釜山・フィルムコミッション様 助成申請資料

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釜山・フィルムコミッション様 助成申請資料 イ・ジュンソプの妻 釜山・フィルムコミッション様 助成申請資料

制作趣旨 第二次世界大戦中に東京の美術学校で出会い、韓国で結婚したイ・ジュンソプと山 本方子。国の違い、民族の違いを乗り越えて愛しあい、共に生きることを願った二人 であるが、朝鮮戦争の戦火の中、日本と韓国の地で別々の人生を歩むことになる。 イ・ジュンソプは、「韓牛」の絵画で後に、国民的作家となるが、家族とともに生活する 願いも叶わず、済州島・西帰浦での生活の思い出を胸に40歳の若さで夭逝してしま う。一方の方子は、日本で二人の子供を育て上げ、現在、東京の世田谷で暮らして いる。二人のそれぞれの人生を追いながら、苦難の中でも生きてゆく力と、人間の愛 と誇りを描くドキュメンタリー映画にしたい。

シノプシス 手紙の山。愛情あふれる文面の数々。受け取ったのは・・・。   東京都世田谷区内のある一軒家。玄関に飾ってある小さな絵。画面いっぱいにはばたこうとしている鳥が2羽 描かれている。家の中でひとり静かに本を読んでいる女性がいる。 山本方子(まさこ)。91歳。 方子は戦前、女学校を卒業後、文化学院で西洋画を学んでいた時、日本統治下の朝鮮半島(現在の北朝 鮮)の元山という都市から内地留学してきたイ・ジュンソプという青年と出会った。長い顎が特徴的だったジュ ンソプは「アゴリ」と呼ばれていた。そのアゴリは現在、韓国の小・中学校の教科書に登場する“国民的画家” となっている。方子は、アゴリとの出会いからをぽつりぽつりと語り始める。 1941年、方子は文化学院の廊下で筆を洗っているときに、先輩のジュンソプと知り合う。意気投合した二人 は、喫茶店や公園でのデートを重ねた。当時の学院では噂の二人だった。方子の両親は二人を温かく見守っ ていた。1943年、ジュンソプがソウルでの展覧会を機に一時帰国する。“一時”のつもりだったが、戦況が悪 化し、東京に戻れなくなってしまった。1945年3月、方子は博多から釜山に渡る。その直前、連絡船がアメリ カの攻撃で沈没したばかりだったが、方子の愛が勝った。釜山から列車でソウルに入り、約2年ぶりにジュン ソプと再会する。翌4月、朝鮮の伝統に則って二人の挙式が行われた。方子は「李南徳(イ・ナムドク)」と名付 けられた。

北朝鮮となった元山での新婚生活だったが、ジュンソプの絵がソ連の美術評論家から高く評価されるなど経 済的にも恵まれ、二人の男児をもうけて不自由なく暮らしていた。 しかし、1950年、朝鮮戦争が勃発。12月、方子たち家族は南へ避難する。戦火を逃れることはできたもの の、難民としての貧しい生活が始まった。始めは釜山、そして済州島、そして1952年、体調を崩した方子と 子供たちは日本人送還船で日本へ。 2013年、方子は車イスの旅に出た。春のソウル(韓国)。ジュンソプと再会した旧半島ホテル(現ロッテホテ ル)のロビー。再会のときのことは今でもはっきり覚えている。「当時、東京では食べられなかったゆで卵とり んごを持って会いに来てくれましたよ」。 市内の「ソウル美術館」。イ・ジュンソプの作品が収蔵されている。美術館でイ・ジュンソプの絵と向き合う方子。 ジュンソプが好んで描いた牛だ。彼は朝鮮民族の象徴とも言われる「韓牛」の絵を数多く残した。 感想を聞いても、「(アゴリから)いろいろ言うなと言われていますから」と言葉を濁す。 その美術館で懐かしい人が待っていた。 金仁浩(キム・インホ)さん。84歳。 朝鮮戦争時、北朝鮮の元山から南に避難するときに一緒だった。キムさんは画家のイ・ジュンソプにあこがれ て自らも画家を目指していたが、夢をあきらめ事業家として成功した。 それまで緊張しているように見えた方子の表情が、キムさんと会ったとたん一気にゆるんだ。笑顔で語り合う 二人。キムさんはとてもきれいな日本語だ。戦前の朝鮮で日本語教育を受けて育った。 キムさんはインタビューで、彼の目から見た方子たち家族、イ・ジュンソプについて日本語で語った。

