障害受容 -リハビリテーションにおける使用法- 20061216 障害学研究会関東部会 第55回研究会 田島明子 東京都板橋ナーシングホーム 作業療法士 立命館大学大学院先端総合学術研究科院生 ・暮れのお忙しい時期に、ご苦労さまです。 ・つるたさんのお誘いで、このような貴重な機会に報告させていただき、ありがとうございます。 ・今日は、冊子の内容を紹介。全体の内容の説明をしていきますので、いろいろご意見ください。 ・冊子は、「立岩出版」で販売もしている。今日も何冊か持ってきましたので、ご希望の方は後でお声かけください。 ちなみに、代金は私の懐に入ってくるわけではなく、 「立岩基金」になる。院生の研究活動の支援にあてられる。ご協力いただければ。 ・私の方からの報告は、だいたい1時間半程度、になるかと思います。
自己紹介 作業療法士として働いて14年め 東京都心身障害者福祉センターで8年 →「障害受容・障害理解が悪いから一般就労にこだわる」? ・ 社会学との出会い →うまく説明できない不快・違和感に言葉を与えてくれるのではないかという期待感 ・ 東洋大学の修士課程へ-障害者の就労を研究テーマに選ぶ →障害を持つ当事者が望む就労のあり方とは? →http://www.arsvi.com/2000/030900ta.htm →冊子の第1章部分に連結 ・作業療法士として働いて14年め ・東京都心身障害者福祉センターで8年 ・「障害受容」という言葉に疑問を持った、最初の問題意識(といいますか、私の研究活動の問題意識)は、この、都の身体障害者福祉センターで培われたものが大きいと思います。 ・私は、ここで、8年間のうちの6年間、判定業務をしてきました。補装具・施設入所判定。 ・私は、直接、就労支援には関わらなかったが、施設内で、公開ケース会議というのがあり、ベテランの支援者の方の報告を聞く機会があった。その報告のなかで、例えば、「Aさんは、一般就労にこだわっていて、障害受容が悪い」というような発言が聞かれるわけです。新卒で勤め始めて、「障害受容」という言葉を耳にして、違和感というか、不快なかんじがしました。本人が勤めたいんだというと、障害受容できていないと言われてしまうので、あきらめを強いているような印象を持ちました。 ・たまたま、働き始めて3年目に、身障センターから近かったというのもあって、夜間で社会学部がありまして、東洋大学に通うようになった。そこで初めて社会学というのに触れたんですが、職場で感じていた、違和感や不快感に、言葉を与えてくれるのではないかという期待感を持ったことを記憶しています。 ・で、そのまま、東洋大学の修士課程にいきまして、そこでは「障害者の就労」をテーマに選びました。これまで、身障センターで、いやというほど、「専門家主導」の支援を見てきまして、(私のやってきた仕事も、その人の作業能力をみて、この人は、授産施設、この人は、療護施設、と既にある受け皿に対象者を能力であてはめていくようなかんじだったわけです)、それに対して、当事者の人たちが望む就労のあり方はどんななんだろう、ということが知りたくなったわけです。 ・修士論文の全文は、立岩先生のHPのなかの、このURLにありますので、みていただけたらうれしいです。 ・で、この、修士論文の内容が、冊子の第1章に連結していきます。
全体的構図 第1章 通底する問題意識・視座 第2章 実証研究① 第3章 実証研究② 第4章 実証研究③ 第5章 全体考察 第1章 通底する問題意識・視座 第2章 実証研究① 第3章 実証研究② 第4章 実証研究③ ・ここで、この冊子の全体的構図の説明をさせていただきます。 ・まず第1章は、あとで詳しくみていきますが、修論の内容を取り入れた内容になっています。ここでは障害受容という言葉は直接でてきませんし、一見すると関係がなさそうにも思えるんですが、この第1章は私自身の冊子を通底する問題意識・視座ということで、ちょっとがまんして聞いて頂けたら、と思います。 ・ちなみに、この3つの実証研究1・2・3は、時系列的にも、1・2・3の順序でして、1でわからないところが2でわかり、2でわからないところが3でわかり、というようなところがありまして、そういう風にご理解いただければ、と。 ・最後の5章で全体の考察を行っています。 第5章 全体考察
第1章 リハビリテーションの内在価値 -障害者の就労の3つの位相をめぐる一考察- 第1章 リハビリテーションの内在価値 -障害者の就労の3つの位相をめぐる一考察- ・この第1章の部分は、「作業療法」という雑誌に、昨年掲載していただいたものです。 その時の正式なタイトルは、「ひとの価値と作業療法」でサブタイトルは、これと同じ、です。
問題意識の所在 問題設定: 作業療法士というリハビリテーションの援助職として、対象とする人たちの「存在価値」のための規範・倫理をどう設定し、どう理論枠組みに組み込むか ↓入口・導入として 研究目的: これまでのリハの位置、内在価値のおかしさを、「ひとの価値」「存在価値」という観点から指摘する ・この論文は、先ほどご紹介しました修士論文の理論化を試みたもの、とも言えると思いますが ・大まかに内容を申し上げるなら、リハビリテーションといっても作業療法に限定していますが、その内在価値を見て、「能力主義」と「障害価値」の2つの接点を分析軸として「リハビリテーションの位置」を明らかにし、「ひとの価値」「存在価値」という観点から、作業療法の内在価値について批判的検討を行ったものです。 ・つまり、「存在価値」のための規範・倫理をどう設定し、どう理論枠組みに組み込むか、という問題意識がありまして、その入口・導入として、これまでのリハビリテーションの位置や内在価値のおかしさを、「ひとの価値」「存在価値」という観点から指摘することが本研究の目的です。
