6月26日(金)4,5限 第9回「道徳発達の心理学①-コールバーグの段階発達論-」 道徳教育(他学部) 6月26日(金)4,5限 第9回「道徳発達の心理学①-コールバーグの段階発達論-」
川端学級について 一人ひとりの考えが大切にされる関係性はいかにしてできていったか? ヒントとして、先生のかかわり。 子どもの発言の宛先は5年時は多くが先生、6年時は多くが先生を含めたクラスの「みんな」であった。 5年時の先生は自分に宛てられた子どもの言葉をクラス「みんな」に返していた。 ⇒ 一人ひとりの子どもの考えが聴く価値のあるものだというメッセージを繰り返し発信する。 授業計画よりも子どもの関心を優先。 ⇒ これもまた一人ひとりの考えが大切にされているというメッセージになる。
Lawrence Kohlberg (1927~1987) アメリカの心理学者。 道徳性の発達についての研究を行う。 「道徳は文化によって異なる相対的なものである」という考えを反証する(普遍的な道徳の存在を証明する)ために、実証的な心理学研究と倫理学の統合を試みた。=From“Is” to “Ought”(「である」から「するべき」へ) 仮説ジレンマを用いた比較文化的な研究の結果、6段階から成る道徳性の発達段階の存在を提起するに至った。コールバーグはこの発達段階をあらゆる文化に共通する、普遍的なものであると主張する。 今日は、①コールバーグの言う道徳性の発達段階(普遍的)とはどのようなものか、②コールバーグはどのようにこの普遍的な発達段階を導き出そうとしたか、の二つの側面からコールバーグの理論に迫る。
ハインツのジレンマ コールバーグが道徳性の発達段階を測るために実施したテストです。 ヨーロッパで、一人の女性がたいへん重い病気のために死にかけていた。その病気は特殊なガンだった。 彼女の命をとりとめる可能性を持つと医者の考えている薬があった。 それは、ラジウムの一種であり、その薬を製造するのに要した費用の十倍の値が、薬屋によってつけられていた。 病気の女性の夫であるハインツは、すべての知人からお金を借りようとした。しかし、その値段の半分のお金しか集まらなかった。 彼は、薬屋に妻が死にかけていることを話し、もっと安くしてくれないか、それでなければ後払いにしてはくれないかと頼んだ。しかし、薬屋は「ダメだよ、私がこの薬を見つけたんだし、それで金もうけをするつもりだからね」と言った。 ハインツは思いつめ、妻の生命のために薬を盗みに薬局に押し入った。 ハインツはそうすべきだっただろうか?その理由は? 理由の方を重視して、グループで話し合ってみてください。
第1、2段階 ① 慣習以前の水準 この水準を特徴づけるのは、親や一般的な規則によって子どもの行為に張りつけられる「善い」、「悪い」、「正しい」、「誤り」というレッテルに敏感に反応するということ。行為の決定要因は規則のもつ権威や、当面している人物の身体的力の強弱であり、行為によって生じる物理的ないしは快楽主義的な結果(罪、報酬、行為など)である。この水準は次の二つの段階に分けられる。 第一段階=罪と服従への志向(悪いことをすると怖いからしない) 罪の回避と力への絶対的服従がそれだけで価値あるものとなり、罰せられるか褒められるかという行為の結果のみが、その行為の善悪を決定する。 賛成:もし妻を死なせたら妻の親や兄弟からひどい仕打ちを受ける。 反対:薬を盗めば警察に捕えられ、刑務所に入れられる。
第1、2段階 ② 慣習以前の水準 第二段階=道具主義的相対主義への志向(損、得で動く) 第1、2段階 ② 慣習以前の水準 第二段階=道具主義的相対主義への志向(損、得で動く) 正しい行為は、自分自身の、または場合によっては自己と他者相互の欲求や利益を満たすものとして捉えられる。具体的な物・行為の交換に際してfairであることが問題とされるが、それは単に物理的な相互の有用性という点から考えられてのことである。 賛成:薬を盗んでもさほど重い刑にならないし、妻が生きて いる方が得。 反対:薬を盗んでも重い刑にならないが、犯罪者のレッテル を貼られ、損。
