アマースト・カレッジ Amherst College 多和 わ子 日本語の文章における名詞の照応性判断 アマースト・カレッジ Amherst College 多和 わ子 こんにちは。私は、アマースト・カレッジで日本語を担当している者で、多和と申します。
講義内容 講義の課題: 日本語の文章の中の名詞が指すものは、特定のものなのか、特定のものではないのか。 講義のながれ: 英語の場合 日本語の場合 (1) 名詞の前に他の言葉が使用された場合 (2) 名詞の前に他の言葉が使用されない場合 練習 皆さんは、日本語は、語彙カバー率が他の言語に比べて極端に低いということを勉強したと思いますが、今日は、一つの名詞に色々な意味があり、さらに複雑であるというお話しをしようと思います。日本語の談話や文章で使用される名詞を、特定のものと判断するのか、あるいは、特定のものではないと判断するのかという問題についてお話しします。先ず、英語と日本語と比べてみます。次に、日本語の場合は名詞の前にある言葉が使われる時とそうでない場合がありますので、その両方の例をみてみます。そして、最後に文章に使われている名詞が特定のものを指すのか、特定ではないものを指すのかの判断の練習を二つしてみたいと思います。
英語の場合 (例文1) I read the book yesterday. (例文2) I read a book yesterday. 冠詞 – the / a(n) 定冠詞 – the 不定冠詞 – a(n) 例1と例2の英語の例文では名詞(”book”)の前には、“the”と“a”という言葉が使われています。この “the” や“a”を「冠詞」と言います。 “the”をつけた名詞は特定のものを指すということから”the”を「定冠詞」、 “a” または “an”をつけた名詞は、特定ではないものを指すということから”a” や”an”を「不定冠詞」と、それぞれ呼ばれています。
用語の紹介 冠詞 (article) 照応的(anaphoric)(である・ではない) 定冠詞(definite article) 不定冠詞 (indefinite article) 照応的(anaphoric)(である・ではない) 照応性判断(anaphoricity judgement) 修飾語 (modifier) 冠詞という用語を前のスライドで紹介しましたが、他に必要な用語を三つご紹介します。先ず、文中の名詞が特定のものを指す機能を「照応的である」と言います。そうでない機能は、「照応的ではない」と言います。そして、名詞が照応的であるのか、そうでないのかの判断を「照応性判断」と言います。そして、三つ目は、名詞の前に使用され、後ろに来る名詞の説明の機能を果たすことばを「修飾語」と言います。この用語は実例を使って、次に説明します。
日本語の場合(1) 修飾語を使用した場合: (例文3) 昨日、その本を読みました。 (I read that book yesterday) (例文4) 昨日、ある本を読みました。 (I read a certain book yesterday) ご存じのように、日本語には “the” や “a” に対応する冠詞は存在しません。しかし、冠詞に似た機能を持つ言葉が修飾語として使われ、名詞の照応性を示すことは可能です。例文3と例文4では、「その」や「ある」を名詞の前に使用して、照応的機能の違いを示しています。「その」の付いた名詞は照応的であり、「ある」の付いたものは照応的ではありません。
日本語の場合(2) 修飾語のない場合: (例文5) 集まりで、おにぎりは、出ましたが、お茶は、出ませんでした。 照応性判断には文脈が必要 しかし、日本語では、いつも「その」や「ある」のような修飾語を名詞の前に使うとは限りません。 例えば、例文5を見てください。この例では、名詞(ここでは「おにぎり」と「お茶」)の前に修飾語は使用されていません。しかし、この文の前後の文脈なしでは、この二つの名詞が照応的であるのか、そうでないのかは判断できません。文脈というのはある文が使用された具体的な状況を示す文章という意味です。
修飾語のない名詞(1) (例文6) A:明日の集まりで、皆に食べてもらおうと思って、おにぎりを作って、お茶と一緒に妹に預けたのですが。 B:そうだったんですか。集まりでは、おにぎりは、出ましたが、お茶は、出ませんでした。 人間は前後の状況を関連づけずに一文だけ発話することはほとんどありません。ですから、文を一つだけ聞いた場合、聞き手はこの文の状況は何であるのか情報を得ようと自然に脳が働きます。例文6は、前の例文5に文脈を含めたものです。例文6では、AさんとBさんが話しています。ここでBさんが言ったおにぎりとお茶は、Aさんが作った特定のおにぎりとお茶を指していますから、照応的であるという判断ができます。
修飾語のない名詞(2) (例文7) A:あそこの集まりでは、いつもおにぎりやお茶がでるんですよ。 (例文7) A:あそこの集まりでは、いつもおにぎりやお茶がでるんですよ。 B:そうだったのですか。昨日の集まりでは、おにぎりは、出ましたが、お茶は、出ませんでした。 例文7では違う文脈を使っています。例文7でのAさんの使用した名詞もBさんの使用した名詞の「おにぎり」と「お茶」も特定のものをさしていません。ですから、両方とも照応的ではありません。この二つの例で分かるように、名詞の照応性判断は文脈の解釈から行われるので、冠詞が存在しなくても、照応性判断は可能です。