作業療法における内在価値 (歴史的流れ) 理学療法士法および作業療法士法 「作業療法の核を問う」(1975-1989) -第9回OT学会「私の考えるOT」(1975) -第20回(1986)、第21回(1987)、第23回(1989)OT学会「作業療法の核を問う」 ・ 佐藤剛,1992,四半世紀からの出発-適応の科学としての作業療法の定着を目指して-,作業療法11,PP8-14. ・ 人間作業モデル、カナダ遂行作業モデル ・ここで、作業療法の内在価値を確認するまえに、その前提として、作業療法についての紹介がてら、作業療法の歴史的な流れを見ておこうと思います。 ・冊子で言いますと、8頁に書かれてあることです。
作業療法の内在価値 →「回復モデル」:不十分な能力を向上させる 「適応」概念 →「人間と環境の相互作用」に着目 →「人間と環境の相互作用」に着目 →「人と環境が調和している状態」が良い状態 ・ 2つの働きかけ: 「回復モデル」と「代償モデル」 →「回復モデル」:不十分な能力を向上させる 「代償モデル」:不十分な能力のままでもできる →「障害」を、本人の機能をよくしたり、周囲との関係の調整により、解消していこう ↓対象者にどのような変化を期待? 「障害」によって生じた環境・社会との不調和を、「障害」をなくす、解消することで「調和した関係」にしていこう ○肯定的価値:できること、適応状態 ●否定的価値:不調和な関係を生じさせる「障害」=できないこと
障害者の就労の3つの位相 対象: 一般就労、福祉的就労、共同事業所、 ピアカウンセラー 分析方法: 一般就労、福祉的就労、共同事業所、 ピアカウンセラー 分析方法: これら就労形態が「能力主義」とどのような位置関係にあり、「障害」をどのように価値づけているかを分析軸、特徴を浮き彫りに ・ここで話しを障害者の就労にずらすわけですが、ここが、修論を活用したところです。 ・ここで行ったことは、つまり、障害価値の肯定・否定性が、能力主義という社会の価値に大きく関わっていて、当事者の人たちが求めてきたのは、障害の否定性をいかに否定するかということだ、ということです。また、能力主義と障害価値を分析軸としてみていくんですが、同時に、リハビリテーションの位置、も明らかにしています。 ・見ていきますけれども、対象は、
結 果 1 能力主義の肯定/障害の無化・否定 2 能力主義の否定/障害の肯定 3 能力主義への対抗/障害への積極的な価値付与 結 果 1 能力主義の肯定/障害の無化・否定 ・「一般就労」「福祉的就労」 ・リハビリ(回復モデル・代償モデル)、障害者の就労支援 2 能力主義の否定/障害の肯定 ・「共働事業所」 3 能力主義への対抗/障害への積極的な価値付与 ・「ピアカウンセラー」 ・3つの軸を設定しまして、それぞれの就労形態がどこに位置するかを言っています。 冊子でいいますと、11頁になります。 ・これらの結果から何が言えるか、ということですが、1つは、「リハビリテーションの位置」について、です。 つまり、リハビリテーションとは、「障害」が障壁となって何かが「できない」ことを問題としているわけです。 この場合は、「労働市場への参入」です。そして、「労働市場へ参入」できることを目指す。つまり、それは、社会が有する価値に問題を設定する立場ではなく、個人の側の変容を期待する立場であるということができる。個人の側の変容を期待し、その人の価値化を目指している、ということになります。 その位置は、一方で、労働市場への参入/排除の正当化の根拠を能力の有無に設定しており、能力の有無により人の価値が測定されているわけです。リハが、そうした社会の価値を内在的に有している位置にいる、ということです。 一方で、当事者がしてきたことは、能力を上位の概念に置き、自らの存在価値を否定しようとする社会のあり方にいかに抗し、「障害」への否定的価値をいかに払拭し、その否定性を否定するか、ということであったことがわかると思います。
ひとの価値と作業療法 リハへの問題提起 1 何を支援の上位概念に持ってくるか ひとの価値と作業療法 リハへの問題提起 1 何を支援の上位概念に持ってくるか 存在の価値より上位に「能力主義」を肯定し、「できること」をよいとする価値を持ってくるべきではない 2 「適応」概念への問題提起 「適応」概念は「能力主義」的価値観と共鳴しやすく、容易に価値の逆転が生じるからよくない。つまり、「適応的」であることに価値が置かれるので、何への適応が求められるかで、人の価値の在処が変動するから → リハは、対象者の価値の肯定から出発し、自由のために何ができるかを考えるのが本業では? 「適応」概念は再考を要する ・この後、実証研究の中身をざっと説明していきますが、第1章のところが、「障害受容」とどう関係しているのか、というのは、またあとあと見ていきますが、とりあえずは、こうしたスタンスで、「障害受容」の問題を考えている、ということを、ご理解いただければ、と思います。
第2章 障害を持つ当事者の 障害受容に関する言説 第2章 障害を持つ当事者の 障害受容に関する言説 ・ただ、内容的にはパイロットスタディ的。これからもっと詳細な記述が必要になってくると思います。 ・あと、これからお話させていただく内容は、2005年5月に行われた第39回日本作業療法学会で報告した内容と同一のものです。
はじめに 対象者の「障害受容」を促進することは「よい支援」であるとされる。しかし、そもそも自らの身体に「障害」が「在る」本人が、改めて「障害」を「受容」するということに不可解さを感じた。そこで、障害を有する当事者の「障害受容」に関する言説を集め、検討を加えることにした。 ・研究概要「障害受容」ということについて、障害を持つ当事者はどういうふうに考えているのか、ということを知るために、インターネットや紙媒体から、当事者の人たちが、そういったことについて書いているものを集めて、分析した、という内容です。
