2.地震
2.1地震と災害 2.1.1地震災害
濃尾地震の被害写真
2.1.1.1地震断層の出現—揺れによる圧死 濃尾地震の例 2.1.1.1地震断層の出現—揺れによる圧死 濃尾地震の例 内陸地震。1891年(明治24年)10月28日午前6時38分。深さ10〜20km。M8.0。震度7つまり激震。死者7273名。家屋全壊14万戸,半壊1万戸余り。根尾谷断層という断層が出現。下敷きによる圧死多数。
根尾谷断層: 断層→地震の証拠
図2.1 濃尾地震の震度分布 図中の太線は震度境界。中央の櫛形の太線は根尾谷断層で,その周辺の数字の7は震度7。
図2.2日本列島の活断層分布図 図中の1,2,3はそれぞれ,根尾谷断層系統,跡津川断層系,阿寺断層系である。この地域は,日本で最も活断層が密集している。
1923関東地震:上野公園の避難民
2.1.1.2都市火災 関東地震の例 プレート境界型地震。1923年(大正12年)9月1日午前11時58分。震度7つまり激震。 2.1.1.2都市火災 関東地震の例 プレート境界型地震。1923年(大正12年)9月1日午前11時58分。震度7つまり激震。 死者・行方不明者10万5千余。家屋焼失21万2千余(全半潰後の焼失を含む)。被害総額は当時の国家予算の1年4カ月分に達する。
火災による死者は91,781人で全体の87%に及んでおり,大正関東地震は大規模火災による多数の死者が特徴的
旧陸軍被服廠跡 現墨田区南部にあたる本所(ほんじょ)区にあった旧陸軍被服廠跡では44,030人が焼死した(本所区の全死亡者数は54,498人で火災による死亡者数は53,620人)。 現在,震災記念館・東京都慰霊堂が建っている。現在の東京都にあたる東京府では,死者70,387人のうち焼死者は66,521人で94.5%に達している。
関東地震:本所被服廠跡構内
火災原因 火災は地震直後に発生。火元は東京府で163カ所。その半数近くが消火された。 出火原因のうちで,最大は飲食店のかまどとさでの火元で延焼したといわれる。
延焼要因 当日は台風が接近してきており,当日正午で風速10m/秒,24時には元衛町(現大手町)で20m/秒に達している。 火災旋風 『大正大震火災誌』の本所被服廠跡構内惨劇の一瞬前 (証言p. 18−19) 火災旋風の原因説 解離ガス説 水が熱によって酸素ガスと水素ガスとに解離したもので、爆鳴気とも言われ,大音響とともに、爆発(証言p. 19)
図2.5関東〜近畿地方太平洋側のプレート境界と江戸時代以降の巨大地震 ●のそばの数字は発生年代と地震のマグニチュード。
図2.6関東地震の地殻変動 海岸線付近の実線は隆起,内陸部の破線は沈降
図2.7 沈み込み帯でのプレート間地震発生モデル 図2.7 沈み込み帯でのプレート間地震発生モデル 中段と下段の図の赤色の曲線はそれぞれ一段上の大陸プレートの表面の外形を示す。中段と下段の上下方向などの細い矢印はより上段に比べての地殻変動の方向を示す。
次の関東地震 現在最も注目されているのは東京湾北部地震 2004年8月発表 文部科学省 今後30年以内に70%の確率で発生すると予想。 現在最も注目されているのは東京湾北部地震 2004年8月発表 文部科学省 今後30年以内に70%の確率で発生すると予想。 東北地方太平洋沖地震後。東京大学地震研究所報告では4年以内70%,30年以内98%, 京都大学防災研究所報告では5年以内28%,30 年以内64%, 統計数理研究所の同年4月23日の報告では5年以内30%弱,30年以内70%。
図2.8 関東地震と東京湾北部地震の発生位置 相模湾・東京湾・陸域延長断面を示す。フィリピン海プレート上面(黄実線部)の浅い部分で大正(1923年)関東地震の震源域(赤破線部)が,この北方延長で東京湾北部直下(黒太実線部)で東京湾北部地震の震源域が分布している
図2.9 立川断層活動時の震度分布予想 本断層帯は北東側が相対的に隆起、北西部で左横ずれを伴う。最新活動時期は20,000〜13,000年前で,平均活動間隔は10,000〜15,000年とされ,今後30年以内にほぼM7.4の地震が生じる確率は0.5〜2%とされている
1964新潟地震:県営アパートの倒壊
2.1.1.3液状化 新潟地震の例 大陸プレート内地震。1964年(昭和39年)6月16日午後1時2分。新潟市北50kmの粟島付近を震央。新庄,酒田,仙台など新潟県・山形県で震度5。死者26名,家屋全壊1960棟,半壊6640棟,浸水15298件。新潟市内各所で噴砂水,地盤の流動化が見られた。
新潟地震: 液状化
2.1.1.3.2液状化 図2.11 信濃川河口周辺の液状化地域 信濃川の堤防後背地に集中した。かつての後背湿地である。ここに示した昭和大橋は開通したばかりであったが落下した。
図2.12 液状化の原理 資料:埼玉大学工学部建設工学科振動研究室の図を改変。
