手抜きなくして診察なし 高松少年鑑別所 池田正行
録画・録音・撮影全て自由
単純レントゲン撮影機器 の操作はできなくてもよい でも胸部レ線の読影はやってね いくら腱反射を出すのがうまくても 所見の意味がわからなければ無意味 腱反射が出せなくて何が悪い?
この質問に答えられなければ,いくら腱反射の出し方がうまくても,そんな技術に意味はない! 各症例における腱反射の意義 50歳女性:主訴歩きにくい 5年前に乳癌で乳房切除 25歳女性:主訴手が震える 既往歴は特記すべきことなし どういう鑑別疾患を思い浮かべ,それぞれの疾患で上腕二頭筋,上腕三頭筋,橈骨,膝蓋腱,アキレス腱,バビンスキ,それぞれの反射がどういう所見になるか予想せよ どういう鑑別疾患を思い浮かべ,それぞれの疾患で上腕二頭筋,上腕三頭筋,橈骨,膝蓋腱,アキレス腱,バビンスキ,それぞれの反射がどういう所見になるか予想せよ この質問に答えられなければ,いくら腱反射の出し方がうまくても,そんな技術に意味はない!
沼田るり子氏。2007年にセンメルワイス大学医学部に入学し、2013年卒業。2014年に日本の医師国試に合格。 圓山晶子氏。2007年にセゲド大学医学部に入学し、2013年卒業。2014年に日本の医師国試に合格。
何でもやればいいってもんじゃない OECD平均の 3.5倍 英国の 8倍 ハンガリーの 15.6倍
MRIも腱反射もやらなかった人達 神経「診察」と現代医学で言うところの「診察」とは大きく異なる。
職人は手抜きの仕方を知っている 職人ほど手抜きをする 「杜氏は手抜きの天才。我々は理屈で詰めていくしか道がなかったから、どうしたら良い酒が造れるかを徹底的に追求した」(桜井博志 旭酒造社長)
プロとアマチュアの違い ー診察の優先順位を知っているか?ー 神経内科医はその診察の「不必要度」を,その場で一瞬にして判断できる プロとは,普段から手を抜くことばかり考えている職人である
手抜きの必要性と職業意識 職業意識を持った当事者こそが手抜きの必要性と手抜きの仕方を知っている 頭で大枠として、現場での賢い手抜き必須でなのは、何も神経診察に限ったことではないことを示す(杜氏だって家事だって、うどんやだって手抜きが必要なのだからまして況んや神経診察をや、臨床をや) 職業意識を持った当事者こそが手抜きの必要性と手抜きの仕方を知っている
手抜きの必要性 手抜きをしないとどうなるか? 今,神経症候の診察は,じゅうたん爆撃のようにやたらめったらしまくるのではなく,検査を選ぶように診察項目を選んでやらなくてはいけないと申し上げました.その理由の一つをここに示します.これは平山恵造という,偉い偉い神経内科の先生が書いた有名な本です.全部で1300ページほどあります.ここに書いてある神経学的診察を全部やっていったら1週間あっても10日あっても足りません.医者も患者さんも1週間合宿しないと全部の所見をとりきれないぐらいです.現実には不可能です.現実には限られた外来時間の中で診察項目を絞っているわけです.しかし,それが一体どういう基準によるものか.誰も教えてくれません.なぜでしょうか?秘密にしなければならない理由があるのでしょうか?