対 象 インターネット検索で得た11名の文章(資料) 新舎[2003] (文献) 旭[2000] (文献) 対 象 インターネット検索で得た11名の文章(資料) 新舎[2003] (文献) 旭[2000] (文献) 障害者問題研究Vol.30No.3、特集「障害の受容と理解」のなかの6名の障害当事者の手記 (文献) ・本来なら、ご本人からお話を伺うというのが一番よい。その時間なかった。てっとり早く情報収集ができる、インターネット、学術誌などから、データを集めた。 ・それぞれの出典については、お配りしました資料1に載せましたので、ご参照ください。 ・ちょっと補足しますと、新舍さんは、医学部学生時代にラグビーの試合中の事故で頸髄損傷C7完全四肢麻痺となった。しかし受傷後3ヶ月という早さで学業に復帰、留年することなく卒業、医師免許を取得。その後、防衛医大リハビリテーション部に入局、現在に至る。車いすの生活。 ・旭さんは、現在、長野大学が教鞭、CP、アテトーゼ、東洋大学の学部、院、と出られた。私の先輩でもありますのでご紹介。
方 法 川喜田[1986] によるKJ法を参考 手 順 研究の対象とした文章から「障害受容」に関する文章を抜粋 方 法 川喜田[1986] によるKJ法を参考 手 順 研究の対象とした文章から「障害受容」に関する文章を抜粋 できるだけ1つの意味内容を持つように分節化 → 33の文章に 内容の類似性からグルーピング
結 果 1 「障害受容に関するもの」(17) 「障害に関するもの」(6) 「肯定的な障害像・アイデンティティの形成に関するもの」(5) 結 果 1 「障害受容に関するもの」(17) 「障害に関するもの」(6) 「肯定的な障害像・アイデンティティの形成に関するもの」(5) 「社会の側の問題に関するもの」(2) 「医学・リハビリテーションに対する批判に関するもの」(3) ()内の数字は文章数 ・33の文章が、次のように分類されました。
障害受容に関するもの(17) 「障害受容」という言葉に違和感(6) 「障害受容」の過程について(4) 「障害受容」できない(3) 「障害受容」はあきらめである(1) 自分なりに再定義する文章(3) ・17の文章の内訳 ・障害受容の過程について:「やっかいな問題」、「肯定的に受け止めるには随分時間を要した」、「一本道でなく、階段状でもなく、ぐるぐる螺旋を描きながら、未だに『いつかできる!』と思ったり受容と逆の方向に行ってみたり」、「同じような落ち込みを何度も繰り返しながら見えない『受容』を重ねてきた」というもの。 ・再定義:障害受容とは;「自分にできることにこだわりつつも、現在と未来への常に新たな価値観を創り出すことの自覚」
「違和感」についての文章 「非障害者製の用語ではないか」 「4段階のプロセスとして説明されるが、そんなにきれいな経過はたどれない」 「『積極的に生きる』ことが性格の問題で解決されたら私のように『暗くて、悲観的な性格』の者は救われない」 「実は私自身が『障害受容』という用語について受容していない。抵抗感がある。正確に言えばどうもピンとこないのである。そもそも障害受容とは何なのか。障害後に生じる多様な心理状態の変化の結果、一見、障害を受け容れたかに見える状態を便宜的に形容するために研究者が恣意的に作った用語にすぎないように思える。一体障害は受容できるものなのか?受容しなくてはならないものなのか?」 ・一番多いものだったので、ちょっと丁寧にみてみたいと思いますが ・最後、新舎さんの。
障害に関するもの(6) 否定でも肯定でもない文章(1) 否定的文章(4) 「仕方がない、車いすでもいいや」 「仕方がない、車いすでもいいや」 否定的文章(4) 「『障害』が憎い、嫌い、鬱陶しい。でもそれが個人を否定することにはならない(障害を受容や克服などできない)」 「『障害』が疎ましい。たとえ数時間でも見えるようになりたいと自分でも制御できない衝動がある(それでも妥協し順応し、与えられた条件のなかで新しい積極的な生き方を選ぶことができる)」 「(これができ)たら、(あれができ)たら、にすがる自分がいる(障害受容の不徹底)」
障害に関するもの の つづき 肯定的文章(2) 「(障害の受容とは価値の転換であり)障害は個性であると考えるのが良い」 障害に関するもの の つづき 肯定的文章(2) 「(障害の受容とは価値の転換であり)障害は個性であると考えるのが良い」 「目の見えない友達といると、ふだん味わえない不思議な一体感や安心感がある。不思議な音を聞いたとき、相手もほぼ確実にその音に気付いて『あれ?』と思っている。目の見える人とだとなかなかそうは行かない。目の見えないことは、自分の大切な特徴の一部。他の多くの人にはない個性なんだなぁと、誇りに感じることさえある」
肯定的な障害像・アイデンティティの形成に関するもの(5) 「働く場と市民としての生活と権利が他の人々と平等に保障されるならば、私たちは障害者である以前に一人の人間として尊重され、生きがいを自覚できる」 「自分の障害像、自己像の形成には、他覚(他者からの評価)の提供、支えが必要」 「大学という限定された小社会とはいえ、社会的認知と評価を得たことが<力>と<自尊>に。今私はつくづく『障害をもつことは、満更でもないな』と率直に肯定観をもつことができる。単に『身体の一部に不自由さを持っているだけの私』を自覚する」
社会の側の問題に関するもの(2) 「私はなぜあれほど落ち込んだのだろうか。そこに障害者は何ら役立たずのゴミのような存在であるという私が持つ<障害者観>があり、私自身がそうした人間になってしまったのだという事実が私を落ち込ませていた。この障害者観は、長い会社員生活、特に、生保会社営業体験<会社人間>のなかで蓄積された<価値観>だと気付く。その世界の人間評価はすべて<力>が絶対条件評価で、グラフ社会における<人間観>であった」 「同じ障害を持つ仲間と接する機会も少なく、また情報も限られていたので、ノートテイクやFAXなどの代替手段を思いつくことがなかった。それは障害=マイナス要素という認識をつくらせた社会全体の在り方に原因がある」