図2.13 (上段)1964年基盤地震波 (中段)川岸町アパートでの地震波記録 (下段)過剰間隙水圧比時刻歴 図2.13 (上段)1964年基盤地震波 (中段)川岸町アパートでの地震波記録 (下段)過剰間隙水圧比時刻歴 1964年新潟地震の強震計による地震波の観測値は,この川岸町地震波が唯一である。この地震波は後述するように液状化の影響を受けている。I_2図2.13上段の図は液状化の影響を取り除いた基盤地震波(余川ほか,2009) である。60秒に渡って示されている。 中段には吉田ら(2000, 2008) による有効応力と全応力が示されている。この2応力の波形がずれ始めるのは約11秒後であり,下段の過剰間隙水圧比の時刻歴と併せ,液状化が発生したのは約11秒後とされる。図中に緑の縦の破線で示している。 地層中の堆積粒子の間隙水圧は地震などで変動する。間隙水圧について,(地震発生時 - 通常時)/通常時,の計算値は,過剰間隙水圧比と呼ぶ。これが0の場合は、過剰間隙水は存在しない。下段の図の11秒後のようにほぼ1.0になると通常の問隙水圧の2倍となる。過剰間隙水圧が大きくなると液状化現象をおこす可能性が高い。 上段の地震基盤の地震波は地震開始後11〜12秒で減衰してゆくが,下段ではその頃に間隙水圧比が1.0に近づいている。大岡(1975)などは中段の地震波について,ほぼ7秒後から地震波が5〜6秒に長周期化しており,これは液状化によるものであることを指摘しているが,中段に黄色の破線で示すように,これより前からというか全記録で10秒余りの長周期波を認めることができる。この長周期波は新潟平野の基盤岩と未固結堆積物の境界から構成される地下構造と密接な関係がある。
2.1.1.3.4 平成16(2004)年新潟県中越地震 新潟県南西部〜長野県北部には活断層・活褶曲が多く,歴史時代にM7級の大地震が発生。この地域には,新潟地震のように直下型ではないものと,越後三条地震のように直下型のものがある。後者は1828年12月18日午前7時頃起きた。M6.9で現在の長岡・三条付近の直径約20kmの地域に被害が集中した。死者1443人,全壊9808戸,半壊7267戸,焼失1204戸などの被害が出た。
図2.14 新潟3地震の震源および断層モデル 長野から直江津にかけてはM5〜6級の地震がよく起こる場所である。 図2.14 新潟3地震の震源および断層モデル 長野から直江津にかけてはM5〜6級の地震がよく起こる場所である。 長野から直江津にかけてはM5〜6級の地震がよく起こる場所である。新潟県南西部〜長野県北部には活断層・活褶曲が多く,歴史時代にM7級の大地震が発生している(力武,198170)。この地域には,新潟地震のように直下型ではないものと,越後三条地震のように直下型のものがある。後者は1828年12月18日午前7時頃起きた。M6.9で現在の長岡・三条付近の直径約20kmの地域に被害が集中した。死者1443人,全壊9808戸,半壊7267戸,焼失1204戸などの被害が出た(宇佐美・木村,198020)。
2.1.1.4都市開発型被害 1978年宮城県沖地震の例 プレート境界低角逆断層型地震。1978年6月12日午後5時14分。深さ40km。M7.4。震度5(大船渡、仙台、石巻、新庄、福島)。東北全県で死者29名,負傷者10,962名。 家屋の全壊1,377棟・半壊6,123棟,崖崩れ等529カ所。都市開発型の被害。
1978年宮城県沖地震: ブロック塀倒壊
1978年宮城県沖地震: ピロティ(高床の空間)の倒壊
2.1.1.4.2都市開発型 1936年のほとんど同じ震源位置のM7.5またはM7.7の地震の際には非住家全壊3という軽微な被害であった。 1978年地震の被害の特色:宮城県での死者は27名で,仙台都市圏の死者は20名,このうち16名がブロック塀(12名)や門柱に押しつぶされて亡くなった。 埋め立て造成された新興住宅地の地すべりによる被害が大きかった。急な谷筋を埋めた団地では,いわばダムのような大規模な土留めが崩壊した。 ライフラインのうち,電気,水道,ガスなどの供給システムが一時マヒ状態になった。
続 2.1.1.4.2都市開発型 1936年のほとんど同じ震源位置のM7.5またはM7.7の地震の際には非住家全壊3という軽微な被害。 続 2.1.1.4.2都市開発型 1936年のほとんど同じ震源位置のM7.5またはM7.7の地震の際には非住家全壊3という軽微な被害。 1978年地震の被害の特色:宮城県での死者は27名で,仙台都市圏の死者は20名,このうち16名がブロック塀(12名)や門柱に押しつぶされて死亡。
図2.8 1936年以降の宮城県沖地震の震源と余震分布 限られた範囲で繰り返されている。 図2.8 1936年以降の宮城県沖地震の震源と余震分布 限られた範囲で繰り返されている。 1978年宮城県沖地震の発生後3日間の余震発生域(小さな○で表示)の上に,1936年,1978年,2005年のプレート境界型地震の震央と余震域(ほぼ震源域)を示す。