「手抜きの見落とし」とは? 「○○しない」という選択肢の見落とし 十戒のスライド「しない」という選択肢 「××しなければらない・すべきだ」という刷り込み「●●しなくてもいい」という選択肢は隠蔽されてきた 「××しなければらない・すべきだ」という刷り込みは優先順位という概念も隠蔽してきた 「○○しない」という選択肢の見落とし
なぜ「手抜き」なのか? 「手抜きは悪」という思考停止からの離脱 たとえば腱反射手抜きの意義 腱反射を手抜きして初めてわかること 腱反射をやらなくても診断は変わらない 腱反射をやらなくても治療は変わらない 腱反射をやらなくても予後は変わらない 腱反射をやることのリスク回避 腱反射をやったがために診断が迷走
どこで手を抜くか? 67歳男性。朝8時、食事中に突然黙りこくったかと思うと椅子から崩れ落ちるように倒れた。救急車で来院。ストレッチャーの上で開眼しているが,呼びかけに対して言葉が出ずにうなづくばかり。高血圧の既往有り。 タバコ40本,日本酒三合/day 一番共有できそうなケース
神経診察やる?やらない? 長谷川式・MMSE Western Aphasia Battery 失行・失認検査 嗅覚機能検査 Rinne Weber 項部硬直・Kernig・Brudzinski, Lasegue 振動覚検査
診察ができなくて何が悪い!? 腱反射が: 検査と同様、診断も 所見がとれなかった時 左右差がなかった時 病側で亢進していた時 病側で減弱していた時 検査と同様、診断も 標的疾患によって感度も特異度も異なる 脳卒中の急性期と慢性期、筋萎縮性側索硬化症、ギラン・バレ-、多発筋炎、多発性硬化症・・・
腱反射の技術は二の次でいい それよりも想像力を豊かにすること 今,目の前の患者で大腿四頭筋反射はどんな意味があるのかを「想像せよ」 左右それぞれの亢進・異常なし・消失の6通りのパターンのどれが一番可能性が高いのか?二番目は?ありない選択肢はあるか?あるとしたらそれはなぜか? それが完璧に答えられなければいくら腱反射がうまく出せても全く意味がない 逆にこの想像力があれば腱反射がめきめき上達する
診察手抜きを弁護する ー「その診察」を手抜きして何が悪い!ー 神経診察に自信がない人のために 神経内科医による優越性のハラスメントから守る 過剰検査,過剰診断,そして過剰神経診察 「その診察」の意義は?:アウトカム評価 「その診察」のリスク・ベネフィットバランスは?:判断を誤って誤診につながるリスクは? 「その診察」のタイムパフォーマンスは?:限られた時間内にその診察が「必要か?」(上記の要素を含めて総合的に判断)
では手を抜いて生まれた余裕をどう活用するの? 手抜きの必要性はわかったけど では手を抜いて生まれた余裕をどう活用するの? 好奇心・想像力 そして観察
このスライドで今日ここに来た意味を考えてもらう。なぜ今日はここへ来たのか?これが知りたかったからだろう。
もう1つ2人に共通しているのは,現代科学とは違う方法をとったことです。いまの科学では,最初に仮説を立て,それを証明するために何かをするという方法をとっていますね。しかし彼らは そうではなく,何もないところで何かを見つけようとしました。じっと見ていると何か気がつくわけですね。「あれ?」と思って,そこでもっと観察を進めるという方法で す。 その点、いまは見るべきところしか見ないんです。例えば何かの値が いくつと数字で出ると,その情報はそれ以外のものではないわけです。しかし画像というのは数字で表されるだけではありません から,見ようと思えば何だって見える。それだけ情報量があるのに,ほとんどの人は数字として表されるようなものしか見ない。 要するに自分の知りたいところしか見ていないのです。そうしたら何が表現されていても他のものは全部捨てていくわけですよ。 見るべきところはきちんと見なければいけない。しかしそういう意味だけではなく,関係ないところでも, 見てみると結構面白いことが見えているわけでね。それをどうやって見逃さないようにするかが大切なのです。見逃しても誰かがどこかで見つけると言われればそれまでですが,自分がその誰かになろうと思うかどうかですよね。ババンス キーやシャルコーの時代は,自分で見つけるしかなかったけれども,いまは自分がやらなくても世の中は進んでいきますから。で も「へえ,何でこんなことがあるのかな」と思うことが始まりですよ。 問診で鑑別診断を絞り込み、腱反射が亢進している確率が何パーセントか?そういう問題では実はない。そういう使い方もするけれども、それは決して「面白くない」、神経学の「楽しさ」は伝わらない。ましてやOSCEに面白さはない 目の前の患者さんについて「見つける」のは自分しかいない。
視診=観察&想像力 人間に対する興味 そして最も効率的な診察法
鑑別診断を2つまで挙げよ。3つ以上ある場合はまとめて“その他”として,各診断確率の合計は100とせよ。 次にシナリオを示す 鑑別診断を2つまで挙げよ。3つ以上ある場合はまとめて“その他”として,各診断確率の合計は100とせよ。 (マジックナンバーは20,50,80) 病歴後 診察後 検査1後 検査2後 診断1 診断2 その他
何を考えますか? 67歳男性。朝8時、食事中に突然黙りこくったかと思うと椅子から崩れ落ちるように倒れた。救急車で来院。ストレッチャーの上で開眼しているが,呼びかけに対して言葉が出ずにうなづくばかり。高血圧の既往有り タバコ40本,日本酒三合/day 一番共有できそうなケース 必要なのは想像力!