医学・リハビリテーションに対する批判に関するもの(2) 「医者に”車椅子の生活”と予言され、周囲からは”障害を受容せよ”と言われ、先に倒れた方にまで”障害を受け入れ、感謝の気持ちを持て”と言われ、全ての方角を敵に包囲された患者は、どう立て直したらよいのか」 「リハビリテーションが思うように進まない理由、リハビリテーションの効果が十分に現れない理由を障害受容の問題にすり替えていないだろうか。われわれリハビリテーション医療に携わる者は『あの患者は障害受容していないから』という前に、自分達の治療を振り返りアプローチに不十分な点はなかったかを省みるべきではないだろうか」 ・下のは、新舎さん。
まとめ1 「障害受容」に違和感のある障害当事者が多い 「障害」は否定的な面だけなく、他の多くの人にはない自分の大切な特徴の一部でもあり誇らしいもの ・いままでの結果を集約すると、次の4点になるかと思われます。
まとめ2 肯定的な障害像・アイデンティティが形成された背景には、働く場、生活と権利が平等に保障された環境のなかで、他覚(他者の評価)の提供や支え、対等な関係であれる他者の存在、社会的認知や評価があった 障害者、障害を否定、マイナス要素と認識する企業や社会の価値観、さらには、そうした価値を内在化した自分は、肯定的な障害像・アイデンティティの形成を阻害する要因となっていた
考察 というか 問題提起 障害当事者はなぜ「障害受容」に違和 を感じるのだろう(2つの問題提起) 考察 というか 問題提起 障害当事者はなぜ「障害受容」に違和 を感じるのだろう(2つの問題提起) 「障害受容」における「障害」は、正常や標準からの不足や欠落、回復や補いが期待されるものとしての「医学モデル」的障害観をもつ? 支援の過程において「(訓練への)適応的な感情・態度を対象者に求める」ような言葉としてあってきたのではないか? →「自己否定」と「(訓練への)適応的感情・態度」を期待される圧力になっている可能性 ・例えば、新舎さんが、リハビリテーションに対して批判的におっしゃったことを、私たちリハビリテーション従事者は真剣に受け止める必要があると私は思う。 ・そのうえで、どうして、障害当事者は「障害受容」に違和を感じるのかを考える必要がある。 ・2つの問題提起
第3章 障害受容の使用法(1) リハビリテーションの言説空間における 第3章 障害受容の使用法(1) リハビリテーションの言説空間における ・今度の、障害学研究2に、掲載される論文のところです。 ・ここで行ったことは、リハ領域の研究・言説の空間において、「障害受容」という言葉がどのように用いられてきたか、ということを、過去から現在まで辿ってみた、ということです。 ・なんでそんなことをしてみようと思ったかといいますと、1つには、第2章のところで述べましたが、障害を持っている人たちのなかに、この言葉に違和感を感じている人が少なからずいる、ということと、もう1つは、自己紹介のところでも述べましたが、リハ実践のなかでのこの言葉の使われ方で、~(p5) ・研究・言説空間での「障害受容」という言葉の使用が、当然、実践にも大きく影響を与えているわけで、だったら、まず、研究・言説空間での使用状況をみていこうと思ったわけです。 ・こうした作業を通して、臨床現場でどうしてそのように使われてしまうのかを検討していくことにつなげていこうと考えました。
対象 ・作業療法・理学療法を中心とした学術雑誌 →①障害を有する本人、②肢体・精神機能の障害③中途障害、に着目 ・論文形式:論考、研究論文、総説、実践報告、短 報の体裁を持つもの ・雑誌名:『総合リハビリテーション』『リハビリテーション医学』『作業療法』『理学療法』『作業療法ジャーナル』『理学療法ジャーナル』 『理学療法学』『理学療法と作業療法』
方法 言説の変遷の特徴を明確にできるよう、1970年代、1980年代、1990年代以降という時代区分を行った 1970年代・1980年代:各雑誌からの文献を年代ごとに1つのまとまりとし、さらに内容が類似していると思われるものを分類し、その分類を説明する題目をつけた 1990年代以降:「新しさ(従来にはない知見であること)」、「批判性(従来の知見に対して何らかの批判をしている)」があると判断された文献についてのみ、上記と同様の方法で分類を行い、その分類を説明する題目をつけた
結果1 1970年代 ① いろいろな定義 ② リハビリテーション実施のための「障害受容」、という位置 結果1 1970年代 ① いろいろな定義 ② リハビリテーション実施のための「障害受容」、という位置 ③ 段階理論の紹介、段階理論を根拠づける研究 ④ 「障害受容」を促進する要因としての個人因子、障害を有することによる心理的特性への関心 ⑤ 専門職の役割の検討、検査法の開発 ・まず1970年代ですが、この時代の特徴として、次の5つがあげられます。 ・冊子で言いますと、19頁から20頁のところになります。
結果2 1980年代 ① 、③ 「価値転換論」と「段階理論」の融合、「障害受容」の定義の確立 結果2 1980年代 ① 、③ 「価値転換論」と「段階理論」の融合、「障害受容」の定義の確立 ② 「障害受容」はリハビリテーションの目標・目的、という位置 ④ 個人因子から訓練スタッフの関わりや環境要因へ着目の変化 ⑤ 様々なアプローチ法の検討、心理的アプローチの効果の前提性 ・次に1980年代ですが、この時代は、70年代の5つの特徴が、さらに変化を辿った時期でした。そこで、70年代の番号と対応させて見ていきたいと思います。 ・冊子で言いますと、21頁~22頁になります。
