獨協大学 外国語学部言語文化学科 永田 小絵 http://www.geocities.jp/nagatasae/ 通訳翻訳論 翻訳と通訳の歴史 獨協大学 外国語学部言語文化学科               永田 小絵 http://www.geocities.jp/nagatasae/

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獨協大学 外国語学部言語文化学科 永田 小絵 http://www.geocities.jp/nagatasae/ 通訳翻訳論 翻訳と通訳の歴史 獨協大学 外国語学部言語文化学科               永田 小絵 http://www.geocities.jp/nagatasae/

翻訳と通訳の歴史 中国 仏典翻訳 聖書翻訳 近代の文学翻訳 租界と買弁商人 日本  漢文訓読の歴史 鎖国時代の通詞たち

中国における翻訳の歴史 二世紀から九世紀中葉の仏典翻訳活動 十六世紀におけるキリスト教布教活動としての翻訳 十九世紀から欧米の中国進出に伴う翻訳活動

二世紀から九世紀の仏典翻訳活動 401年に長安に入り『法華経』『維摩経』『阿弥陀経』『大智度論』などの初期大乗経典を翻訳 鳩摩羅什(クマーラジーバ)(350年-409年頃) 401年に長安に入り『法華経』『維摩経』『阿弥陀経』『大智度論』などの初期大乗経典を翻訳 真諦(499-569) 武帝に招かれ、多くの経典を翻訳した。 玄奘(三蔵法師 602‐664) 陸路インド(ヴァルダナ朝、ナーランダー寺院へ)へ行き仏典を持ち帰り翻訳(長安の大雁塔で)。「大唐西域記」    →『西遊記』三蔵法師のモデルとなった。 義浄(635~713) インドに二十年余滞在し、三十余カ国を歴訪し、仏典とインド学を研究した。695年に帰国し洛陽の福先寺・長安の西明寺などで仏典翻訳に従事した。

四大訳家:玄奘、鳩摩羅什、真諦、不空(または義浄)。中国国人は玄奘のみ 漢代末期から唐武宗の廃佛まで 二世紀から九世紀の仏典翻訳活動 仏典翻訳の主力は外来の翻訳者 四大訳家:玄奘、鳩摩羅什、真諦、不空(または義浄)。中国国人は玄奘のみ 漢代末期から唐武宗の廃佛まで 中国で翻訳にあたった翻訳者は外国人僧侶が圧倒的多数 本国の僧侶は後期になってから少数

二世紀から九世紀の仏典翻訳活動 八百年近く、翻訳は外来の力に依存 知識階級は翻訳活動を本国文化の主流として位置づけることがなく、翻訳はずっと文化の周辺的な作業であると見なされ、知識人の従事する活動とはなりえなかった。 まだ儒教の勢力が圧倒的であったことも本国人翻訳家の出現をさまたげた大きな原因であろう。 しかしながら、これを別の角度から見るならば、中国の仏教界で外国の翻訳僧が高い地位にあり、排斥されることがなかったことは、中国の翻訳市場が自由で開放された場所であったことを示している。 仏教伝来当初の翻訳方法は外国人僧侶の口頭による翻訳を中国人僧侶が書き留めたもの 本国人の翻訳者がなく、外国人翻訳者が自分の母語ではない原語へ翻訳する過程では、本国人による協力が不可欠となってくる。仏典あるいはイエズス会による翻訳、または十九世紀半ば以降の科学技術翻訳と宣教師の翻訳活動も、実際には本国人との共同作業によって行われたものであった。経文を原語で唱える僧の傍らで、意味の解釈と伝達を行った者は今で言う通訳者である。また、明清時代にイエズス会と士大夫による共訳も、宣教師の翻訳を士大夫が推敲し書き直す作業を行っている。しかし、最もよく見られた方式は宣教師が原文の内容を訳しながら口で伝え、それを本国人翻訳者が書き留めるというものである。たとえば『イソップ寓話』の二種類の訳本はいずれも外国人の口訳を本国人が筆録して完成したものだ。しかしながら、外国語を解さない本国人による口訳筆録の形式では、彼らの単一文化に依存する思考様式によって解釈され、目標原語の文化にかなり引きつけられた翻訳になることは避けられない。一般に、こうした形式は翻訳活動の初期にのみ見られる現象であるが、中国の翻訳史においては、常に主導的な地位を占める方式であったことが大きな特徴の一つとなっている。

