法と経済学(Law and Economics) ハンドの定式(Hand formula) ハンド裁判官の提示した過失責任認定のための判断枠組 B < P x L 法と経済学における二潮流 1.Richard A. POSNER, Economic Analysis of Law (1977) 2.Guido Calabresi, The Cost of Accidents: A Legal and Economic Analysis (1970)
ハンドの定式 過失を結果回避義務違反として客観化して捉えた場合,過失の有無はどのような基準で判断すべきだろうか.常識的に考えると,予見しうる損害発生の確率が極めて小さく,被侵害利益もそれほど重大でなければ,損害回避のために莫大な費用を投入すべきだとはいえないだろう.結局,どのような行為義務があったかは,損害発生の蓋然性と被侵害利益の重大さ,そして,それを回避するためのコストとの相関によって決まるといえそうである. 回避コスト(B)<損害発生の蓋然性(P)×被侵害利益の重大さ(L)→過失あり
コースの定理(1) 夜中にアパートでカラオケを歌う趣味のAがおり,隣に住む司法試験受験生Bはそれがうるさくて勉強できない.このような迷惑行為を生活妨害といい,場合によって不法行為責任が成立しうる. ノーベル賞も受賞した経済学者ロナルド・コースは,このような事例では,損害賠償責任の成立の有無にかかわらず,両当事者の交渉が容易である限り(これを「交渉費用がゼロ」という),経済的に最も望ましい(効率的な)結論が導かれることを論証した.
コースの定理(2) たとえば,Aにとって毎晩カラオケを歌うことの価値が10万円,Bにとって夜静穏に勉強することの価値が15万円とすると,AのカラオケによってAに生ずる利益以上の損害がBに生じていることになる. この場合,たとえBに損害賠償請求権を認めなくても,両者が合理的に行動し,かつ,両者の交渉がコストなしに可能である限り,10万円以上15万円以下の金額がBがAに支払うことでカラオケをやめるという交渉が成立し,効率的な結果がもたらされるのだという.
カラブレイジの最安価損害回避者の理論 自動車所有者Aと潜在的被害者Bの2当事者によって構成される世界があり,そのままだと交通事故でBは100万円の損害を被るが,もしAの車にスポンジ・バンパーを付けると被害が10万円に減るとしよう.スポンジ・バンパーの経費は20万円であるとすると,経済的にはバンパーを付け替えるのが効率的である.Aが自発的にバンパーを付け替えようとしない場合,Bとしてはバンパーを付け替えてくれるようAと交渉しようとするだろう.交渉費用がゼロであれば,コースの定理通り交渉が成立する.しかし,仮に交渉費用が高くて交渉できないとしよう(それが現実により近い仮定である).そのような場合は,損害を最も安く回避できる者(最安価損害回避者という)に賠償責任を課すよう不法行為法を定めるべきだ,とカラブレイジはいう. 設例では,自ら20万円でバンパーの交換ができるAである(それにより,最も安価に効率的な結果を導ける) しかし,もし誰が最安価損害回避者が分からない場合には,最も安く最安価損害回避者を捜し出してこれと交渉できる者(最安価交渉者という)に賠償責任を課せという.たとえば,交通事故とは全く無関係なロック歌手Cが,自動車の構造に詳しくまたAと親しくて,最も容易にバンパーの付け替えに思い到りAと交渉ができるなら,たとえ事故に無関係でもCに賠償責任を課すのが経済的に効率的だというのである.
法と経済学の問題点 第2に,賠償責任を課せられるかどうかといった.経済的インセンティブによって,本当に事故の抑止効果が生ずるのかという点は,必ずしも実証的に証明されているわけではない.これは,人間が経済合理的な行動をするという仮定の現実性にかかわる.死刑を廃止すれば犯罪率が上昇するか,といった問題と共通の問題である. 第1に,経済学がめざすのは,専ら経済的効率性,つまり,社会的なコストの最小化ないし社会的な富の最大化であるが,法制度を決定するのは,効率性の観点だけではなく,社会的正義の観点も重要である.たとえば,事故に関係のない主体に責任を負わせるのは正義に反すると感ずることが多いだろう.このように,場合によって,効率性は正義や公平といった法の基本原理と衝突する.ここに,法を論ずる者が避けて通ることのできないディレンマがある.