結果3 1990年代以降 ① 潜在化している場合もあるという知見 ② 「QOL」「障害告知」「自己決定」という概念の投入 結果3 1990年代以降 ① 潜在化している場合もあるという知見 ② 「QOL」「障害告知」「自己決定」という概念の投入 ③ (代償アプローチではなく)コミュニティに基づく援助の必要性 ④ 「リカバリー」概念の紹介 ⑤ 段階理論、モデルへのあてはめの批判 ・次に、90年代以降なんですが、それまでに比べ言説も多様化してますし、論文数も増えておりましたので、90年代以降の変化の特徴については、まず1つには、「新しさ(従来にはない知見であること)」、もう1つは、「批判性(従来の知見に対して何らかの批判をしている)」、その2点に注目をして、言説の特徴を整理してみました。 ・冊子でいいますと、22頁から24頁です。
考察 2つの確証 1970年代、1980年代 →①「障害受容」の定義の確立 ②「障害受容」の促進要因:個人要因→環境要因へ 考察 2つの確証 1970年代、1980年代 →①「障害受容」の定義の確立 ②「障害受容」の促進要因:個人要因→環境要因へ ③リハビリテーションの手段から目的へ ④専門職の役割検討→効果の確証性へ ↓臨床現場への影響力とは? 2つの確証だったのではないか? 1 「障害受容」が支援の対象である(すべき) 2 「障害受容」は支援できる ・最初に見ていきたいのは、70年代、80年代の言説が、臨床にどのような影響を与えていたんだろう、ということなんですけれども、まず、70年代、80年代、というのは、ほぼ同一の路線を踏んできたと見てよいと思うんですけれども、そのなかでも、微妙に論調が変化してきたわけです。 ・①、②、③、④を読む
考察 2つのアプローチの価値設定の違い 「回復アプローチ」と「代償アプローチ」 価値設定が異なる(価値転換を要する) 考察 2つのアプローチの価値設定の違い 「回復アプローチ」と「代償アプローチ」 価値設定が異なる(価値転換を要する) 回復:正常な身体 ←→ 代償:自立的に生活が行える 治療者:「社会適応」概念によって一貫性を持つ 対象者:身体回復への期待ある、その価値転換は容易 ではない ↓ 「以降困難性」=「障害受容」 上田[1980](「段階理論」「価値転換論」融合) 「回復アプローチ」-「障害受容」-「代償アプローチ」 ・90年代以降は、臨床現場での用いられ方を含め、これまでの「障害受容」言説に対する異議申し立てが増えてきたことがわかりますが、これらは、ほとんど臨床現場での用いられ方に対する反論が含まれていると考えられます。そこで、そうした共通性を見いだすために、少し、説明を補足していきます。 ・ということで、2つのアプローチの価値設定の違い、から入っていきますが、先ほどからでてきている、回復アプローチと、代償アプローチ、ですが、価値設定が異なることに気付いたんです。当たり前といえば当たり前なんですが、 ・回復は、~で、代償は、~、です。たとえば、脳卒中で片麻痺になった方がいたとして、片麻痺そのものの回復を目指すのが、回復アプローチで、片麻痺の右手はもう動かないから、左手で字を書きましょうと利き手交換訓練をするのが、代償アプローチ、です。 ・で、「障害受容」という言葉が用いられるのは、回復アプローチから代償アプローチへの移行が困難なとき、なんです。 つまり、もう右手はよくならないから、左手で字を書く練習をしましょう、となるときに、代償アプローチがうまく導入できないときに、「障害受容できていない」という言葉が用いられるわけです。 ・治療者にとっては、1章で見ていますように、それらのアプローチ法は、「適応」概念によって一貫性を持っています。しかし、対象者にとっては、~。 ・歴史を辿ってみますと、段階理論と価値転換論を融合させた論を展開したのは、1980年の上田敏先生の論文であり、~ (P25) ・「訓練の流れ図」の問題は、非常に危険で重大な問題を含んでいると思います。つまり、「障害受容」の問題が、「訓練の流れ図」への適応問題にすり替わってしまうわけです。そうすると、本質的・本来的な問題解決の手法にはならないし、対象者の「固有」な問題状況にも開かれないことになってしまうと思います。
考察 1990年代以降 異議申し立て →「訓練の流れ図」には顕在化しない「障害受容」問題がある 考察 1990年代以降 異議申し立て ① 潜在化している場合もあるという知見 →「訓練の流れ図」には顕在化しない「障害受容」問題がある ② 「QOL」「障害告知」「自己決定」という概念の投入 →「訓練の流れ図」には適合しない難病ゆえに表象できた「障害受容」問題を明らかに ③ (代償アプローチではなく)コミュニティに基づく援助の必要性 →「訓練の流れ図」を解体しようとする試み ④ 「リカバリー」概念の紹介 →新たな概念を提示、「訓練の流れ図」の一環としての「障害受容」を批判 ⑤ 段階理論、モデルへのあてはめの批判 →対象者の「固有性」に目を向けることの必要性を指摘 ・そうしたことを踏まえますと、1990年代以降の異議申し立ての共通項が見えてくるんですね。 ・「訓練の流れ図」のなかに「障害受容」が組み込まれることの問題を指摘しているんです。 ・たとえば、①は、・・・ ・それらは、「訓練の流れ図」のなかで用いられる「障害受容」とは異なる、もっと対象者の「固有性」に開かれた見方・あり方を提示しようとしているとことに共通点が見いだされると考えました(p26)