初期の通訳者(舌人、通事) 泉州(12世紀) 政和年间(1107-1117年),泉州建立蕃学。所谓蕃学,即授蕃客以其国之文字的学校,或授其以中国文字的学校。宋元时代,穆斯林蕃客船靠岸,即有舌人(翻译)登船说合,在舌人引导下参加市舶司举行的阅货宴、送行宴。此等舌人可能为蕃学所培养。 マカオ(16世紀初) 早期葡萄牙人到澳门开展贸易,其沟通方式主要靠“舌人 ”、“通事”来承担翻译工作,而担任这一工作的主要是懂葡语的华人。为了传教的需要,耶稣会在澳门开展了对传教士的 汉语培训,让西方人学习汉语。

明末の外来宣教師による翻訳 イエズス会による翻訳活動 完全に外国人宣教師によるものであった。 宣教師は現地融合主義をとり、中国語を話し、中国の服を着て、時には儒学を借りてキリスト教を説いた。           当時の中国は鎖国状態であり、本国人                        の通訳者はいなかった。          漢文で多くの著作を残した代表的人物              マテオ・リッチ(1552~1610)      http://www.tabiken.com/history/doc/R/R179C100.HTM

中国における聖書翻訳 唐代初期に最初の中国語訳聖書 ネストリウス派の宣教師アルワーン 元代 明代 マテオ・リッチらの布教 清代 フランシスコ派モンテ=コルビーノ『詩篇』、『新約聖書』 明代 マテオ・リッチらの布教 清代 マーシュマン・ラサール 1810年「マタイの福音書」 モリソン、ミルン 1823年 『神天聖書』 メドハースト 1854年 『新約聖書』 厳復  1908年「マルコの福音書」 

中国近代の翻訳論 厳復から魯迅まで 厳復の「信・達・雅」 魯迅の「硬訳」と梁実秋の批判 胡適の意見 林語堂の翻訳論 「文をもって国を救う」、「言語の改革は思想の改革である」 胡適の意見 国立編譯館での演説から 林語堂の翻訳論 芸術としての翻訳 中国の伝統的な翻訳活動においては二カ国語の能力は必ずしも「翻訳者」の定義に不可欠の要件ではなかった。また、外国人翻訳者が主力であったことは「母語への訳出」はむしろ珍しいことであった。  明末清初の外来の翻訳者はすべて華語をよくする者たちであった一方、彼らの協力者たる中国士大夫階級には外国語を理解する者は皆無だった。当時の中国でそれよりも重要で大きな効果を有していたのは、本国の知識人の名を冠することによって翻訳書の権威付けが行われたとことである。  十九世紀中葉の中国は欧米列強の進出に伴い、西洋の学術を積極的に取り入れはじめた。宣教師たちも再び中国を訪れ、翻訳活動を展開。清朝末期の本国人翻訳者は外国人の助手として雇用された者たちであった。江南製造局翻訳館には多くの本国人翻訳者が雇用されていたが、彼らはそれまでの社会の主流である官僚の出身ではなく、伝統的な観念から言えば社会の周縁にあった人々であった。 近代になると、著名な文学者などが翻訳による国語改革に取り組むようになる。

租界と買弁商人 清朝末期の中国 買弁商人の活躍 急激に国際化の波にさらされることとなった。 政府の腐敗、国の弱体化につけこんだ外国の 侵略  侵略 アヘン戦争 租界の成立 買弁商人の活躍 外国資本と結びつき現地の業者に口利きをする 清国商社が欧米資本とともに日本に上陸 急激に国際化の波にさらされることとなった。

日本における翻訳・通訳の歴史 中国文化の摂取と翻訳 蘭学の系譜 明治時代における翻訳 近現代の翻訳論 漢文訓読の成立 文選読み(原初的翻訳として) 中国近世小説(白話文学)の和訳 蘭学の系譜 長崎通事(阿蘭陀通事)と翻訳 『解体新書』の翻訳 → 『蘭学事始』 明治時代における翻訳 近現代の翻訳論