練習(1) (例文8) 私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。(夏目漱石 「こころ」) “My friend [who invited me] received a telegram from home demanding his return. His mother, the telegram explained, was sick.” (McClellan, 1957) では、最後に、文章の中に使用されている名詞の照応性判断の練習をしてみましょう。ここでは、ある文学作品から引用された文章を使ってみましょう。皆さんは、夏目漱石という明治文学の作家を知っていますか。夏目の「こころ」という有名な小説の始めの方に例文8のような文章があります。先ず、始めの「電報」は「国元から帰れという」という修飾するものがありますが、聞き手には、照応的ではありません。2度目の「電報」は、始めの「電報」と同じものを指しますから、照応的であると言えますね。McClellan という有名な文学の学者による英訳を参考になさってください。
練習(2) (例文9) 私の家はそんなに大きな家ではないのだが、うちを訪ねてくる人は、台所が大きいと言って、皆が驚く。私は大きい台所はそんなに好きではないのだが・・・。 連鎖的情報に基づく解釈 (Chafe, 1976) では、もう一つ、面白い例文を見てみましょう。例文9での「台所」という名詞の照応性判断はどうでしょうか。さきほどの「電報」の例では、同じ名詞が2度、使われていて、2度目の名詞が1度目の名詞を指すので、照応的であるとしましたが、例9の「台所」は、前の文には出てきません。しかし、始めの文の「家」という言葉を聞くと、先ず聞き手は「家」という名詞の連鎖的情報を記憶から引き出します。ここでの「連鎖的情報」というのは、例えば、家という言葉を聞くと、聞き手は、家というものには居間や台所や寝室があることを既に知識として知っているのです。この現象は、アメリカの Chafeという学者が1976年に説明されたものです。例文9で「台所」という言葉は初めて出てきますが、文の始めに出てくる「家」に属するものの一部ですから、「この人の家の台所」という解釈をします。従って、この文章の「台所」は、「照応的である」ということができます。しかし、2番目の「台所」はどうでしょうか。この台所は前の文の「台所」を指しているものではなくて、一般的に大きい台所が好きではないという意味なので、「照応的」ではないということになります。皆さんがこの文章を英訳すると、どのような英訳ができるでしょうか。
まとめ・終わりに まとめ: 修飾語のない名詞の照応性判断は文脈がなければ不可能。 終わりに: 日本語における修飾語のない名詞の照応性判断には、ここで取り上げられていない複雑な面も多い。 さて、時間が来てしまったようです。今日のお話しの一つの大切なポイントは、日本語の修飾語のない名詞の照応性判断は、文脈なしでは不可能であるということです。実は、照応性判断に関しては、さらに複雑な面も多くありますが、それはまた後日、機会があれば、お話しをしたいと思います。日本語を読む時に、「名詞」がでてきたら、時々、その名詞の照応性判断について考えてみてください。
参考文献・引用文献 Chesterman, A. 1991. On definiteness: a study with special reference to English and Finish. Cambridge: Cambridge University Press. Chafe, W. 1976. Giveness, contrastiveness, definiteness, subjects, topics and point of view. In Subject and topic, ed. C.N. Li, 25-55. New York: Academic Press. Du Bois, J. 1980. Beyond definiteness: The trace of identity in discourse. In The pear stories: Cognitive, cultural, and linguistic aspects of narrative production, ed. W. Chafe, 203-274. Norwood, NJ: Ablex Publishing Corporation. Natsume, S. 1971. Kokoro. Tokyo: Kodansha. McClellan, E. 1957. Kokoro (translation of Kokoro). Chicago: Gateway Editions. Tawa, W. 1993. Interpretation of definiteness: with special reference to Japanese. Word. Vl. 44. No. 3. pp. 379-396. Tawa, W. 1999. Definiteness and bare noun phrases in Japanese. Linguistics: In search for the human mind. Tokyo: Kaitakusha. pp. 652-673. 1999. 最後に簡単な参考文献と引用文献をリストしました。それでは、今日の私のお話しはこれで終わりとします。