「想像力を働かせる」って? 自分の父親だったら、何を心配するか? どうしちゃったんだろう? 全身状態? 意識状態? バイタルサイン? 身体所見? 神経学的所見? 「意識障害」という言葉から何を想像するか?自分の父親だったらという当事者意識の設定は想像力を活性化させる。まず、どうしちゃっただろうという素朴な疑問が生まれて、その素朴な疑問を解決するためにあれこれ悩むわけ
診察所見 肥満体,BP186/74, P 70/分・整 呼吸状態は安定している 覚醒は維持できるが,ややもうろうとしているか? 対光反射は両側迅速 右の手足が全く動かないが左の手足は盛んに動かす. 口頭命令が理解できないようで,他の神経学的検査には協力が得られない 腱反射,バビンスキーは苦手でよくわからない 観察しかできない。観察が重要。
想像力=「診察名人」になるかどうか分かれ目は? 目の前の患者の生活・人生に興味・好奇心が持てるか? OSCEに対する「義務感」とは別物 腱反射の出し方がうまい奴が「診察名人」なんてちゃんちゃらおかしい
腱反射を知らなかった人たち 神経「診察」と現代医学で言うところの「診察」とは大きく異なる。
二人の共通点と相違点 Joseph Francois Felix Babinski:1857-1932 ,シャルコーという人はどちらか というとじっと観察する立場なんですね。例えばシャルコーの書いたものには,歩行状態がどうだとか,姿勢がどうだとか,どう いう不随意運動があるなどの記載はたくさんありますが,ここを叩いたら,あるいはここをこすったらどうなったとか,患者の体 に問いかけて観察する記載は非常に少ないのです。 ババンスキーのほうはそうではなく,両方を非常にはっきり観察しています。ですから,臨床的な意味での反射学はババンス キーが確立したものだと言えます。「この腱反射は正常では必ず出る」,「この反射は正常でも出ない場合がある」などをきちん と記載したのはババンスキーです。私たちがいま何気なくやっている反射の検査はほとんどババンスキーに負っているわけです。 そのことを誰も知らないのはあまりにも常識になっているからで,それはシャルコーの時代にはなかったことでしょうね。彼は シャルコーのめざしたところをもう一歩進めて,非常にダイナミックに,自然に問いかけて観察をしていたのです。 Joseph Francois Felix Babinski:1857-1932 Jean-Martin Charcot: 1825-1893
シャルコーという人はどちらか というとじっと観察する立場なんですね。例えばシャルコーの書いたものには,歩行状態がどうだとか,姿勢がどうだとか,どう いう不随意運動があるなどの記載はたくさんありますが,ここを叩いたら,あるいはここをこすったらどうなったとか,患者の体 に問いかけて観察する記載は非常に少ないのです。 ババンスキーのほうはそうではなく,両方を非常にはっきり観察しています。ですから,臨床的な意味での反射学はババンス キーが確立したものだと言えます。
目の前の患者の生活・人生に興味・好奇心が持てるか? 想像力の分かれ目は? 目の前の患者の生活・人生に興味・好奇心が持てるか?