中国文化の摂取と翻訳 漢字の伝来 西暦284年が最初の記録 我学漢語 ウォーシュエハンユィ ブ ヲ 我学 漢語 二 一 我、漢語を学ぶ 漢字の伝来 西暦284年が最初の記録 音読:漢文をそのまま中国音で読む 訓読:漢文に返り点と送り仮名を付して読む(初期の翻訳) 読み下し:訓読にしたがって書き表す(統語法の日本語化) 日本語に訳す(日本語への翻訳)  我学漢語  ウォーシュエハンユィ     ブ   ヲ  我学 漢語     二   一  我、漢語を学ぶ  私は中国語を学ぶ

『千字文』に見る「文選読み」 「文選読み」とは 同一の熟語をまず音で読み. 続けて 訓で読む 方法 『千字文』(6世紀前半) 「天地(テンチ)」  →「あめつち」 漢字語をいったん和語に 翻訳して理解している。 漢文訓読、とりわけ「文選読み」 は最も初期の翻訳であるとも 言うことができる。 天地 玄黄 テンチの あめつち は ゲンコウと くろく き なり 宇宙洪荒 ウチュウの おおぞらは コウコウと おおいに・おおきなり 

中国近世小説(白話文学)の和訳 十四世紀後半から十七世紀初頭における「白話文学」 これら中国近世小説の翻訳は江戸文学に大きな影響を与えた 白話:話し言葉 → 漢文訓読ができない → 和訳の必要性 三国志演義 → 湖南文山 『通俗三国志』 1689年 水滸伝 → 岡島冠山 『忠義水滸伝』 1757年 岡島冠山(1674~1728) :長崎通詞で荻生徂徠の中国語教師 西遊記 → 口木山人 『通俗西遊記』 1758年 これら中国近世小説の翻訳は江戸文学に大きな影響を与えた 上田秋成 『雨月物語』 1776年 曲亭(瀧澤)馬琴 『南総里見八犬伝 』 1814年

絵本 通俗三国志

忠義水滸伝

日本における通訳の歴史 中国との古来からの行き来 ポルトガルとの南蛮船貿易 17世紀初、長崎の出島 二カ国語を話す人材 長崎でのキリスト教布教(最初は黙認) 信者の増加→幕府は団結を恐れるようになる 16世紀末、バテレン追放令 鎖国時代に唯一海外に開かれた窓口「出島」 17世紀初、長崎の出島 オランダ、中国などとの往来 出島の商館 阿蘭陀通詞、唐通事の成立 他にタイ語、ベトナム語、インド地方言語の通訳も存在

長崎の阿蘭陀通詞と翻訳 長崎 ー 鎖国時代に海外に開かれた窓口 長崎 ー 鎖国時代に海外に開かれた窓口 当時の幕府は通詞に「阿蘭陀風説書和解」を提出させるなど、海外からの情報入手に積極的。 1720年、八代将軍吉宗はキリスト教関係以外の洋書の輸入禁制を緩和し、多くの書籍が日本にもたらされた。 長崎オランダ通詞による辞書の編纂 来日オランダ人による私塾 シーボルトの鳴滝塾 蘭学の流行 解体新書の翻訳

阿蘭陀通詞と唐通事 長崎奉行のもとにおかれた通訳官 民間の通訳者(内通詞) 役人として勤める。 職位が細かく決まっている。 貿易・外交など対外折衝全般を取り仕切る。 親から子へ代々受け継がれる職業である。 民間の通訳者(内通詞) 出島の商館に出入りする民間の業者 通訳を行って、その都度「口銭」を得る。 自由競争によって仕事を獲得する。 後に幕府によって組織化される。

通詞の組織 幕府に雇用される通詞と民間の通詞  正規の通詞:大通詞、小通詞、稽古通詞  民間の通詞:内通詞小頭・内通詞  1695年  通詞目付の設置 十七世紀末に基本的な体制が成立 通詞目附-大小通詞-稽古通詞(幕府組織) 内通詞小頭-内通詞(民間組織) 通詞の職業は家を単位として世襲で代々受け継がれる