第3,4段階 ① 慣習的水準 各人の所属する集団の期待に沿うことが、価値あることとみなされる。単なる同調だけでなく、忠誠心、秩序の積極的な維持と正当化、所属集団への同一視などが生じるが、なぜそうするのがよいのか、ということは考慮されない。この水準は次の二段階に分けられる。 第三段階=対人的同調、あるいは「よい子」への志向(自分の周りの人たちに「よい子」だと認められたい) 善い行為は他者を喜ばせたり助けたりするもので、他者に善いと認められる行為である。多数意見や、紋切り型のイメージに従うことが多い。行為はしばしばその動機によって判断され、初めて「善意」が重要となる。 賛成:親族や勤め先の人、さらには一般社会の人も刑を覚悟で妻 の命を救おうとしたことを称賛する。 反対:犯罪は当人や親族にまで社会的不名誉をもたらす。さらに、 盗みはともかく悪であるといえる。
第3,4段階 ② 慣習的水準 第四段階=「法と秩序」維持への志向(社会的にいいとされていることをする) 第3,4段階 ② 慣習的水準 第四段階=「法と秩序」維持への志向(社会的にいいとされていることをする) 正しい行為とは、社会的権威や規則を尊重し、従うこと、すでにある社会秩序を秩序そのもののために維持することである。 賛成:むざむざ妻を死なせるのは人でなし、という世間一般 の通念に従う。 反対:法律上、財産への個人の権利の侵害は悪であり、法に は従うべき。
第5,6段階 ① 慣習以降の水準、自律的・原理的水準 第5,6段階 ① 慣習以降の水準、自律的・原理的水準 既成の法律や権威を超えて自律的に判断し、道徳的価値や道徳的原理を自ら規定しようと努力する。この水準は次の二段階に分かれる。 第五段階=社会的契約遵法への志向 ここでは、規則は固定的でも権威によって押し付けられるのでもなく、自分たちのためにある変更可能なものと理解される。正しいことは、社会に様々な価値観や見解が存在することを認めた上で、社会契約的合意に従って行為すること。 賛成:薬を盗まず、妻を死なせれば社会の人々からの尊敬を失い、 社会的人間としての自尊心も失う。盗みを働いても、妻の命を 重視したことを人々は分かってくれる。 反対:盗みを働けば、共同社会における信頼と尊敬を失う。たとえ 妻を死なせても、社会的人間として公正であったことを人々 は理解してくれる。
第5,6段階 ② 第六段階=普遍的な倫理的原理への志向 第5,6段階 ② 第六段階=普遍的な倫理的原理への志向 正しい行為とは、良心に従った行為である。良心は、普遍性、あるいは立場の互換性(他者と立場を交換しても同じ判断が成り立つか)といった視点から構成される「倫理的原理」に従って、何が正しいかを判断する。すなわち、公正(Justice)、人間の権利の相互性と平等性、個々の人格としての人間の尊厳の尊重という普遍的な諸原理である。ここでは、この原理にのっとって法を超えて行為することができる。 賛成:人は何よりも最も困難な状況になる妻の立場に立って行 動を決定すべきであり、人命尊重の原則からしても、薬 を盗むという以外の判断は成り立たない。重大なことは 誰の立場に置かれても成り立つ合理的な判断にのっとっ て行為することである。法の罰には従う。 反対:第六段階では成立しない。