第4章 リハビリテーション臨床における 「障害受容」の使用法 -臨床作業療法士へのインタビュー調査 の結果をめぐる一考察- 第4章 リハビリテーション臨床における 「障害受容」の使用法 -臨床作業療法士へのインタビュー調査 の結果をめぐる一考察- ・これは、今度、年報筑波社会学という雑誌に掲載されることになったところ、なんですけれども ・なにをしたかといいますと、第2章、第3章の結果を受けて、いよいよ、臨床現場ではどういうふうに 「障害受容」ということばが用いられているかについて、率直に、臨床現場で働くセラピストの人たちに話しを伺っていくことをしたわけです。 ・後で述べますが、インタビューの内容そのものが、実践に対する批判的な視点を持っているので、なかなか、インタビューの依頼そのものが難しかったことを記憶しています。
はじめに 専制的・押しつけ的 「障害受容」の使用に対する批判 反省的態度のみで終結しない「仕掛け」があるのでは? 南雲直二,1998,『障害受容-意味論からの問い-』,荘道社. 上農正剛,2003,『たったひとりのクレオール』,ポット出版. 専制的・押しつけ的 反省的態度のみで終結しない「仕掛け」があるのでは? ・あと、もう1つは、私自身は、臨床をやってきたなかで、「障害受容」という言葉の使用には反省的態度のみで終結しない、なにか「仕掛け」があるように感じてきました。 ・これまでにも、リハビリテーションや障害児教育の分野において、「障害受容」という言葉の使用に対する批判というのは、すでに存在しています。 例えば、南雲先生や上農先生が書かれた本などがあります。 ・それらをまとめると、「専制的」であるとか、「押し付け的」である、ということだと思いますが ・セラピストにとってみると、でも、いつのまにか使っていたという部分もあって、反省するにも、へたをすると、何をどう反省したらよいかもわからないところもあったりして、そこには何か「仕掛け」「からくり」のようなものがあるのではないかとも感じ1たわけです。 ・そこで、本研究では、なぜ「専制・押しつけ」が生じてしまうか、そのメカニズムの考察を行っています。
対象者 作業療法士として臨床で働く7名 選定方法:無作為に選出せず、第39回OT学会において筆者の発表に関心を持ってくださった方、養成校時代の友人、友人からの紹介により選出 専門領域、経験年数が重ならないよう配慮 →人数、選出方法等鑑み、本結果が必ずしも実際の臨床を一般化できてはいない ・ここに書いてあるとおりですが、選出方法について補足しますと、無作為に選出しなかったということなんですが、その理由ですけれども、本研究の問題設定が、臨床実践についての批判的検討を含み持つので、無作為に選出したところでインタビューに応じてもらえない可能性が考えられたこと、また、できるだけ正直に現状や心情を語ってほしかったということがあります。 ・第39回OT学会での発表内容というのは、第2章のところの内容です。 ・というわけで、人数、選出方法等鑑みて、本結果が必ずしも実際の臨床を一般化はできてはいないと考えております。今後の課題というふうに考えております。
対象者内訳 ・対象者内訳は、表のとおりです。(経験年数、性別、インタビュー日時、インタビュー時間を記載しております)。 ・あと、対象者の仕事内容につきましては、お手元の資料にありますので、ご確認いただければと思います。別紙の用紙にありますので、そちらをごらんください。資料2になります。
インタビューの方法 1)あらかじめ作成した調査票を元に半構造的に実施 2)質問項目 一般情報:①現在、過去の仕事内容 ②勤務年数、 一般情報:①現在、過去の仕事内容 ②勤務年数、 障害受容に関して:①職場での使用頻度 ②誰がどのように使用するのか ③その言葉による変化 ④障害告知について ⑤「障害受容」についてどのように習ったか ・インタビュー方法については、ここに記載したとおりです。次にいきます。
分析方法 1)逐語録より、「障害受容」に関して述べられているものをすべて抜き取り、カード化 2)各事例ごとに内容が類似するカードを集め、それぞれにカード番号と見出しをつけた。 3)重複する内容のカードは省略したが、各事例のカードから得られたすべての結果を反映できるよう、文章を組み立てた。 ・分析方法についてはここに書いたとおりですが ・2)のデータについては、別紙の用紙(資料3)にお示ししてあります。
結果1 ・職場での「障害受容」という言葉の使用頻度ですが、これは4件法で(しばしば用いる、ときどき用いる、ほとんど用いない、まったく用いない)答えていただいた結果です。 ・ここに書かれていないMさんは、入職後3年ぐらいは用いていたんだけれども、今は用いていない、ということで、Iさんについては、病院と更正施設両方を経験されているので使用の差異について重点的に伺いました。
結果2 ・で、ときどき用いているというSさん、Oさんの職場での使用状況ですが、細かいところは各自ご覧いただくとしまして、いくつか注目していただきたいところがあります。 ・まず注目されるのが、Sさん、Oさんとも、「回復期リハビリテーション」を行っているところなんですね。どうも、「回復アプローチ」「代償アプローチ」の移行に立ち会う機能を有する場で「障害受容」という言葉が用いられる傾向があるということが指摘できると思います。 ・もう1つは、「どのような事象に用いるか」というところなんですが、「機能回復への固執」ということが1つと、セラピストの主観に着目するなら、セラピストの意図やプランの到達へ向けての阻害感があるということになります。
結果3 これは、Iさんからの逐語録の結果なんですけれども、更正施設における使用についてなんですけども、見ていただきたいのは、「どのような事象に用いるか」ということで、読みますと、再就職の際に対象者が自分の適性や能力が分からず,適職を選べず,支援が難航するときに「障害受容」という言葉が適用される、ということなんですね。