幕末から明治時代の翻訳 蘭学から英学へ 明治期の翻訳文学 黒船来港に端を発した開国 江戸時代から明治時代へ 欧米の技術や制度を積極的に導入 福沢諭吉の貢献 明治期の翻訳文学 翻訳文学による国語の変化 翻訳によって作られた現代の日本語

開国から明治へ ペリー率いる米国艦隊の来港 オランダ語が通じないことがわかる 幕府は阿蘭陀通詞に英語を学ばせる 1853年 米国から帰国したジョン万次郎を召し抱える 1860年 米国に視察団を派遣(咸臨丸) 欧米の社会、文化、技術などが日本に紹介される 福沢諭吉の活躍 明治期に入り、欧米の書物が盛んに翻訳される 明治元年から15年までに1500冊あまりの翻訳書を出版

福沢諭吉の貢献 福沢諭吉 緒方洪庵の適塾で学ぶ 江戸で蘭学塾を開く 横浜見物で外国人にオランダ語で話しかけ、まったく話が通じないことにショックを受け、これからは英語が必要であることを実感し、英語を学び始める 1860年 咸臨丸でアメリカに行く 1861年 幕府の通訳官としてヨーロッパへ行く 1864年 幕府の「翻訳御用」となる 西洋事情を著し、欧米の文化を日本に紹介する

翻訳による新たな概念の導入 現代日本語に不可欠な語は翻訳語 Societyの訳語 カセット効果 「社会」、「個人」、「自然」、「自由」など 開国初期:侶伴・仲間・交リ・一致・組・連中・社中 福沢諭吉訳:交際・人間交際・世人・交(まじわり)・国 1875年1月14日付け東京日々新聞の論説 福地源一郎が「社会(ソサイチー)」とカナを付してもちいた カセット効果 柳父章は翻訳語の「カセット効果」を指摘 中味が不明確であるのに人を魅惑し引きつける効果

翻訳による新たな概念の導入 中村正直訳『自由之理』1872年の冒頭部分 江戸期の最初の訳語は「わがまま」 中村正直訳『自由之理』1872年の冒頭部分 ジョン・スチュアート・ミルOn Liberty 1859年を訳したもの リベルテイ〔自由之理〕トイヘル語ハ、種々ニ用ユ。リベルテイ ヲフ ゼ ウーイル〔主意ノ自由〕(心志議論ノ自由トハ別ナリ)トイヘルモノハ、フーイロソフーイカル 子セスシテイ〔不得已〔ヤムヲエザル〕之理〕(理學家ニテ名ヅケタルモノナリ、コレ等ノ譯後人ノ改正ヲ待ツ。)トイヘル道理ト反對スルモノニシテ、此書ニ論ズルモノニ非ズ。此書ハ、シヴーイル リベルテイ〔人民の自由〕即チソーシアル リベルテイ〔人倫交際上ノ自由〕ノ理ヲ論ズ。即チ仲間連中(即チ政府)ニテ各箇〔メイ/\〕ノ人ノ上ニ施シ行フベキ權勢ハ、何如〔イカ〕ナルモノトイフ本性ヲ講明シ、并ビニソノ權勢ノ限界ヲ講明スルモノナリ。(『明治文化全集』第5巻、日本評論社、1927年) 後に「哲学的必然」の訳語 後に「社会」の訳語

ハルマ和解(日本最初の蘭和辞書) 彦根城博物館ホームページ・洋学コレクションより

英和対訳袖珍辞書 (写真はhttp://www.kufs.ac.jp/toshokan/50/eiwa.htmによる) 堀達之助(阿蘭陀通詞)の編による英和辞書

通訳者を主人公にした小説 吉村昭の作品 『黒船』(ペリー艦隊来航時、主席通詞としての重責を 果たしながら、思いもかけぬ罪に問われて入牢するこ と四年余。その後、日本初の本格的な英和辞書「英 和対訳袖珍辞書」を編纂した堀達之助。歴史の大転 換期を生きた彼の劇的な生涯を通して、激動する時 代の日本と日本人の姿を克明に描いた作品) 『海の祭礼』(1848年、ペリーの米航の5年前、鎖国の ただ中にある日本に憧れて単身海を渡ってきたアメリ カ人がいた。その名は、ラナルド・マクドナルド。海か ら見た日本の開国風景を描く長篇歴史小説)