科学と倫理の関係 道徳発達を心理学によって研究し、ソクラテスのように普遍的な道徳の存在を示すことを目指すコールバーグにとって科学(この場合、心理学)と倫理の関係をどのように考えるかは大問題であった。 「徳とは何か?」をストレートに問うことができたソクラテスの生きた時代とは違い、コールバーグの生きた20世紀には科学(事実=Isを探究する学問)と哲学、倫理学(価値=Oughtを探究する学問)が別れていた。 例えば、STAP細胞の存在の有無を確かめるのに、「STAP細胞が存在を証明し、人類の役に立てたい」という研究者の価値が入り込んでしまっては科学の研究としては不完全であり、一般に科学者は価値を挟まずに研究をすべきであると考えられる。 しかし、自然科学はまだしも、社会学や心理学など、人間に関する事象を科学として扱おうとすると、事実と価値をはっきりと分離することが難しくなってくる。(例えば、「発達段階」という考え方)
事実(Is)と価値(Ought)の不適切な混同 自然主義的誤謬 事実と価値を不適切に混同して、誤った結論を導いてしまうことを自然主義的誤謬という。 例えば、 「今現在、普遍的な道徳の存在が証明できていない」(事実) ⇓ 「道徳は相対的だから人はそれぞれの価値観に従って生きるべきである」 (価値)「今現在、普遍的な道徳の存在が証明できていない」(事実) + 「自分とは異なる道徳的価値観に寛容であるべきだ」(価値) =「道徳は今後もずっと相対的であり続ける」(将来の事実の予測) なぜ、普遍的な道徳は存在しないと言いきれるのか?探求もせずに決めつけてしまってはいけない。 科学者も倫理学者も普遍的な道徳の存在を証明できているわけではないが、道徳が相対的であると証明できているわけでもない。
From “Is” to “Ought” 心理学と倫理学 コールバーグが目指すのは科学的な心理学による発達の事実の倫理的価値を倫理学によって裏付けること。 また、逆に科学的な心理学によって実際にそうした価値が事実として世界に存在していることを示すことで倫理学的な価値が机上の空論ではないことを裏付けること。 コールバーグは6段階の発達的変化が世界中に普遍的に存在することを心理学的な調査により、示そうとした(示すことができたと考えている)。 一方、6段階の発達的変化が倫理的にも高い価値に向かっていることを倫理学的な考察によって示そうとした(示すことができたと考えている)。 様々な異論はあるものの、これがコールバーグの目指した科学と倫理、心理学と倫理学の融合(道徳発達の心理学)である。
グループ・ワーク 今日の授業はとても難しかったと思います。グループで疑問点などを整理して必要に応じて吉國に質問してください。 コールバーグのいう6段階は本当に世界中で普遍的に存在するものなのでしょうか?皆さんの経験や知識に照らし合わせて議論してみて下さい。 普遍的な道徳の存在は証明できるのでしょうか?証明できるとすれば、どのように証明できるのでしょうか? その他、考えたこと、疑問に思ったことを自由に話し合ってみて下さい。
HP http://moral-education.seesaa.net/ 感想シート 今日の授業の中で考えたこと、疑問や質問、グループワークの中で話し合ったこと、授業に対する要望、なんでもかまいません。 感想の紹介は匿名で行いますが、プライベートなことにかかわるなど、どうしても次回の授業で紹介してほしくない部分などがあればその旨を記してください。 必ず、名前、学籍番号を書いて出してください。 授業中に伝えきれなかった質問、意見はメール、もしくはブログを利用してください。 メール y_yoshikuni@chiba-u.jp HP http://moral-education.seesaa.net/ ユーザー名 moral-education パスワード 449281
参考文献 永野重史(編) 『道徳性の発達と教育-コールバーグ理論の展開-』 新曜社 (※今日紹介したコールバーグの論文“From Is 『道徳性の発達と教育-コールバーグ理論の展開-』 新曜社 (※今日紹介したコールバーグの論文“From Is to Ought”はこの本に収録されています) コールバーグ(永野重史 訳) 『道徳性の形成-認知発達的アプローチ-』 新曜社 佐野安仁・吉田謙二(編) 『コールバーグ理論の基底』 世界思想社