考察 能力認識のズレ感 目的遂行の阻害感 障害受容 ・「専門性」の肯定化 ・多様ははずの障害観が「能力」へ収束 回復アプローチ 代償アプローチ 能力認識のズレ感 目的遂行の阻害感 ・「専門性」の肯定化 ・「専門性」の予定調和的遂行への期待感 ・多様ははずの障害観が「能力」へ収束 ・以上の結果から、障害受容という言葉の使用には、次のような図式が描けると考えます。まず、対象者とセラピストの間に「能力認識のズレ感」がある、ということです。それが、セラピストの「訓練の進行が妨げられている」という主観的な「苦労感」を引き出したときに、障害受容(ができていない)という言葉が用いられる、ということです。 ・こうした図式から導きだされるいくつかの問題点を指摘したいと思います。まず、「能力認識のズレ感」というのが引き金になっているということで、これはリハビリテーションにおけるアプローチ法との関連で、能力に着目した障害観へ収束していかざるを得ない部分があるということが1つ、それと同時に、目的遂行の阻害感というのは、逆に言えば、「専門性」の肯定化と予定調和的遂行への期待感、というのが発生する、ということで、つまり、「障害観」「専門性」の押し付けが、障害受容という言葉の使用により発生するということではないかと私は考えました。 ・「仕掛け」ということですが、アプローチ法の円滑な遂行ということを巡って、「障害観」「専門性」の対象者への押し付けということを背景として、障害受容という言葉が用いられる、という一連のプロセスが明らかになったのではないかと考えます。 障害観 専門性 障害受容
一方、「使用しない」に着目すると・・・
結果4 ・Mさんは、対象者のなかで、一番ベテランの方ですが、最初の1、2年は使用していたけど、3、4年したら使わなくなったそうです。最初は、教科書という正解があって、それに向けて支援をしていこうとしていたそうなんですけども、年齢を経るなかで、世の中正解ばかりでもなくて、その人の価値に合わせた支援をしていこうと変わっていったそうなんですけれども、そのなかで、「障害受容」という言葉もだんだんに使用しなくなっていったと言っています。あと、1990年代以降は、この言葉はあまり用いられなくなったのではないか、ともおっしゃっていまして、それには、「自立生活運動の思想」が影響しているのではないか、とおっしゃっていました。あとで考察します。
結果5 ・職場で使用していない3人の使わない理由を見ていきます。 ・まず、Yさんは、進行性疾患の方に関わる仕事をしてきたわけですが、「障害受容」は時間をかけて行われるものであるし、セラピストはその思いをぶつけてくれれば受け止めるし、その人の望むことのためにやれることをするのが仕事だと考えているので、「障害受容」という言葉は適用しずらいと言っていました。 ・OKさんMIさんは、比較的若いセラピストの方たちですけれども、OKさんが、精神科病院、MIさんが、療養型の病院に勤めておられましたが、OKさんは、受容している/していない、とはっきり分けられる場面は現実にはあまりないのではないかと考えていて、「障害受容」という言葉は、馴染みづらく、完璧すぎるイメージがあって、あえて使おうとは思わない言葉だと言っていました。 ・MIさんは、 「対象者はケースバイケースであり、受容の過程には当てはめづらいと感じ」たり、「受容というときちっと枠が決められてしまう感じがするが、枠の外で話したい」と言っていました。また、「受容自体が難しいものであるし、それが必要なのかという思いもある。たとえ受容していなくても、自分なりの生活が営めればよいのでがないか」とも語っておられました。
結果6 ・ということで、Yさん、MIさん、OKさんは、「障害受容」に対して、他の語りをみるともっとわかりますが、否定観を持っていたわけですが、一方で、「障害受容」は支援の目的であるとも語っていました。その目的とは、「楽にいられる」ことです。つまり、障害にとらわれつらい気持ちになるのなら、やはり障害へのとらわれから自由になって「楽な気持ち」になれることがよいと思っていました。それが(最終的な)支援の目的だと言っていました。ここで確認しておきたいことは、「障害との自由(楽にいられる)」は、「障害受容」とイコールなのかどうかということです。 ・私は、次の2つから、それは一緒ではないのではないか、と考えました。 ●1つはその「志向性」です。これまで述べたことから、「障害受容」は「社会適応」へと志向する概念であることがわかると思います。「適応」概念については、第1章で批判的検討を行ったわけですが、要するに、個人と他者・社会との調和した関係性を期待しており、そうした関係性から逸脱することに否定的価値を有する概念だ、ということです。だから、「適応的」であることに価値が置かれると、何への適応が求められるか(他者・社会が優位に置く世界観人間観)によって、容易に人の価値の在処が変動するのである、ということでした。「社会適応」は、支援の目標とされてきたわけですが、それは「障害受容」することによって初めて到達できる目標であることがわかります。つまり、障害を持つ人に「社会適応」してもらうためには、能力主義的障害観(否定される障害)を内在化してもらわなくては困るわけです。一方で、「障害との自由」が目指すのは(いわずもがな)自由です。それはとらわれの根源から自由になり、とらわれる必要がなくなることであり、あるいは制御できないものの出現に対する無限の世界観が展開される自由とも言えると思います。そういう意味では、能力主義的障害観からの自由とも表現できると思います。そして、少なくとも能力主義的障害観からの自由は、障害価値の肯定のために(とらわれからの自由のために)当然確保されるべき自由だと思われます。逆に言えば、「障害との自由」のために能力主義的障害観は否定される(べきことになります)。「楽にいられる」という一言のなかには、これだけの意味内容が包含されていることになるわけです。 ●そして、それは、セラピストが、すでにリハビリテーション文化のなかにあった「障害受容」という言葉を、自らの感覚を便りに否定し拒絶したその感覚と地続きのものでもありました。「楽にいられる」ことが目標と言った人たちは、「障害受容」という言葉に否定的な人たちでもあったわけです。それがもう1つの異質性ではないか、と思われます。つまり、それが、この「私」の感覚から生じているということです。そして、この感覚は「障害の否定」を肯定しなかったわけです。なぜなら、「障害の否定」の肯定が「私」を不快にさせるから、なわけです。
