この写真の部屋は、金沢大学の中の、ある実習室です。ここではどんな実習が行われていると思いますか?
正解! 実はこの部屋では、人体解剖実習が行われているのです。
医学部に入学した学生は、全員が、必ず、この人体解剖実習を受講しなければならなりません。では医学部学生は、何年生の時、履修すると思いますか? ① 2年生(19歳) ② 4年生(21歳) ③ 6年生(23歳)
正解は①! 彼らは、本格的な医学教育を受ける最初に、まず、人体解剖実習を行い、人間の体の隅々まで、メスで切って、体中を実見するのです。これを系統解剖といい、病理解剖や司法解剖 とは異なり、4ヶ月ほど かけてじっくり行います。
医師を養成するため、今では当たり前のように専門教育の最初に行われている人体解剖実習。しかしそれが当たり前になるまでには、先人たちの、多くの努力があったのです!
解体新書の誕生 教育学部3年 杉本恭子 助言:村井淳志
解剖は、日本では、何と701年に制定された によって、長い間、禁じられていたのだ。 神道や仏教では、死体は忌むべきもの、ケガレと考えられてきた 大宝律令 制定した藤原不比等
解剖する代わりに、東洋医学の『五臓六腑』という考え方に基づいて治療していた
『五臓六腑』説とは… 「五臓」…肝臓・脾臓・腎臓・心臓・肺臓 「六腑」…中身がつまっていない内臓のこと(袋状の内臓を刺す)。胃、小腸、大腸、胆嚢、膀胱、三焦」 →五臓にすい臓 がない。 よく分からない 部位がある
しかし一番問題なのは・・・? 体を治すのが医者の仕事なのに、 体の中を見たことがない。
ところが… 1754年(=宝暦4年、9代家重時代) 京都にて、初めて「官許」の腑分け(解剖)が行われた! 幕府は、吉宗時代から、 キリスト教関係以外なら 蘭学を認める方向に 転じていたのだ。
山脇東洋という医師が、京都所司代の酒井忠用(ただもち、若狭小浜藩主)に、腑分けを認めるよう申請したところ、許可されたのだ! →死刑囚(首がない)の解剖。 五臓六腑説 ってほんとに正しいの?
腑分けの図 首のない死体を穢多身分の者が腑分けするのを医師が見学した 腑分けの図 首のない死体を穢多身分の者が腑分けするのを医師が見学した
山脇は解剖見学を元に、『蔵志』という本を著した。ただ見間違いも多く、絵も雑。しかし以後、解剖タブーは破られていく。
その頃、中津藩(今の大分県)に前野良沢という藩医がいた。西洋医学を学ぶにはまず、オランダ語を学ばなければならないと考えていた。
1766(明和3年)、中津藩江戸屋敷に住んでいた前野良沢は、長崎から出島商館長(カピタン)一行が将軍に拝謁に来た折り、大通詞に面会し、オランダ語を学びたいのだが、どうすればよいかと聞いた。
が…。 長年、オランダ人と接している通詞でも読み書きができる人はわずか。有名な青木昆陽(幕府書物係)でさえ、オランダ語は初歩。まして一藩医の身分で、しかも47歳の良沢が、今更オランダ語の習得などできるはずはない、あきらめろ と言われる。
研究費もたくさん出すから、長崎でちゃんと勉強して来いよ! ・・・が、良沢はそれでもあきらめきれず、藩主・奥平昌鹿に長崎留学を願い出る。殿様は100日だけならよいと許可し、同時に多額の研究費も援助した。 研究費もたくさん出すから、長崎でちゃんと勉強して来いよ!