通訳の歴史がわかる本 『開国日本と横浜中華街』 『長崎唐通事』 『阿蘭陀通詞 今村源右衛門英生』 『出島』 『阿蘭陀通詞 今村源右衛門英生』 『出島』 『江戸の蘭方医学事始 阿蘭陀通詞・吉雄幸左衛門 耕牛』 『長崎通詞ものがたり ことばと文化の翻訳者 』 『開国日本と横浜中華街』                                                              

明治期の翻訳文学 坪内逍遥(1859―1935) シェイクスピア 黒岩涙香 (1862-1920) 探偵小説 坪内逍遥(1859―1935) シェイクスピア 黒岩涙香 (1862-1920) 探偵小説 森鴎外(1862-1922) リルケ、ドストエフスキーなど 二葉亭四迷(1864-1909) ツルゲーネフ 尾崎紅葉(1868-1903)グリム、モリエール、ゾラ 小栗風葉(1875-1926) モーパッサン 上田敏(1874-1916) フランス象徴詩

近現代の翻訳論 翻訳論にはいくつかの種類がある 文学者が翻訳の文章について述べたもの 例:三島由紀夫 翻訳者が自らの体験をもとに所感を述べたもの 例:二葉亭四迷 他多数 翻訳という職業について紹介したもの 語学者が個別言語の翻訳について論じたもの 言語学者が翻訳一般について論じたもの 翻訳の歴史について研究したもの                          等々

『文章読本』 三島由紀夫 第六章 「翻訳の文章」 翻訳の初期 明治の翻訳文学 欧文脈の成立 翻訳調と日本語の融合 『文章読本』 三島由紀夫 第六章 「翻訳の文章」 翻訳の初期 多少の誤訳があっても雅文体や漢文混じりの日本人好みに翻訳されたものが歓迎された。 明治の翻訳文学 二葉亭四迷の頃から独特の西欧的雰囲気をもった文体が日本語で作られ始めた。 欧文脈の成立 徐々に翻訳調という奇妙な直訳調が跋扈するようになった。 翻訳調と日本語の融合 日本語の文章そのものに翻訳調が入り込み、翻訳の文章を日本語として読むような状態となった。

『文章読本』 三島由紀夫 全体的効果を再現する翻訳 翻訳の二つの対照的な典型的な態度 読者のとるべき態度 『文章読本』 三島由紀夫 全体的効果を再現する翻訳 如何に語学的に正確であっても、日本語で読んでよい翻訳とは言えない。 作品としての全体的効果がうまく移されているかどうかが重要。 翻訳の二つの対照的な典型的な態度 個性の強い文学者の翻訳になるもの:外国の文物や風俗が完全に日本語に移されないことを承知の上で、あたかも自分の作品であるかのごときクセの強い翻訳を作る態度 オーソドックスなやり方:とうてい不可能ながらも、原文のもつ雰囲気や独特なものをできるかぎり日本語で再現しようとする良心的な語学者と文学の鑑賞力を豊富に深くもった語学者との結合した才能をもつ人が試みる翻訳 読者のとるべき態度 わかりにくかったり、文章が下手であったりしたらすぐに放り出してしまうことが原作者への礼儀。読者が翻訳の文章を読むときにも、日本語及び日本文学に対する教養と訓練が必要。 翻訳文は日本語であり、日本の文章である 読者は語学とは関係なく自分の判断でよい翻訳と悪い翻訳を見分けられる。

次回のテーマ 翻訳のノルム(規範)について 「翻訳の言語学的側面について」 ロマーン・ヤコブソン 「翻訳の言語学的側面について」  ロマーン・ヤコブソン 語彙の翻訳可能性と不可能性 「翻訳論における誤った設問と正しい設問」 コセリウ 社会変革と翻訳 魯迅 理想の翻訳・模範的な翻訳