1 台湾日本語学習者は日本人の字体選好 を いかに推論するのか 横山詔一 * ・當山日出夫 ** ・高田智和 * ・米田純子 * * 国立国語研究所, ** 立命館大学GCOE 2008 年 1 月 25 日 人文科学とコンピュータ研究会( CH-77 :東洋大)
2 日常の文字生活の一端をさぐる(国際比較) 海外の日本語学習者がワープロなどの情 報通信機器を使って日本人に文章を書く とき,変換候補として「桧ー檜」などの異 体字ペアが示されるとどちらの字体を選 択するのか? その判断は日本人の傾向とどの程度一致 するのか? 調査参加者は台湾の大学における日本語 学習者。 台湾と日本の文字環境は重なる部分と, 異なる部分を持っている。
3 読み手に配慮した表記の選択 → 読み手の字体選好を暗黙に推論するのでは? 「ワープロや携帯メールなどで日本人に 文章を書く」という 場面を設定。 日本人が読みやすい表記,あるいは違和 感を持たない表記を,台湾日本語学習者 は意識的・無意識的に選択するのではな いか? 文字生活の循環モデルで考えてみる と・・・
4 漢字政策記憶痕跡 なじみ(親近度)好み(選好) 社会的使用頻度 単純接触効果 現実社会 心内辞書 政策へのフィードバック ・用字用語調査 ・世論調査 痕跡強度の測定手法 ・読み書きテスト ・連想検査 ・心像性評定 ・接触意識評定 ・親近度評定 ・表記の適切性評定 など <情報機器で書く> 他者に配慮した 表記の選択 接触して読む頻度 規範性,標準性,適切性, ポライトネスなどの 推論・思考 辞書や教科書 世間の慣習 時代精神 個人の美的直観 「社会的使用頻度」や「接触頻度」に関連する要因の調査 ・教育,出版,新聞,放送:常用漢字 → 「書き言葉コーパス」で実態把握 ・情報通信:JIS漢字,UCS → 同上 ・戸籍:人名用漢字など → 基礎資料の整備が期待される ・地名,略字など → 看板などの「景観調査」 図1 文字生活のサイクルモデル
5 台湾は繁体字の世界 → 母語による日常生活では旧字体を選好するだ ろう 台湾から日本に留学している大学生を対象にし た調査によると,ワープロや携帯メールなどで 文字を書く際により好む字体は旧字体のようで ある(笹原・横山,私信)。 旧字体は新字体よりも繁体字に近い形状を持つ ため,台湾からの留学生にはある程度の「なじ み」を感じさせるのであろう。 つまり,台湾日本語学習者における字体選好は, そもそものベースラインでは,旧字体を新字体 よりも高い確率で選択する傾向を有していると 考えられる。
6 結果予測:アコモデーション(同調)と過剰適用 → 日本の常用漢字に「なじみ」があるためか 一方が常用漢字である異体字ペアの選好は日本人と同じ ようなパターンになる。すなわち常用漢字(新字体)が 選択されるだろう。 常用漢字を含まない異体字ペアでは,日本人よりも「新 字体」を選好する傾向が強く示されるであろう。 仮に以上のような結果が得られたとすれば,台湾日本語 学習者が母語の読み書きで選択する繁体字の字体とは違 う日本の新字体を選択したことになる。 その最大の原因は,「他者に配慮した表記の選択」に帰 属できるであろう。 読み手として日本人をイメージした場面で,書き手の台 湾日本語学習者が自らの判断・意思決定のたよりとする のは,日本語教科書に頻出する字体の記憶像,つまり常 用漢字の字体イメージだろうと容易に想像できる。よっ て,一方が常用漢字である異体字ペアの選好は日本人と 同じようなパターンになるのではないか。
7 結果予測:アコモデーション(同調)と過 剰適用 → 日本の常用漢字に「なじみ」があるため さらに,台湾日本語学習者は「常用漢字 → 新字体」とい う推論を行い,そのルールをほぼすべての異体字ペアに 適用すると予想される。 その結果,日本人が旧字体を好む異体字ペアについても, 台湾日本語学習者は新字体を選ぶことになると考えられ る。 これは,「過剰適用」や “hyper correction” あるいは方言 学研究における “accommodation” の一種と言えよう(阿 部,私信)。 場面差が言葉遣いを変化させる研究は話し言葉を中心に 行われてきた。 しかし,字体選択行動について,場面差の観点から検討 を行った研究は寡聞にして知らない。
