タイタニック 2005/3/31
タイタニック号沈没 死者1490人 1911年5月31日進水、1912年4月14日沈没 乗船人員:一等325人、2等285人、3等706人、乗組員890人 生存者数:1等202(男33%、女97%)、2等118(男8%、女86%)、3等178(男16%、女46%)、乗組員212(男22%、女71%) 3等の子供は79人中52人死亡
無線電信の歴史 1867年イギリスのジェームズ・クラーク・マクスウェルが、電波の原理を唱え始める 1889年ドイツのH.ヘルツが電波の存在を発見 1896年イタリアのグリエルモ・マルコーニが実用化に成功した 1898年イギリス王室用ヨットに初めて設備
無線電信1 タイタニック号:3つの独立した電源による強力な通信施設 お客の洋上からの故郷への便りに使われることの方が多かった マルコーニ室(無線室)無線通信士は、マルコーニ会社からの派遣員
無線電信2 午後9時40分メサバ号から、氷山に出会った電報が来る (通常は、航行警報に関する電報は直ちに船長に報告され、船長から正式に「了解」の返電が送られることになっている 午後11時カリフォルニアン号から、氷に閉じ込められているという信号、「黙ってくれ」と返電し、電報を打つ仕事を続ける
救命ボート1 非常時に備えて、20隻の救命ボートが設備された(1910年ごろ、一般的に救命ボートは、全員が退船するためでなく、救助船と本船の交通手段と考えられていた) 1894年発令の商務省の規則:1万トン以上は、救命ボートは16隻設備すればよい 1909年の事故:リパブリック号は38時間浮き、その間に全員救助
救命ボート2 全員の救命ボートを設備すると、どうなる 1.客にとって大切な甲板上のスペースをつぶす 2.荒れる北大西洋で、短時間に50~60隻のボートを海面に降ろすことは困難 3.他の船にも設備するなら、ホワイトスター・ラインにとって大きな出費
救命ボート3 他の船会社 当時のイギリスの1万トン以上の船39隻のうち、33隻は全員分の救命ボートを装備せず サキソニア号は50%以下、カーマニア号は29%、ドイツのアメリカ号は55%、アメリカのセントルイス号は54%
事故後 タイタニック号の事故後、氷山パトロール制度が確立(現在は、氷山のすべての位置、方向、速度が観測、報告されている) アメリカ:事故の責任は誰にあるのか イギリス:事故の原因はどこにあるのか
事故調査・査問委員会 アメリカ:救命ボートの数が少なかった イギリス:隔壁の設計ミスが重要 氷の多い海域をスピードを落とさず航海するのはおかしい:会社の「安全運行規則」で注意しているので、会社には罪を咎めなかった 救命ボートの扱いに慣れていると、より多くの乗客が助けられただろう
事故に関わる問題 脆性破壊:1912年に生産されたほとんどの鉄板には、硫黄とリンが多く含まれており、簡単に折れる-2.2℃の水中では更に強度が失われる 船員法第14条「船長は、他の船舶または航空機の遭難を知ったときは、人命の救助に必要な手段を尽くさなければならない」
SOLAS条約 国内法の規制から国際条約へ 船体構造、船舶の区画、救命設備、無線電信(1914年) 現在の安全設備:消防設備、救命艇、無線機、レーダー、電子海図、GPS など 最近:AIS(automatic identification system), VDR(vessel data recorder) IBS(integrated bridge system)
タイタニックに乗った日本人 鉄道院副参事 細野正文(当時41歳) 2等船客 女性を押しのけて割り込んできた、と言われていた 鉄道院副参事 細野正文(当時41歳) 2等船客 女性を押しのけて割り込んできた、と言われていた YMOの細野晴臣の祖父
三等船客の差別 英語が話せない 生存者のなかで女性の生存者の割合が三等船客は少ない 子どもも同様
不沈 二重船殻構造 防水壁で16区画に分かれていた 2区画が水没しても沈まない スクリューが3つ(1つでない) 無線機を備えている