A班 ◎新妻由紀 ○佐々木広清 菊池希実重
目次
調査地概要 宮城県石巻市雄勝町水浜地区
○水浜地区○
雄勝は地名、法印とは「修験道を学んで加持祈祷を行う修験者」を言う 雄勝法印神楽とは、古く は山伏神楽とか大乗神楽 と呼ばれていたことが千 葉家所蔵の御神楽之大 事っていう古文書(元文 四年西暦1739年)に 記載されていて、修験者 山伏が一子相伝で口伝で 伝承してきたもの。 法印神楽にも本山派と 羽黒派があり雄勝法印神 楽は羽黒派に属す。 ○雄勝法印神楽○
修験は羽黒派・本山派・当山派に分類され、羽 黒派とは、山形の出羽三山(月山・湯殿山・羽 黒山)を拠点とした羽黒派修験のことで、本山 派とは京都の聖護院を拠点とした修験で、当山 派とは京都の醍醐寺三宝院を拠点とした修験の こと。 参考: 新山神社例祭2010 http://www.terra.dti.ne.jp/~umetsu/mite_aruki/10niyama_ogatsu.html
歌いながら太鼓をたたくので、リズムが合う 特徴 ・羽黒派→音響が、太鼓2人、笛1人で構成さ れていて舞は、勇壮・豪快 cf)・本山派→音響が、太鼓1人で、笛が中心 となったもの リズムがくずれない! 歌いながら太鼓をたたくので、リズムが合う 教わる方がくずれやすい!
本山派 桃生町等の内陸部 羽黒派 雄勝町水浜等の沿岸部
画像:岩戸開 本神楽の中でもっとも重要で必ず舞うことになっている神楽。神話の天岩戸と同一の内容。 法印と名がついているの だが、日本書記・古事記 の神話物語で構成されて いる。明治元年の神仏分 離が施行され神と仏の習 合を禁じられたため、往 古のままでは舞うことが できなくなり物語りを日 本書紀や古事記の内容と して佛語等を除いて組み 直した。しかし、舞の中 には、明らかに仏系の所 作と思われる部分も多々 あり、神仏混淆を垣間見 ることができる。 画像:岩戸開 本神楽の中でもっとも重要で必ず舞うことになっている神楽。神話の天岩戸と同一の内容。
雄勝町法印神楽保存会 メンバー 16歳代~70歳代までの計23人で構成 全員男性 リーダー 宮守・宮司がリーダー的存在 行事 16歳代~70歳代までの計23人で構成 全員男性 リーダー 宮守・宮司がリーダー的存在 行事 春と秋にお祭りをし、神楽を奉納。 各浜の神社へ年に10回くらい奉納 →若者を出して慣れさせ、育成する。 昔から続いてきて、一般の人に神楽を開放した のは雄勝以外ほぼない。
奉納する神社 これらの他に、雄勝だけで14~15の神社がある 地区名 神社名 水浜 桜神社 分浜 五十鈴神社 雄勝 新山神社 明神 塩釜神社 名振 山祇神社 船越 船魂神社 荒 熊野神社 大須 八幡神社 熊沢 桑浜 白銀神社 立浜 北野神社 大浜 磯野神社・葉山神社
○東日本大震災○ 震災前 震災後 水浜地区の被害状況 約130戸の集落がほぼ壊滅したが、住民は380人中、死者1人、 行方不明者8人で全体の2%程度だった。その背景には、地域で受け 継がれてきた知恵や防災意識の高さがあった。
震災後の状況 住宅は津波でほぼ壊滅 約8~9割の住民が水浜地区から離れる 地区に残った住民は仮設住宅、または残った 自宅にて生活 住民が1/10になった為、約600年続いたコ ミュニティの維持ができなくなった 自治体を解散し、積立金の分配を決定 神楽の衣装や道具類も8割以上が流出 神楽を奉納していた神社も幾つか流された
避難所生活、そして自治体を解散せざるおえない 状況の中でも雄勝法印神楽保存会は残った道具 や着物をかき集め活動を開始した。 5月28日 雄勝総合支所跡「おがつ復興市」 6月18日 石巻市河北総合センター(ビックバン) にて、神楽を披露した。 震災後、神楽を見た町民は「懐かしいおはやしに 感動した」と語った。 雄勝町民にとって法印神楽の存在とは? 震災前後で神楽の持つ意味に変化はあったのか?
震災前の神楽についての認識 保存会副会長(現:会長代行)の伊藤さんのお話 神楽を奉納するのは無病息災・豊作豊漁などを 神様に祈願や感謝という意味が大きい。 基本的に「めでたい」という意味も持っている ので、出演メンバーの身内に不幸があった場合 などはそのメンバーは出演を自粛するなどして いた。
震災後の変化 保存会の会長さんが未だに行方不明であると同時 に今回の震災であまりにも多くの方々が亡く なったので慰めになれば…とのこと。 神楽が復興の第一歩になり、絶えず上演すること で長い復興への道のりの励みになればいい、自 分の代で終わらせない、と伊藤さんは語った。 亡くなった方の供養 復興に向けて町民を元気づける 震災前の認識に新たな意味付けがあった!?
変わりゆくもの、変わらないもの 600年以上も続いたコミュニティ、同時に受け継 がれてきた雄勝法印神楽。震災の前後では意味 合いや認識が変わりつつあることが分かった。 変わらずに受け継がれてきたように思われていた 神楽も実は変わりつつあるのではないか? 誰も予想できなかった未曾有の大災害の影響はそ れほどの計り知れない大きいものなのだ。 しかし、この雄勝法印神楽の存在の大きさは今も 昔も変わらないということができるのではない か。