8 調査票の例(表紙の一部)
9 調査項目の例
10 実験参加者 台湾日本語学習者のデータは台北市内にある東 呉大学日本語学科の 3 年生と 4 年生のほか日本語 を副専攻とする学生計 78 名から収集した。年齢 は 20 歳から 24 歳が大部分を占めていたが, 25 歳 と 28 歳が 1 名ずつ含まれていた。 2007 年 5 月に東 呉大学において実施。 東呉大学日本語学科は,台湾の大学における日 本語学科でもっとも歴史がある。学習者のレベ ルは高いといわれている。 日本語母語話者のデータは京都市内にある立命 館大学の学生 150 名( 18 歳から 23 歳)から収集 した。 2006 年 1 月に立命館大学において実施。
11 壷壺 潅灌 篭籠 竜龍 鴬鶯 賎賤 鈬鐸 滝瀧 桧檜 諌諫 蛎蠣 表 3.1. 台湾日本語学習者が日本人の字体選好を 暗黙に推論した結果: 日本人よりも新字体に偏る例 MS 明朝フォント 平成明朝フォント(電子政府用) 新字体 旧字体 日本 14.0%86.0% 台湾 80.8%19.2% 日本 24.7%75.3% 台湾 61.5%38.5%
12 表 3.1. 台湾日本語学習者が日本人の字体選好を暗黙に推論した結果: 日本人よりも新字体に偏る例
13 表 3.2. 台湾日本語学習者が 日本人の字体選好を 暗黙に推論した結果: 日本人よりも旧字体に偏る例 日本 73.3%26.7% 台湾 24.6%65.4%
14 観觀 寿壽 発發 会會 倹儉 単單 訳譯 尽盡 区區 銭錢 表 3.3. 台湾日本語学習者が日本人の字体選好を 暗黙に推論した結果: 日本人と一致する例(すべて常用漢字) MS 明朝フォント 平成明朝フォント(電子政府用) 日本 96.0%4.0% 台湾 98.7%1.3% 日本 96.7%3.3% 台湾 98.7%1.3%
15 日本 96.0%4.0% 台湾 98.7%1.3% 日本 14.0%86.0% 台湾 80.8%19.2%
16 日本 96.7%3.3% 台湾 98.7%1.3% 日本 24.7%75.3% 台湾 61.5%38.5%
17 考察 → 日本の常用漢字に「なじみ」があるためか 一方が常用漢字である異体字ペアに対する台湾 日本語学習者の選好は日本人と同じようなパ ターンになり,常用漢字(新字体)が選択され る確率が高いということが確認された。 常用漢字を含まない異体字ペアでは,日本人よ りも「新字体」を選好する傾向が強く示される ことも分かった。 ただし,そのような傾向は異体字ペアで新旧字 体差が大きい場合に多くみられることが明らか になった。 常用漢字を含まない異体字ペアで字体差が点の 方向や筆法の差といった微差にとどまる場合は, 台湾日本語学習者の選好は日本人よりも「旧字 体」に偏る傾向が認められた。
18 考察 → 今後の検討課題 これらは,先に述べた「他者に配慮した表記の選択」と いう要因で説明できると考えられる。今後の検討課題を 4 つ述べる。 第 1 に,台湾日本語学習者における字体選好は,そもそ ものベースラインでは,旧字体を新字体よりも高い確率 で選択する傾向を有しているという,より具体的な証拠 が必要である。 第 2 に,日本語学習の教科書で,実際に使用されている 漢字はどうなのか,調査すべきである。その延長には, 台湾に流入していている,サブカルチャーとしての種々 の日本文化(アニメなど)も視野にいれる必要があるだ ろう。 第 3 に,拡張新字体など,個別に検討・吟味すべき文字 が少なからずあるように思える。 第 4 に,日本と台湾のパソコンでは,そもそも搭載字 数・字体が異なる。この影響をどう考えるべきか。 今後は日本語能力のレベルについてのより綿密なデータ もあわせて採取するなどの工夫が必要になるだろう。