旧約聖書における正義と憐み (その2) 2016年第3期第4課7月23日
第4課 7月23日 旧約聖書における正義と憐み(その2) 第4課 7月23日 旧約聖書における正義と憐み(その2) 「川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常 に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいに なるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」 (エゼキエル 47:9)
第4課 7月23日 旧約聖書における正義と憐み(その2) 第4課 7月23日 旧約聖書における正義と憐み(その2) 「川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常 に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいに なるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」 (エゼキエル 47:9)
第4課 7月23日 旧約聖書における正義と憐み(その2) 第4課 7月23日 旧約聖書における正義と憐み(その2) 「川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常 に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいに なるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」 (エゼキエル 47:9)
神様の理想的な教会は預言者が告げた正義と憐れみの メッセージに見つけられます。21世紀の教会はその理想を 果たす使命があります。 再び生かされる教会 (キリストにあって生きる) エゼキエル 37:1-14. 成長する教会 (流れる川) エゼキエル 47:1-8. 教会―命の源 エゼキエル 47:9-12. 喜び祝う教会 (ヨベルの年の約束) イザヤ 61:1-11. 教会―変化をもたらす主体 ミカ 6.
再び生かされる教会(キリストにあって生きる) 「また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを 語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。」(エゼキエル 37:14) エゼキエルは枯れた骨で満ちた谷を見ました。そして靭帯、血管、肉そして皮膚でさえ その骨の上に育ちました。異郷生活によって元気の無かった神の人々は新しい力を 受けました。しかしながら重要な要素が欠けています。それはつまり、生命をもたらす 聖霊です。聖霊が入ったとき、戦いに準備ができた大きな軍隊となったのでした。 今日、神の人々は使命を 果たすため神の聖霊に よって生き返ったあの 大きな軍隊と同様に違い ありません。神の聖霊に よって神様が私たちを 再創造した時、私たちは どんな使命を任されて いるのでしょうか。 エペソ2:10. 私たちは「良い行いをするように、キリスト•イエス にあって造られたのである。」。それがキリストとの 関係を新たに生き返らせる実です。
成長する教会(流れる川) 「彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、 アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。」(エゼキエル47:8) エゼキエルは東に向かってエルサレムの 宮殿から小さな泉が吹き出しているのを 見ました。そしてそれは南に向かって 流れ、砂漠を横切り、死海へと流れ込ん でいました。 その泉は奇跡的でした。なぜならそれは流れ込んでいる 川から水を受けているのではないのにどんどんと大きく なり、壮大な広い川となったからです。 その水は神の人々から来る祝福を象徴しています。これらの 祝福は次第に地球を満たすべきです。 謙遜に始まる教会は霊的な 命がある流れの川です。それは 地球全体を照らす明かりです。( マタイ 5:16)
教会ー命の源 「漁師たちは岸辺に立ち、エン•ゲディからエン•エグライムに至まで、網を 広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚の ように非常に多くなる。」(エゼキエル47:10) 私たちが地中海で漁をするように死海でもして みたらどうでしょうか。宮殿から流れる川は そこに無い生命をもたらすことができます。 教会が霊的生命の無いこれらの場所に行き 着き、キリストの生命を与える力で彼らを満たさ なければなりません。 私たちの「網」は投げられ、働くため に準備ができているべきです。私 たちは私たちの地域に身体的、 精神的、霊的健康のアドベンチスト のメッセージを広める使命があり ます。キリストは受け入れる人々に 豊かな癒しと命をもたらすため私た ちの働きをお使いになるでしょう。
喜び祝う教会(ヨベルの年の約束) 「わたしは主によって喜び楽しみわたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。 主は救いの衣をわたしに着せ恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ花嫁のように宝石で飾ってくださる。大地が草の芽を萌え いでさせ園が蒔かれた種を芽生えさせるように主なる神はすべての民の前で 恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。」 (イザヤ61:10-11) イエス様は癒しと慰めと宣べ 伝えることで「神の受け入れ られた年」を宣言されました。 (イザヤ 61:1; ルカ 4:18) イザヤは救いを喜ぶ人は牧師や宣教師となって 彼の例に倣うように勧めています。(イザヤ 61:4-6) 私たちの生き方、私たちのすること、そして喜びが伝染 します。それは「すべての民の前で恵みと栄誉を芽生 えさせてくださる。」からです。
教会ー変化をもたらす主体 「人よ、何が善であり主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。 正義を行い、慈しみを愛しへりくだって 神と共に歩むこと、これである。」(ミカ 6:8) 私たちの生活に愛が無いなら、教理に厳しく 従う事に価値があるのでしょうか。 私は私だからイエス様に従うのであって、私の することの為ではありません。 神様は正義、愛、謙虚さを私に期待しています。 これらの特性は、私が神様をどう礼拝しており、 周りの人達とどのように関わっているかを 通して示されています。 私たちが、これらの原則により動機づけられる 時に、キリストは彼の民を通して、とても実際 的で力強い方法で、他の人たちへ手を差し 伸ばし、応じ仕えることが可能になります。
「世の初めから神はこの世界に祝福を与えるために神の民を通して働いてこられた。キリストを心にやどしているもの、キリストの愛をこの世に示す者はみな、人類の祝福のために神と共に働く者である。他の人々に分け与えるために 救い主から恵みを受けるとき、霊的いのちの 潮が彼の全身からあふれ出るのである。」 E.G.W. (患難から栄光へ第1章)