――『変身物語』第3巻におけるナルキッソスの場合―― オウィディウスが目指した「狂気」の表現 ――『変身物語』第3巻におけるナルキッソスの場合―― 人文学研究科 西洋古典学専門 D1 服部桃子 ナルキッソスといえば… 「ナルシシズム(Narcissism:自己愛)」の語源となった人物。泉に映った自分の姿に恋し、やせ衰えて水仙に変身したと語られる。 『変身物語』のナルキッソス神話は、最も有名 かつ一般的な伝承に基づいており、作品中で ナルキッソスの恋は二度「狂気」と言われる。 二度の「狂気」 ①オウィディウスの記述(地の文) vana diu visa est vox auguris: exitus ilam resque probat letique genus novitasque furoris. (3.349-50) 予言者の言葉は長らく嘘だと思われていた。実際の出来事が死にざまと思いがけない狂気を証明した。 ②ナルキッソス自身の発言 “quo refugis? remane nec me, crudelis, amantem desere!” clamavit; “liceat, quod tangere non est, adspicere et misero praebere alimenta furori!” (3.477-9) 「どこへ逃げるんだい?止まっておくれ、無情な人、恋する私を見放さないで!」と(ナルキッソスは)叫んだ。「触れることが許されなくても、見つめることは、惨めな狂気に糧を差し出すことは許されますように!」 そもそも自分に恋をしたのは… ・ナルキッソスは美青年ゆえ、たくさんの男女から求愛されていたが彼らを弄んだ(lusit, 402)。 (そのうちのひとりである木霊になったニンフ・エーコーの神話が356-401行で語られる) ・その結果、何者かが「彼が自分を愛するように」と祈願し、復讐の女神(Rhamnusia)がそれを聞き入れる。 何故「狂気」とされているのか 「狂気」と表記されている二度とも、自己愛を前提としている ①作者による物語の概要の説明 ②自分が誰に恋しているかに気付いたナルキッソスの独白の結び あまりにも異常な恋だから「狂気」? ↓ ただし… 自己愛だけでなく同性愛の要素も含まれる 呪いをかけたのは男性(aliquis)である。 同性愛を拒絶→同性愛の罰 (2) ナルキッソスは最初、水面に映った自身の姿に惹かれていることに気付いていない。 「彼は何を見ているかわかっていない (quid videat, nescit. 430)」 (3) 気付いた後も、水面の像は別人格とする 「お前」という呼びかけ ※古代ローマにおいて同性愛は(公的には)悪とみなされていた ☆異常な恋というだけでなく、精神に混乱をきたしている(male sanus, 474)から「狂気」 作者は「狂気」をどう扱っているか 第3巻は、人間が神から罰を受ける物語が連続している。ナルキッソスの恋も、復讐の女神が下した罰。 ↓ しかし… ナルキッソスへの同情も見られる ・作者から登場人物への語りかけ(ekphrasis) 432-36行、彼を救いたいという意思? ・エーコーをはじめとしたニンフたちによって 埋葬が試みられる エーコーはナルキッソスへの「怒りも記憶も あったのに、悲しんだ(quamvis irata memorque, indoluit. 494-95)」 狂気に対して非難と 同情が並存する 参考文献 Anderson, William S. 1972. Ovid’s Metamorphoses, Books 1-5. Norman. Calimach, Andrew. 2001. Lovers' Legends: The Gay Greek Myths. New Rochelle: Haiduk Press. Fratantuono, R. 2011. Madness Transformed: A Reading of Ovid’s Metamorphoses. Lexington. Hill, D. E. 1999. OVID Metamorphoses I-IV. Aris&Phillips Ltd. フパーツ,C. (田中英史・田口孝夫訳)「ギリシアとローマにおける同性愛」、『同性愛の歴史』2009、東洋書林