「甘露の法雨」
人 間 吾は『真理』なり、 『真理』より遣わ されたる天使なり
『真理』 より 照りかがやく 「光」なり、
迷を照破す る「光」な り
吾は 『道』なり、
吾が言葉を 行うものは道に そむかず。
吾は 生命なり、
汝ら、よく人間の実相を悟る べし、 人間は霊なり、 生命なり、 不死なり。
神は人間の光源にして 人間は神より出でた る光なり。 光の無き光源はなく、 光源の無き光はなし。
光と光源とは一 体なるが如く 人間と神とは一 体なり。
神は霊なるが故 に 人間も亦霊なる なり。
神は愛なるが故に 人間も亦愛なるなり。 神は知恵なるが故に 人間も亦知恵なるな り。
霊は物質の性に非ず、 愛は物質の性に非ず、 知恵は物質の性に非 ず、 性・・(先天的に性質)
されば、 霊なる愛なる知恵なる 人間は、 物質に何ら関 わるところなし。
まことの人間は、 霊なるが故に、愛なる が故に、 知恵なるが故に、生 命なるが故に、
汝ら生命の実相を 自覚せよ。 汝らの実相たる 『真性の人間』を 自覚せよ。
『真性の人間』 は神人にして 神そのままの 姿なり。
キリストは 『神の国は汝ら の内にあり』と云 い給えり。
誠に誠にわれ汝らに 告げん。 『汝らの内』とは 汝ら『人間の自性』 なり、 『真の人間』なり
『汝らの内』とは 汝ら『人間の自 性』なり、 自性;ものそれ自体の本性・本来の性質 『真の人間』なり
『汝らの内』すなわち『自性』は 神人なるが故に 『汝らの内』 に神の国はあ るなり
外にこれを追い求む る者は夢を追いて走 る者にして 永遠に神の国を得 る事能わず。
物質に神の国を追い 求むる者は 夢を追うて走る者に して 永遠に神の国を建つ る事能わず。
キリストは又云 い給えり、 『吾が国は此の 世の国にあらず』 と。
此の世の国は 唯影にすぎざる なり。
常楽の国 土は内にのみあり、
内に常楽の国土を 自覚してのみ 外に常楽の国土は 其の映しとして顕 現せん。
内に無限健康の生 命を自覚してのみ 外に肉体の無限健 康は其の映しとし て顕現せん。
人間の五官はただ 『映しの世界』 を見るに過ぎず
『映しの世界』を浄 めんと欲すれば 心の原版を浄めて 迷いの汚点を除かざる べからず。
汝ら、物質は移り かわる影にすぎざ ること 恰も走馬灯に走る 馬の如し。
されば、影を 見て 実在となすこ となかれ。
われ誠に物 質の世界の 虚しきを見 たり、
物質の世界 が影に過ぎざ ることを見た り。
われはまた人間 が神より放射さ れたる 光なる事を見た り
肉体はただ心 の影なる 事実を見たり。
物質は却ってこれ霊の影、 心の産物なること、 恰も繭が先ず存在して蚕が その中に宿るには蚕が先ず 糸を吐きて繭を作り 繭の中にみずから蚕が宿る が如し。