問診と診察(観察) 相補的かつ不可分な関係 問診→診察項目を思いつく 診察→問診項目を思いつく 問診→患者さんの生活に思いを馳せる 診察→患者さんの生活に思いを馳せる 問診=患者さんの「自己観察記録」を頼りに観察の範囲(空間・時間の両面で)を広げる
Charcotのように、じっと観察するだけでも、これだけ奥深い。ならばすぐにBabinskiに飛びつかずに、まずはCharcotを目指そう 「観察」の奥深さと優先順位 Charcotのように、じっと観察するだけでも、これだけ奥深い。ならばすぐにBabinskiに飛びつかずに、まずはCharcotを目指そう
想像力=「観察名人」になるかどうか分かれ目は? 目の前の患者の生活・人生に興味・好奇心が持てるか? ↓ 「知りたい」という「欲望」 & 腱反射を手抜きしたという「成功体験」
予診表の主訴:手が震える 70歳女性 25歳女性 歩行:筋力低下、運動失調 体型(痩せ型?長身?) 皮膚がしっとり? 目の輝き 同伴者の有無 呼びかけた時 表情とその動き こちらを向く首の角速度 椅子からの立ち上がり速度 方向転換・踏み出し 歩行時 頚部の曲がり具合 手の振り方の左右差 視線・瞬きの頻度 着席時 腰を落とす速度 表情、顔脂、目やに、よだれ 歩行:筋力低下、運動失調 体型(痩せ型?長身?) 皮膚がしっとり? 目の輝き (問診項目を考える) 問診前確率が形成される時点で、おおよその鑑別診断表が出来上がり、既に診察(観察)項目が決まっていることに注意
視診(観察)・想像力 そして手抜きへの欲望 視診(観察)・想像力 そして手抜きへの欲望 一撃診断とは診察を省き,診断を省ける(除外診断の極限)「喜び」 一撃診断とは診断・診察の両面における「手抜きの喜び」である
神経内科医が身近にいない・いる 神経内科医が身近にいない場合 神経内科医が身近にいる場合 神経内科医の必要性が確実にわかる 「国際標準」の教育環境である 神経内科医が身近にいる場合 神経内科医を「使える」! 身近にいる・いないは白黒のデジタルではないことに注意.時と場所,状況によって,神経内科医のアクセスはいくらでも変わるし,神経内科医自身のキャラでもaccessibilityはいくらでも変わる.(例:私が霞ヶ関時代の経験)
お告げの研究とその魅力 究極の「観察」の研究 患者さんを心配するという根源的な「介入」の研究 患者行動という非言語性メッセージの観察 特別なスキルは要らない 倫理委員会の承認も要らない お金も要らない アウトカム指標設定は簡単 全例組み入れ可能 世界中のどこでも利用・追試可能
神経診察なんか要らない 神経内科医に 「やらせておけ」
神経内科医という生き物 目の前の患者さんで、大腿四頭筋反射が左右それぞれの病的亢進・亢進・異常なし・減弱・消失の10通りのパターンのどれが一番可能性が高いか?二番目に高いのは?それはなぜか?ありえない選択肢はあるか?「ありえない選択肢がある」としたらその理由は?etc 救急外来で、患者さんを目の前にして、これらの問い全てに対して、説明責任を果たせる。 さらにどういう所見だった場合に、鑑別診断の順位がどう変わってくるかを説明できる。 裏を返せば、大腿四頭筋反射をやった場合とやらなかった場合のRCT試験などしなくても商売ができる。
腱反射を神経内科医に「やらせる」 自分は想像力を豊かにすること 今,目の前の患者で大腿四頭筋反射はどんな意味があるのかを「想像せよ」 左右それぞれの亢進・異常なし・消失の6通りのパターンのどれが一番可能性が高いのか?二番目は?ありない選択肢はあるか?あるとしたらそれはなぜか? それが完璧に答えられなければいくら腱反射がうまく出せても全く意味がない この想像力があれば神経内科医の診察を本当に面白く見物できる
実は問題の本質は “神経診察の必要性”などではない ジェネラリスト vs スペシャリストという“医者都合分類”の意義は何か? 自分は患者さんに対して何ができるのか? 脳血管障害の香川さん 筋萎縮性側索硬化症の高松さん 脊髄小脳変性症の長崎さん クロイツフェルト・ヤコブ病の千葉さん この患者さんに四頭筋反射がどう役立つのか?