前野良沢は勇んで長崎に旅立った。まず大通詞に面会。大通詞は、「たった100日でオランダ語の習得?」と呆れるが、良沢の熱意に応えて、2冊の本を紹介し、購入を勧めた。 1冊はマリン仏蘭辞典。フランス語の部分は無視して、オランダ語部分だけを国語辞典のように使って知っている単語を増やしていけ、とアドバイスした。
そしてもう一冊が、 ターヘルアナトミアだった!! ターヘルは図表(テーブル)、アナトミアは解剖学の、という意味だが、オランダ語とラテン語のチャンポンの変な言葉。実は良沢が付けた通称らしい。もともとは「解剖図表」というタイトルのドイツ語本のオランダ語訳。現著者はクルムス。
字は全然読めないけど、人体図がたくさん盛り込まれている。この絵は西洋人のものだが、日本人にもあてはまるのか? 内容はただしいのか? でも権威のある医学書らしい…。
この本が正しいのか、五臓六腑説が正しいのか、実際に腑分けを見学して、確かめてみたいものだ…。チャンスはないかな…。
ところが、時を同じくしてターヘルアナトミアを購入した人がいました!それが…
杉田玄白
杉田玄白は、腑分けを許可した京都所司代が藩主を務めていた、小浜藩の藩医。江戸で通詞からターヘルアナトミアを購入し、良沢同様、腑分けを見学して確かめたいと願っていた。
1771(明和8)年、3月3日夜・・・ 良沢の家に玄白からの手紙が届く 「明日、骨ヶ原で、死刑囚の腑分けが行われるから、立ち会わないか」 「明日、骨ヶ原で、死刑囚の腑分けが行われるから、立ち会わないか」 玄白たちは、京都での山脇東洋の前例に従い、江戸北町奉行に、腑分けとその見学の許可を求めていたのだ。許可を出したこの時の北町奉行は曲淵甲斐守景漸(かげつぐ、47歳)
骨が原とは、現在の荒川区南千住付近で、北町奉行支配下の処刑場であった。
当時の江戸図を見ると、 御シヲキバ と読める場所がある。 これが骨が原の処刑場だ。すぐ南には吉原遊郭があり、風向きによっては屍臭がしたという。
現在はこんなに賑やかになっているが、この商店街の名前は、何と… 骨通り商店街!!
杉田玄白の家はこのあたりにあった。 現在の中央区日本橋浜町、新大橋のたもと。小浜藩主、酒井修理太夫の屋敷の一角に住んでいた。
前野良沢の家はこのあたりにあった。 現在の中央区築地鉄砲洲。中津藩主、奥平大膳大夫の屋敷の一角に住んでいた。
途中で落ち合った良沢と玄白は、お互いもってきた書物が、まったく同じ版の「ターヘルアナトミア」であることに驚いた。 その日、腑分けされたのは、青茶婆という50歳代の女性。良沢と玄白は、ターヘルアナトミアの人体図を見ながら、腑分けを見守った
特に驚いたのが、小腸のすぐそばにあった臓器だった。腑分けした老人は、「この臓器の名前はわからないが、すべての死体に必ずある」と言った。良沢と玄白はすぐにターヘルアナトミアを見てみた。 ござりました! たしかにこれでござる! 位置も形もまったく同一でござります!
腑分けを見終わった良沢たちは、ターヘルアナトミアの正確さに衝撃を受けたので… 通詞の助けなど借りずに、我々医師の手だけで翻訳しましょう! よくぞ申された。それでは早速明日から、やりましょう!
翌日、前野良沢の家に、杉田玄白と中川淳庵(玄白と同じ小浜藩医、33歳)がやってきた。良沢は淳庵に聞いた。 淳庵殿、オランダ語の知識はどれくらいお持ちか? A,B,Cを知っている程度でござりまする。
良沢(49歳)は、杉田玄白(39歳)にも同じ質問をした。 玄白殿はオランダ語の知識はどれくらいお持ちか? それがしは、な~んにも、知りませぬ。
後に翻訳チームに加わった、桂川甫周(21歳)も、中川淳庵と同様、かろうじてABCが書ける程度だった。玄白は良沢に言った。 良沢殿、頼みは貴殿お一人でござる。赤子の手を引くもどかしさを感じられるだろうが、なにとぞ、我等をお導き下され。今日からは貴殿を盟主と仰ぎ、師と仰いで、翻訳事業を推し進めたいと存ずる。
できるわけないじゃないか… と、思いつつも、気を取り直して、人数分のアルファベット表を造り、メンバーに配って発音を教え、暗記してくるように命じた。
誠に艪舵無き船の大海に乗り出せしが如く茫洋として寄るべきかたなくただあきれにあきれて居たるまでなり。 (『蘭学事始』)
さて実際の作業の様子はと言うと… 良沢がマリンの辞書をひっくり返して訳語を探している間、玄白は中川淳庵や桂川甫周に私語を禁じ、3人はひっそりしている。 良沢が訳語を見つけて3人に報告すると、玄白はジョークを連発して座を明るくする。 1日の作業が終わると、玄白はうちに帰ってその日の成果を清書し、翌朝、それを配布して翻訳作業を促進させる。
「ターヘルアナトミア」の第1章は、「前書き」で、字ばっかり。そこで第1章は後回しにして、人体図に付けられている単語から攻めることにした。 肺 → long(ロング) 心臓 → hart (ハルト) 肝臓 → lever(レベル) 脾臓 → milt(ミルト) 腎臓 → nier(ニール)
しかし、日本語にない言葉も多かった たとえばさっきのこれ。東洋医学では無視されていたので、名前がなかった。 仕方ないので、オランダ語の音のまま、大機里爾(大キリール)とした。 (現在は「膵臓」と名づけられている。)
しかしそればかりでは能がないので、新しい単語をつくることもやった。例えば・・・ 「Zenuw」とは… 『その色、白くして強く、そのもと、脳と脊とより出づ。蓋し、視聴、言動をつかさどり、かつ痛痒、寒熱を知る。諸々、動くこと能はざる者をして、能く自在ならしむる者は、この経あるをもっての故なり』 何と名づけられたでしょう?
