輸血の歴史 大阪大学輸血部 倉田義之
輸血の始まり 羊の血液を輸血 血液循環論の提唱 ヒトの血液を輸血、成功 17世紀にDenysが貧血と高熱の患者に子羊の血液を輸血。輸血副作用は激烈。4例目の患者が輸血にて死亡。その後、輸血は禁止された。 血液循環論の提唱 1616年、William Harveyが「血液循環論」を発表し、輸血する科学的論拠を樹立 ヒトの血液を輸血、成功 1827年Blundellが10例の弛緩出血の産婦にヒトの血液を輸血、救命した。 そのころはまだ 血液型が発見されていない 抗凝固剤が開発されていない 消毒の技術がない時代であった。
血液型の発見・抗凝固剤の開発 ABO血液型 抗凝固剤の開発 Rh血液型 1901年 LandsteinerがA, B, O血液型を発見 1902年 DeCastelloらがAB型を発見 1911年 Ottenbergらが輸血による死亡事故の主因はABO血液型不適合であることを提唱 抗凝固剤の開発 1914年クエン酸ナトリウムが抗凝固剤として有用であるとの報告 クエン酸ナトリウム使用により血液を保存することが可能となった 第一次世界大戦で戦地の兵士に輸血が行われた 1936年血液銀行設立 Rh血液型 1940年 Landsteiner & Wienerにより発見
輸血感染症対策 B型肝炎 C型肝炎 AIDS 核酸増幅検査(NAT)の導入(1999年7月) 白血球除去血小板製剤の導入(2004年10月) 1964年 Blumbergがオーストラリア抗原を発見 1968年オーストラリア抗原がB型肝炎と関係あることが分かった C型肝炎 1989年 HCV抗体を検査する方法を確立 AIDS 1981年に報告された 1983年 ウイルス分離、HIVと名づけられた 核酸増幅検査(NAT)の導入(1999年7月) 白血球除去血小板製剤の導入(2004年10月)
日本における輸血の歴史 1919年、塩田広重が子宮出血の患者に日本で始めて輸血し、救命 1930年、首相、浜口雄幸がピストルで狙撃されるも輸血にて救命。一躍、輸血が注目される 1952年、日本赤十字社が血液センター開設 1962年ごろ「黄色い血」が社会問題となる 1964年、駐米大使ライシャワーが暴漢にさされ手術、輸血をうけた。その後、肝炎発症し外交問題となる 1964年、血液は血液センターによる献血でまかなうことを閣議決定
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