東芝の選択経営 ~70年代の新組織から現在の組織まで~ 鈴木 潔子 後閑 良佑 これから、第2班の発表を行います。 テーマは「東芝の選択経営~70年代の新組織から現在の組織まで~」です。 発表者は、3年 鈴木潔子、4年 後閑良佑です。よろしくお願いします。
目次 1.前回の概要と、今回の研究 2.80年代 3.90年代 4.考察 * 参考文献 今回はご覧のような目次に沿って発表していきます。 まず前回と今回の研究発表で、どのような繋がりがあるか、ご説明します。 そのうえで、補うべき事項を、時代を追って説明したいと思います。
1.前回の概要と、今回の研究 高度成長時代→多角化戦略・事業部制組織 低成長時代 →SBU・PPM(70年代) スピード時代 →カンパニー制(90年代後半~) まず、前回の研究で私たちが発表したこととを纏めますと、ご覧のようになります。 70年代東芝は、オイルショックで業績が低迷する中、GEの手法を用いて新組織の編成・「選択と集中」による事業の選別を行いました。現在の東芝は、高度情報化社会の到来で変化のスピードが加速する中、90年代後半よりカンパニー制を用いて、事業の機動力を上げようとしました。 そして、どちらも時代・環境の変遷にあわせて経営手法を変えてきた、ということが前回の発表の結論でした。
1.前回の概要と、今回の研究 80年代~90年代前半 欠落 ~70‘s 80‘s 90‘s~ ~70‘s 80‘s 90‘s~ 前回の先生のご高評の中で明らかになったことですが、この私達の研究では、70年代と、90年代後半から続く現在の断片的な姿しか発表しておらず、80年代・90年代前半の研究が欠落した不完全なものでした。 よって今回は、80年代~90年代前半まで、東芝がどのような経営を行ってきたのか、私たちの行った研究を発表していきたいと思います。 80年代~90年代前半 欠落
2.80年代東芝の経営 ・高度情報化社会の到来 ・半導体・情報通信部門の強化拡充戦略 ・全社戦略ではなく、事業戦略に留まった 80年代に突入し、日本はオイルショック後の長期的な不況からようやく立ち直ろうとしているところでした。またこの時代は情報処理・情報通信へ注目が集まり、高度情報化社会が始ろうとしていた時代でもありました。この情報処理・情報通信こそが東芝の運命を変えた大きな存在でありました。 東芝は半導体部門・情報通信部門に、力を注ぎ込んでいきました。これら2つの部門は当時、「新しい産業の米」といわれていました。つまり、「将来日本の産業界を背負っていく、有力な産業になる」と見られていたのです。 ただ、この半導体部門・情報通信部門の強化拡充戦略は、家電部門や重電部門を巻き込んだものではなく、あくまで一部の部門・事業に対し行った事業戦略でありました。80年代初頭に社長の座に就いた沢渡氏は、この当時から全社をあげての戦略として構想していたとのことですが、全社戦略にまで発展したのは、ユビキタス社会が現実味を帯びてきた、ごく最近のことなのです。
2.80年代東芝の経営 ・高度情報化社会=スピードの加速 ・東芝一社での対応は困難 ・海外の有力企業との提携 ・米で「ネオダマ」が本格到来・大型汎用機撤退 が要因となり、成功を収める また東芝は別の角度からも、この高度情報化社会を捉えていました。それは、時代の変化のスピードがどんどんと加速していく、ということでした。 これについては皆さんもご存知のことと思います。携帯電話・メールの普及により、仕事の処理作業が大幅に短縮される。消費者の好み・要望の多様化による、新製品のサイクルの短縮される、といったことです。 話を戻しまして、東芝は当時既に大企業であったことから、時代の変化に的確に対応していくためには東芝一社で総花的に事業をスピードアップするのは困難だと、当時の経営陣は考えていました。そこで東芝は、海外の有力な企業と提携することにより、多用な情報・知識を仕入れ、時代の変化のスピードに乗ろうと考えたのです。 この海外の企業との提携は、結果として大成功を収めました。海外の企業との提携を足がかりに、本格的に海外へ進出し、輸出は大幅に拡大しました。そして前回発表した、東芝の大型汎用コンピュータ部門からの撤退し、小型コンピュータに特化したということが、ここで功を奏すことになります。当時のアメリカはネオダマ、つまりネットワーク・オープン化・ダウンサイジング・マルチベンダー化、もしくはマルチメディア が本格的に到来してきたことで、パソコンを中心とする小型機器の需要が爆発的に伸びていたのです。当然半導体の需要も伸び、東芝は半導体部門を中心に、大きく業績を伸ばすこととなりました。なお、この時代日本は高度経済成長の頂点、バブル経済の真っ只中であったことも、少なからず東芝が業績を伸ばした要因だったと考えられます。