神経 理由;神秘的な経(糸束)だから… これ、ホント
悪戦苦闘の結果、2年後の1773年(安永2)、一応、訳文が完成した
玄白は・・・ すぐに出版 しましょう!!
とても出版できるようなものにはなっていない 良沢は・・・ まだ十分に訳が練りきれてない。 とても出版できるようなものにはなっていない 実際、たくさん誤訳があった。たとえば…
解体新書の訳文 ターヘルアナトミアの原文 バンドは、関節ではないものは厚くて大きい 靱帯には、形や厚さに大きな違いがある 解体新書の訳文 ターヘルアナトミアの原文 バンドは、関節ではないものは厚くて大きい 靱帯には、形や厚さに大きな違いがある 子どもの骨の数は大人と変わらない 子どもの骨の数は大人よりも多い くも膜は、後脳髄と脊髄液でよく見なさい くも膜は、小脳と脊髄の間にはっきりと確認することができる
しかし出版すれば大評判になる。医学の発展に役立つだけではなく、富と名声が一挙に手に入る。押し問答が… 出版しましょう! 絶対に、ダメだ!
玄白が出版を急いだのにはもうひとつ訳があった。田沼意次は出版には寛容だ。もし田沼が失脚して、蘭学嫌いの人が権力をとったら、永久に出版できなくなるかも知れない。 実際、次の松平定信は「寛政異学の禁」で出版取り締まりを強めることになる。
だから、どうしても、一刻も早く、出版する必要があるんです!! わかった。だったら勝手に出版するがよい。その代わり、訳者として、私の名前は出さないでくれ!
これは願ってもないことだ!出版オーケーだけでなく、これで私が筆頭訳者になれるぜ! へへ ウヒヒ ラッキー! これは願ってもないことだ!出版オーケーだけでなく、これで私が筆頭訳者になれるぜ!
玄白たちはまず、解体図の要約版を、チラシのような形で出版し、幕府の反応を見ることにした。その名も「解体約図」
お咎めも無く、そしてついに出版・・・ 杉田玄白 訳 中川淳庵 校 桂川甫周 閲 しかし前野良沢の名前はなかった!
その結果… 各地で解剖がおこなわれることになる それまで東洋医学が信じられていたことが覆された 西洋医学が取り入れられるようになったことの現われ 西洋文化が入るきっかけ
現代
医学教育の始めに 解剖が行われる
ちなみに・・・ この花に 気がつきましたか?
こんなにある!
昔は献体を『物品』と扱っていましたが実習させる時は感謝の気持ちを忘れずにさせています 医学部解剖学教室教授
小塚原の刑場跡に建つ回向院 (JR常磐線「南千住」駅前)
そこには前野良沢らが腑分けを見学したことが、近代医学の夜明けだったことを記念するレリーフが掲げられている。
おわり わしらの苦労、分かったか?
主要参考文献 解体新書(日本思想体系65 洋学下) 杉田玄白「蘭学事始」 岩崎克己「前野蘭化」 片桐一男「杉田玄白」 菊池 寛 「蘭学事始」 解体新書(日本思想体系65 洋学下) 杉田玄白「蘭学事始」 岩崎克己「前野蘭化」 片桐一男「杉田玄白」 菊池 寛 「蘭学事始」 吉村 昭 「冬の鷹」 養老孟司「解剖学教室へようこそ」