思想と行為 第6回 デカルト 「考える我」 吉田寛
デカルト フランス出身 1596年生- 1650年没 「中世」的な思想に対して、「近代」を確立した哲学者、数学者、科学者 『省察』『哲学原理』『情念論』など 解析幾何学(デカルト座標)、生理学(解剖学、心臓と循環器系)、力学(慣性の法則)
デカルトの時代 BC399 ソクラテス死刑 AD30ごろ イエス磔刑 AD386 アウグスチヌスの回心 (中世教会哲学 アリストテレス的科学&キリスト教神学) AD1600年 記憶術・天文学者のブルーノ火あぶり AD1633 ガリレオ裁判(デカルト『世界論』出版見送り) AD1641 デカルト『省察』 AD1687 ニュートン『プリンキピア』(近代科学) AD1654 パスカルの回心 古代 中世 近代
デカルトの人生 1596年 フランス法服貴族の家庭に生まれる 全寮制学校教育10歳-18年 ラフレーシ学院 1596年 フランス法服貴族の家庭に生まれる 法服貴族=絶対王政を支える官僚・知識階級 全寮制学校教育10歳-18年 ラフレーシ学院 イエズス派(世界中に布教活動・人間の自由を大幅に認める)の学校 後、2年間ポワチエ大学で法律と医学を修める 20歳 旅へ 「世界という書物から学ぶ」 パリに出て、剣術や馬術、数学、議論などの交流 従軍の日々 22歳 霊感を得て、学問を志す
デカルトの世界 時代が違うけど、1800年ごろのヨーロッパ 客死 研究 交流 従軍 誕生 学校 http://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/hypams00/napoleon.2.html より
デカルトの青年-晩年 22歳-31歳ごろまで パリやヨーロッパで旅と交流・研究の生活 1628年 オランダへ移住(学究生活)-1649年 22歳-31歳ごろまで パリやヨーロッパで旅と交流・研究の生活 1628年 オランダへ移住(学究生活)-1649年 『世界論』1633、『方法序説』1637、『省察』1641 デカルト哲学は有名に→有力者の庇護 エリザベート王女との師弟関係→『情念論』へ 娘を持つが、5歳で失う スウェーデン女王クリスティナの招聘で移住 啓蒙君主である女王の相談役に 翌年1650年2月 肺炎で客死 参考:「しりとり歴史人物館」 クリスティナ女王http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/siritori/siribun.html
デカルトの方法『方法序説』 新しい学問の方法について⇔従来の信仰と一体化した学問・知識のありかた(キリスト教風アリストテレス哲学・自然学) 4つの方法 明証の方法 明証的に真であると認めたものだけを真として受け入れる 分析の方法 問題をできるかぎりの単純な小部分に分割する 総合の方法 もっとも単純で認識しやすいものから、少しずつ段階をおって、もっとも複雑な認識まで登る 枚挙の方法 見落としのないように、完全な枚挙と全体の見通しを行う この方法で、「解析幾何学」を創始する
デカルトの懐疑 『省察』 当時の常識やキリスト教-アリストテレス的自然学(-キリスト教的思想)への疑い 懐疑論の問題 デカルトの懐疑 『省察』 当時の常識やキリスト教-アリストテレス的自然学(-キリスト教的思想)への疑い 先入観や迷信との戦い(ガリレオ裁判) 方法論的な疑い 懐疑論の問題 人生は夢の如し?「胡蝶の夢」 人生に一度は、自分の中にある迷信かもしれない知識などをすべて疑って、確実な地点に到達し、そこから真の知識と人生を気付きなおさなければならない。 世を忍ぶための「仮の道徳」→本当の「善く生きる」
懐疑プロジェクト 「善く生きる」ための方法的な懐疑 方針:疑わしきものはすべて疑う 確実な人生を築くための会議 ⇔懐疑論(懐疑のための懐疑) 常識や教育による知識は疑わしい(迷信かもしれない) 感覚的認識は疑わしい(錯覚かもしれない、夢かもしれない) 数学的知識も確実とは言えない(悪霊が私を欺いているかもしれない)
懐疑の底 私は疑う→私は存在する 「考える我」としての私の存在が、すべての人生、知識、学問の一番確実な基礎である。 コギト(I Think)・エルゴ(so)・スム(I am) 私が考えている以上、少なくともその間には、存在する 私が「我あり、我あり」と言うたびごとに、どんな神でも悪霊でも、私の存在を否定することはできない。 「考える我」としての私の存在が、すべての人生、知識、学問の一番確実な基礎である。
合理主義 考える我の「考える」とは? 「近代的自我」(神とは独立の理性ある人間存在)の確立 合理的な推論 懐疑の背理法的構造 私が存在しないと仮定 疑って=考えている以上存在しないはずはない 仮定は誤りで、私は存在する、が正しい 考える我=思考する存在=精神 しかも、何かの経験や教育によるのではなく、神の恩寵によるのでもなく、自力で、自分の理性のみで知ることのでき、否定できない存在であることになる。 「近代的自我」(神とは独立の理性ある人間存在)の確立 近代の自然学、人文社会学、社会制度、教育などなどの基本的枠組みを作った
意思と感覚 自分で懐疑を始めた 確実な理性による明晰判明な知は正しい 自力主義の人間観 意志も「考える我」の重要な性質 恩寵は不要 明晰clare 明らか、クリアーなこと 判明disinct はっきり区別されること 感覚的な判断も明晰判明なら正しい 自力主義の人間観
感情と身体『情念論』 考える我(魂) 歩く私、食べる私(身体は?) 二元論の問題 精神はどこにある? 考える我(魂) 歩く私、食べる私(身体は?) 身体=考える我の認識対象として二次的存在 精神とは区別される物理的存在としての身体(心身二元論) 物理学・解剖学による生理学的な知見 二元論の問題 精神はどこにある? 脳の中? 松果線説 動物精気説 →批判「脳の中の幽霊(ゴースト)」「小人」 コンピュータ(物理的存在)は心を持ちうるのか?
デカルトの「善く生きる」 デカルト的人間像 デカルトの「善く生きる」 神から自由な魂 自分で合理的に考えて認識を拡張 自分の意思と自分の理性で望み、判断し、選択する人生 情念(身体から受動的に生じる感情)を意志の力でコントロールすること(精神の能動)が大切 デカルトの「善く生きる」 自由意志による高邁(けだかさ)な人生&他人の自由意志を認める(愛)ような人生 近代的な人間観、倫理観の確立⇔中世、古代
安楽死と生命倫理 安楽死 デカルト カトリック =生きるよりも死を選ぶほうが合理的なときに意志的に死を選択する 合理的=耐え難い苦痛+治る見込みがない+医師の診断など デカルト 精神と精神の分離 自由な存在(自分は自分の所有) 安楽死容認? カトリック 神が魂を身体に投げ入れた 神の僕(自分は神の所有) 安楽死慎重
参考文献 『デカルト)』岩波新書、野田又夫 デカルトの生涯と著作の紹介 『省察』『哲学原理』『情念論』各、岩波文庫より 『デカルト)』岩波新書、野田又夫 デカルトの生涯と著作の紹介 『省察』『哲学原理』『情念論』各、岩波文庫より 『デカルト』中央公論社(世界の名著)、野田又夫訳 『デカルト入門』ちくま新書、小林道夫 現代のデカルト研究の成果