5月29日(金)4限 第5回「教育の道徳的側面~狼に育てられた子ども~」 道徳教育(他学部) 5月29日(金)4限 第5回「教育の道徳的側面~狼に育てられた子ども~」
教育の道徳的側面 皆さんは数学を生徒に教えるという営みに道徳的要素が含まれていると思いますか? 「道徳教育」に焦点を当てるまでもなく、一見価値中立的に思える事柄を含めて、いかなる教育も価値判断であり、必然的に道徳的な側面を含んでいます。 「○○(例えばこの場合、数学)を学ぶ」ことが人の人生にとって「善い」と思えるからこそ教えるのです。 つまり、大人が子どもを教育する際には意識しているか、していないかは別にして、常に教育の背後にある価値判断も子どもに伝えようとしていることになります。 多くの場合、教師がこの価値判断の存在を意識するのは子どもがそれに反発する時です。
グループワーク① あなたは3歳の娘、Aちゃんの母親(または父親)です。 Aちゃんを幼稚園に入園させることになりました。 Aちゃんには小学校入学に向けて集団生活にも慣れてほしいという気持ちがあります。 また、これまでは両親にべったりで、同じ年代の友だちと一緒に遊ぶ中で学んでほしいこともあります。 ところが、いざ幼稚園に行ってみると、Aちゃんは大好きな両親と離れるのが嫌で大泣きし、友だちや幼稚園の先生とかかわろうとしません。 その日、家に帰ったAちゃんは「もう幼稚園には行きたくない」と泣きながら話しました。 こんな時、皆さんならどうしますか?
狼に育てられた子 1920年、インドで宣教の旅に出ていたシング牧師が狼とともに暮らす二人の人間の女の子(推定年齢は8歳と1歳半)を発見する。 二人の女の子が狼と暮らすようになった経緯については諸説あり、そもそもこの話自体の信憑性を疑う見方もある。 有力な説は貧困の家庭に生まれた彼女たちが子捨てにあい、狼と暮らすようになったというもの。 シング牧師は年長の子をカマラ、年少の子をアマラと名づけて自分の孤児院に引き取り、人間としての教育を施した。 アマラは病気のため、1年ほどで死んでしまうが、カマラは9年間生き、数十語の言葉を覚えたり、二本足で立つなど、ある程度人間としての生活を取り戻した。
シング牧師による写真①
シング牧師による写真②
今日の問い 教育はアマラとカマラを幸せにしたのか? シング牧師は、狼として生きてきたアマラとカマラを、狼の生活から引き離し、「人間らしい」生活を取り戻すために、教育を施した。 では、人間としての教育を受けた9年間(アマラにとっては1年間)はカマラにとって幸せだったのだろうか? シング牧師がアマラとカマラにしたことは道徳的に善いことだったと言えるだろうか? まずは、シング牧師の日記を読んで考えてみてください。
グループワーク② 3~4人のグループで話し合ってみてください。 教育はアマラとカマラを幸せにしたでしょうか?もちろん、シング牧師の立場から書いた日記を読むだけでは限界がありますが、できる限り、アマラとカマラの視点に立って考えてみてください。 その際、「幸せとは何か?」ということも含めて考えてみてください。 シング牧師のしたことは道徳的に「善い」ことだったと思いますか? その他、自由にテーマを設定して話してくれて構いません。
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参考文献 J.A. L.シング(中野善達・清水知子 訳) 『狼に育てられた子ども』 福村出版 西平直 『教育人間学のために』 東京大学出版会