2.80年代東芝の経営 事業本部 事業部 事業本部 事業部 事業本部 事業本部 情報系 情報系事業部 情報系事業部 この高度情報化社会の到来は、東芝の組織変革においても無縁の話ではありませんでした。当時2つの事業本部に平行して存在していた情報系の事業部を1つに纏め、1つの事業本部として設置しました。当時の東芝は、事業本部を収益や情報の共有の領域とする、という経営手法を採用していましたので、事業本部の枠を超える横断的な作業は見られませんでした。 一般論ですが、産業界では、経営責任の明確化と人材の育成などから事業部制を採用する企業が多いことが知られています。しかし、事業部に歴史が出来、巨大化してくると、事業部独自の利益が優先して、全社的な利益がないがしろにされるケースが多々あります。 最近では、多くの事業部で手掛けている様々な機器や装置を接続し、ユーザーに提供することが多くなっています。そこで、事業武官に横串を刺した横断的な組織が必要になり、色々工夫されていますが、現実には、事業部間の利害が対立して調整に時間がかかってしまい、かえって効率が悪くなるということもあります。 東芝では、そうした弊害が出る可能性があることを承知のうえで、異なる事業本部に設置されていた情報部門を統合しました。弊害よりも、目まぐるしく発展を遂げる情報部門をより伸ばすため、成長力の方を優先したのです。 情報系事業部 事業本部
3.90年代前半の東芝の経営 ・バブル経済崩壊と、高度情報化社会への進展 ・市場の変化が激しくなる ・機動的な事業運営体制の構築 ・トップにおける戦略的経営機能の強化 続きまして、90年代前半の東芝の経営について触れたいと思います。90年代に入ると、まず象徴的な出来事として、バブル経済の崩壊がありました。これにより日本の高度経済成長は終焉を迎えることとなりました。しかし、80年代に始まった高度情報化社会への歩みは止まることなく、むしろ一層の進展を遂げていくのです。このバブル経済の崩壊、高度情報化社会市場の進展という2つの異なる状況が、一層市場の変化を激しくさせることとなりました。 この変化に対応し成長していくためには、機動的な事業運営体制の構築・トップマネジメントにおける戦略的経営機能の強化が必要と、当時の経営陣は考えていました。
3.90年代前半の東芝の経営 事業部 事業本部 事業グループ 事業本部 ・事業グループには担当役員を配置。経営権を持つ。 ・市場の変化に対応した機動的な事業運営 ・事業グループ内でのシナジー効果 事業本部 事業グループ そのため、市場に適応した事業運営を推進するための組織の大きなくくりとして、複数の事業本部で構成する「事業グループ」を設置し、それぞれの事業グループには、社長の分身である「事業グループ分担役員」を置きました。事業の基本運営単位は、それまでと同じ事業本部ですが、事業グループ分担役員は、社長からの権限委譲を受けて、複数の事業本部にまたがる横断的な事業グループ経営をすることで、市場の変化に対応した機動的な事業運営が可能となりました。さらに経営資源の共有化・集中化などを測り、事業グループ内のシナジー効果を発揮できるようにしていくことになりました。 その後、東芝は前回の発表でご説明したカンパニー制へと移行していくことになります。 事業本部
4.考察 高度成長時代→多角化戦略・事業部制組織 低成長時代 →SBU・PPM 高度情報化社会 → 強化拡充戦略・ 高度情報化社会 → 強化拡充戦略・ の到来 事業グループ制組織 スピード時代 →カンパニー制 最後にまとめですが、前回申し上げたことは、 企業は時代・環境が変わると共に、それに対応した組織の構築・戦略の策定をする必要がある、ということでした。今回もその結論に変わりはありませんでした。 高度成長時代により多くの収益を上げるために用いられた多角化戦略とそれに伴う事業部制組織。低成長時代の中でも収益を上げるために導入されたSBUとPPM。高度情報化社会に対応していくための強化拡充戦略と事業グループ制組織。時代のスピードに負けないためのカンパニー制組織。どの手法も時代・環境の変遷に合わせる形で用いられた手法です。 また、これからもIT革命時に負けないくらい新しい技術が頻繁に生まれてくると考えます。その時その時で激しく変わる環境の中、大企業はどのように組織形態を変化させ対応していくのか、非常に興味を持つきっかけとなった、今回のグループ研究でした。 以上です。
*参考文献 『ケースに学ぶ経営学』 東北大学経営学グループ著 有斐閣ブックス 『東芝デジタル経営革命』 徳丸壮也 出版文化社 『ケースに学ぶ経営学』 東北大学経営学グループ著 有斐閣ブックス 『東芝デジタル経営革命』 徳丸壮也 出版文化社 『東芝「オン・デマンド」への挑戦』 岩淵明男 オーエス出版 『現代経営学入門』 土屋守章著 新世社 東芝『アニュアルレポート』 東芝、野村総合研究所 ホームページ 以上 えー、最後に、こちらが参考文献となっております。色で囲ってある文献が、今回新たに参考にしたものです。 パワーポイントはそのままに・・・・ 以上で、私たちの発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。