2013年初秋、済州島。南部の西帰浦に「イ・ジュンソプ美術館」がある。2012年、方子はイ・ジュンソプが 使っていたパレットを寄贈した。再び美術館を訪れる方子。 なぜ、北朝鮮・元山出身のジュンソプの美術館が済州島にあるのか。朝鮮戦争当時、難民としてここに避難し、 家族4人で11か月間を過ごしたのだった。 釜山からの船が着いた和順海岸。静かな波が打ち寄せる。家族はここから3日間歩いて西帰浦にたどりつい た。 美術館の近くに、かつて家族が暮らした小さなわらぶきの小屋が復元されている。食料が十分になく、厳しい 生活を強いられたはずだが、方子はここでの生活を楽しそうに振り返る。 絵画「蟹とたわむれる子供たち」-。食料不足を補うため、ジュンソプは子供たちと一緒に家の近くのチャグリ 海岸へ行き小さな蟹を採った。「身なんかほとんどなくて、食べるところはありませんでしたけどね」。家族は栄 養失調状態だった。妻と子供たちの健康を心配したジュンソプは、妻子を日本へ送る。「またすぐに会えると 思っていました」。深刻な別れではなかった。 ジュンソプの絵「西帰浦の幻想」-。家族と別れたあと、イ・ジュンソプは家族そろって幸せに暮らした日々を 思い、筆を走らせた。

  イ・ジュンソプが家族に宛てた手紙。 当時、日本と韓国は国交がなく、人の往来は制限されていた。(1965年の日韓基本条約まで)。53年に一 度だけジュンソプが日本に来ることができたが、1週間の期限付きだった。離れ離れになった家族に宛てて、 ジュンソプは毎日のように手紙を書いた。明るく希望に満ちた文面に方子や子供たち、自分の絵を添えた。一 方でジュンソプ自身の体調はどんどん悪化していったが、方子は知る由もなかった。1956年、ジュンソプ死 去の知らせを受ける。方子はこのとき35歳。偉大な画家はその才能を十分に評価されないまま40歳の若さ で亡くなった。彼の絵が認められるようになったのは死後のことである。 世田谷の方子の自宅。 方子はジュンソプの死後、この家で息子二人を女手ひとつで育て上げた。 現在の方子の日常。ジュンソプからの手紙を読み返すが、涙は出ない。ただただ懐かしい。 方子が出かける準備をしている。ついていくと美容室だった。週一回、必ず通っている。いつも身だしなみをき ちんとするのは、ジュンソプへの想いから。

時代、戦争、国家に翻弄されながらも、            イ・ジュンソブと方子が選択し、貫いた生き方は、 あたりまえともいうべき、人間に対する信頼と生きる ことへの感謝ではなかったか。 離れ離れになろうとも、 海峡を挟んでともに生きてゆくことの誇りが、 方子の話の中から浮かび上がってくる時、 私たちが生きている今の状況を深くとらえ直す 一つの契機なるのではないだろうか。   玄関に飾ってある絵。羽ばたこうとしている2羽の鳥 は、イ・ジュンソプと方子なのかもしれない。 おわり。

制作日程 【2013年】 6月20日~22日 ■韓国ソウル取材 インタビュー&ロケハン(山本方子さん 同行) 6月20日~22日 ■韓国ソウル取材 インタビュー&ロケハン(山本方子さん     同行) 9月15日~19日 ■韓国済州島 取材&インタビュー(山本方子さん同行)                     10月20日~25日□釜山~ 統営~ソウル 取材インタビュー&ロケハン              山本さんの旧友のインタビュー              イ・ジュンソプの絵画の撮影                イ・ジュンソプの記憶、生存者インタビュー 11月初旬(予定) □ 釜山~統営 撮影       12月~ 編集  【2014年】 1月~2月 編集       2月~3月 音楽・ナレーション・MA (完成試写予定  2014年 3月末)

監督&スタッフ 監督:酒井充子 1969年、山口県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、北海道新聞 記者を経て2000年からドキュメンタリー映画、劇映画の制作、宣伝に関わる 一方で台湾取材を開始する。小林茂監督のドキュメンタリー映画『わたしの 季節』(04)に取材スタッフとして参加。台湾の日本語世代に取材した初監督 作品『台湾人生』(09)に続き、2013年春に『空を拓く-建築家・郭茂林という 男』、『台湾アイデンティティー』を完成させた。著書に「台湾人生」(2010年、 文藝春秋)がある。 撮影:松根広隆 1970年神奈川県出身。撮影助手として数々の作品に参加しカメラマンとなる。 主な撮影作品、寺田靖範監督『妻はフィリピーナ』(93)、酒井充子監督『台 湾人生』(09)、橋本信一監督『1000年の山古志』(10)、押田興将監督『39窃 盗団』(12)、酒井充子監督『台湾アイデンティティー』(13)等々。 音楽:菊池信之(予定)