい」とは、慰めない。「あいつは、○○さんの価値も分からないダメな奴だったんだよ。あんな奴からは、ふられて良かったんだよ」みたいな科白をいうのが常。

〔バーガー自身の説明〕 (バーガーほか『故郷喪失者たち』邦訳、215) 〔バーガー自身の説明〕 (バーガーほか『故郷喪失者たち』邦訳、215) (ウェーバーのいう)弁神論(神義論)とは、人間の悩み苦しみの体験に意味を与える釈明のことである。人間のほとんどの歴史を通じて、宗教はそのような「弁神論」を提供してきた。自然のもたらしたものであれ社会のもたらしたものであれ、人間のもっとも耐え難い体験に対してさえも、宗教は、さまざまに意味づけをしてきた。近代社会は宗教的弁神論の信憑性をおびやかしておきながら、弁神論を必要とするような人間の不幸な体験を完全に取り除いたわけではなかった。人は相変わらず病苦や死に打ちのめされ、社会的不正や収奪に苦しんでいる

〔ウェーバーの幸福の神義論〕 幸福な人間は、自分が幸福を得ているという事実だけではなかなか満足しないものである。それ以上に彼は、自分が幸福であることの正当性をも要求するようになる。自分はその幸福に「値する」、なによりも、他人と比較して自分こそがその幸福に値する人間だとの確信が得たくなる。

・・・この幸福の正当化ということこそ、いっさいの支配者・有産者・勝利者・健康な人間、つまり幸福な人々の外的ならびに内的な利害関心のために宗教が果たさなければならなかった正当化という仕事のもっとも一般的な形式であり、これが幸福の神義論と呼ばれるものである。(『宗教社会学論選』邦訳41-42)

〔ウェーバーの苦難の神義論〕 これに対して、この観点を逆転させて、苦難の宗教的聖化へと至らしめる道程ははるかに複雑である。・・・ところで、たいていのばあい、救いへの待望のなかから、何らかの苦難の神義論が生まれてきた。

・・・苦難の神義論がルサンティマン(怨恨・復讐感情-ニーチェの概念)によって色づけられている、ということはありえた。けれども、此岸(この世)における不運を償いたいという欲求は、その決定的な基調として、必ずしもルサンティマンの色合いをおびていなかっただけでなく、通例は一度としてそうした色合いをおぼることはなかった、といってよい。(同書42-49)。

苦難の神義論を俗っぽく表現すると・・・ 苦難に遭う・・・神罰や神による試練と考える・・・これを償う努力・・・あの世での救済の確保 この世での不運・不幸の埋め合わせを来世に求め、来世に期待する

この思いが、「天国・あの世・来世なし」の時代や国で続くと、 生まれ変わり願望 子ども世代での幸福への期待  高度成長の夢(子世代には豊かな日本を)  あるいは階層の世代間上昇契機としての学歴への期待「生まれ変わり願望」(苅谷剛彦)・・・現実はブルデュー先生の仰るとおり