十勝沖地震 02T3034B 上角 充広
概要 発生日時 1968年(昭和43年)5月16日 発生時刻 午前9時48分53.0±0.5秒 震源地 十勝沖襟裳岬南南東130㎞ 発生日時 1968年(昭和43年)5月16日 発生時刻 午前9時48分53.0±0.5秒 震源地 十勝沖襟裳岬南南東130㎞ 震央 三陸沖 北緯 40.7度 東経 143.6度 深さ 0km マグニチュード 7.9
[東北各地の震度] 震度5 青森、八戸、むつ、盛岡 震度4 秋田、酒田、宮古、 大船渡、水沢観測所、 石巻、福島 震度3 <震度分布図> [東北各地の震度] 震度5 青森、八戸、むつ、盛岡 震度4 秋田、酒田、宮古、 大船渡、水沢観測所、 石巻、福島 震度3 深浦、新庄、山形、仙台 震度2 若松
余震に関して <余震分布図> 5月16日以後にこの方面で続発した地震の震央域の面積は約50,000平方kmで、宇津・関の余震域と地震規模との関係から期待される値内にあり、従来余震と呼ばれていた概念から逸脱しないこと本震の直後5月17日の地震(M=6.7,6.1)とこの震源域が近接することから、この三陸沖一帯の地震活動の一つという意味で余震と呼んでいる。
津波に関して <津波の高さ分布図> 津波の最大振幅は大槌湾における5.7mが最大。 津波に関して <津波の高さ分布図> 津波の最大振幅は大槌湾における5.7mが最大。 ・ 三陸沿岸で3 ~5m ,襟裳岬で3m の津波が発生した。 大きな特徴としては、特に北部において翌日になっても波動が認められ、港によっては漁船が出港するのを見合わせるほどで、その波動現象が長期にわたったことである。
被害状況 〔人的被害〕 死傷者数719人を数え、その内訳は、死者46人、行方不明2人(のち、遺体となって発見された)重傷者121人、軽傷者550人。負傷者は、重傷者、軽傷者をあわせて1,269人に及んでいる。 地すべり、山くずれによる死亡者数は、死亡者全体のうち33人にも及んでいる。死傷者は、おもに八戸市を中心に十和田市・三沢市及び上北郡に発生し、全体の91%を占め、659人にも達している。この地域の特徴であるもろい地盤のうえに強い地震に襲われたことにより、地すべり、山くずれがおこり、多くの犠牲者が出たのである。 ( 次頁:地盤の被害状況について )
地盤にみられた被害の特徴 ・ 地盤及び土質構造物の被害は、八戸市・十和田市・三沢市・三戸郡・上北郡の火山岩屑地帯及び沖積地に広く分布しているが、それらの地域においても特に顕著な被害は集中して発生している。 ・尻内-五戸間に集中して発生した山くずれは、地震前の連続降雨によって含水量が多くなった火山灰土が、地震動によって流動状に崩壊したものである。 ・ 道路・鉄道及びアースダムなどの土質構造物の破壊は、ほとんど地盤の状態に起因したものが多い。すなわち旧河川敷や沢の上に築造された盛土が、降雨によって軟弱化された地盤の破壊に伴って崩壊したものが多い。 ・ この地震によって発生した山くずれ及び盛土崩壊によって生じた人的被害は青森県内死亡者の48人の内、山くずれによる死者26人、盛土崩壊による死者6人となっており、死亡者の過半数が山くずれ及び盛土崩壊に起因している。 ・ この十勝沖地震による被害は、地形と地質の発達状況と密接に関連していることがわかった。
・ 青森県下で道路損壊が多かった。浸水529 件、船舶流失沈没127 隻。またコンクリート造建築の被害も目立った。 〔建物被害〕 ・ 被害は、6市38町村に及び、住家の被害は54,265棟、非住家の被害は3,663棟、建物全壊673 棟、半壊3004 棟。被害金額は実に75億7,922万円に達している。これらの被災人員は70,957世帯313,111人にのぼっている。 ・ 青森県下で道路損壊が多かった。浸水529 件、船舶流失沈没127 隻。またコンクリート造建築の被害も目立った。 県立三沢商業高校(鉄筋コンクリート3階建て)の崩壊 五戸町志戸岸の崩壊した住宅
建物の被害の特徴 ・ 鉄筋コンクリート造建物において,右の写真に示すように柱が極めてもろく破壊する,いわゆるせん断破壊が数多く発生した。柱にせん断破壊が生じると,ある階全体が瞬時につぶれる恐れがあるので,人命確保の観点からも必ず避けなければならない。そこで,1971年の建築基準法の改正および日本建築学会の鉄筋コンクリート構造計算規準の改定の際には,そのようなもろいせん断破壊を防止するために,帯筋の間隔を狭くしたり,たくさん入れるようにせん断設計の方法が強化された。
耐震設計について ・ 地震国であるわが国の建築物の耐震設計は1923 年の関東大震災を契機として始まっている。以来、耐震設計法は地震被害を教訓として改正されている。 ・ (前頁で記した内容を詳しく述べると、)1968 年の十勝沖地震ではこれまで耐震的であると信じられていた鉄筋コンクリート造建物において、窓枠にみられる短柱がせん断力で脆性的な崩壊する被害が発生した。その後の研究によって、1971 年の建築基準法施行令改正、日本建築学会の鉄筋コンクリート構造計算規準の改訂へとつながる。主な改訂は柱の帯鉄筋間隔を柱中央部で15cm 以下、端部で10cm 以下とこれまでの倍以上配筋することになった。