論点整理・まとめ ①「障害受容」そのものについて ②「障害受容」の使用法 ③「障害受容」の方法論・支援論 ・語感 ・志向性のなかに「障害の否定性」が含まれてしまうことの違和や不快 ②「障害受容」の使用法 ・専門性の遂行を優位に置いていること、その位置から、専門的障害観・能力主義的障害観(障害の否定性)を対象者に内在させようとする圧力の存在 ③「障害受容」の方法論・支援論 ・リハのアプローチ法と「障害受容」の支援法との関係が不明確 ・「障害受容」の支援法そのものの方法論が不明確 年報筑波の原稿(p15) ・これまでの論点整理をしたいと思いますが、3つの視点から整理したいと思います。 「・・・」(年報筑波の文章)
第5章 全体考察 最後に、全体考察ということで、各章の関連の確認をして、とりあえず私の方からの報告は終わりにしたいと思います。
こうした志向性・支援のあり方は 「障害価値」「ひとの価値」を否定 第1章 第4章 「適応」概念の批判 →リハ従事者が対象者を「できる」ように働きかけるとき、「適応」概念が支援の目標なら、「できる」ことがその人の価値であるゆえに目指されてしまうことの危険を指摘 →「できないこと」(=障害)の否定性がどこから生じ、どこに置かれるか →否定性は、社会が有する価値に共鳴するリハ実践の対象者との関与のなかに出現し、障害を有する当事者へ置かれる(批判の核心!) ・「障害受容」の使用法 →能力主義的障害観、適応への圧力 こうした志向性・支援のあり方は 「障害価値」「ひとの価値」を否定 ・今回、第4章というのが、一番の中心になる部分でして、つまり、「リハビリテーション臨床」というのがこの言葉の発生地ですので、やはりここを基点として、問題を探っていくことにはなります。 ・第1章で述べたことと、リハ実践における「障害受容」という言葉の使用をめぐる問題は密接に関連していることがこれまでの話からもわかると思いますが、少し説明を補足していきたいと思います。 ・冊子で言いますと、P80~81のところになります。
第2章 第4章 障害を持つ当事者は・・・ ・「障害受容」は簡単にできるものではない 第2章 第4章 障害を持つ当事者は・・・ ・「障害受容」は簡単にできるものではない ・「障害」の否定的側面・肯定的側面を見いだしている ・肯定的障害像・アイデンティティの形成は、自分の力だけでなく、働く場や生活場面における対等な関係であれる他者の存在、社会的認知や評価があった 「障害受容」=「肯定的障害像・アイデンティティ構築」であり 「肯定的障害像の形成」が不可欠だが、この用いられ方ではまったく逆を行ってしまっている →能力主義的障害観への収束=障害者、障害を否定する企業・社会の価値観とリンク=肯定的障害像形成を阻害 ・今度は、2章と4章との関連を見てみます。冊子では、P81~82のあたりです。ただ2章はパイロット・スタディの段階に留まっており、さらなる実証研究の積み重ねが課題となるところではありますが、内容は、 「障害受容」ということについて、障害を持つ当事者はどういうふうに考えているのかを調べたものでした。 ・振り返ってみますと、次のような意見がありました。
第3章 第4章 上田[1980]の「段階理論」「価値転換論」がセラピストの記憶に強く残っている(p72) 第3章 第4章 上田[1980]の「段階理論」「価値転換論」がセラピストの記憶に強く残っている(p72) 入職した職場での使用状況をみて自分でもそのように使うようになった(Iさん) →職場からの影響 「機能回復に固執している」状況は、「価値転換」を必要とする状況とマッチングし、その転換が、「1つ段階をクリアする」「ステップアップする」訓練の1つの過程として解釈されてきた? ・最後に、3章と4章の関連を見て、終りにしたいと思いますが、3章は、リハビリテーションの言説空間における「障害受容」の使用を追ったところでした。 ・障害受容の職場での使用は、Iさんが言うように、すでにみんながそういう風に使っていたという、職場からの影響も大きいと思うんですが、 ・冊子の72頁の「学校で習ったこと」の最初のところで書いているんですが、「障害受容」について学校で習った記憶について訊ねたところ、上田の段階理論、価値転換論のことを話される人が圧倒的に多かったんです。この理論の臨床への影響力がいかに大きかったかということがわかります。となると、第3章でも述べましたが、・・・□の可能性がある→だから、逆に、上田の理論が臨床に根付いた?とも考えられるかも知れません。 ・(第4章の結果4のところで、)Mさんは、「障害受容」は、経験年数とともに使用しなくなったと語っており、多くのセラピストもそうではないかと言っています。それが今回の結果で明らかとなったセラピスト個人の感覚と関係するなら、「障害受容」という言葉が、実践場面において「専門性遂行」や「ひとの価値」における倫理感の試金石として存在している可能性があるかもしれません。 ・さらに、「障害受容」という言葉の使用が減った背景には、1990年代以降、リハビリテーションの言説空間で見られるようになった「障害受容」をめぐる批判的言説が影響を及ぼしている可能性も考えられます。 ・また、Mさんが結果4で言っていたように、障害者の自立生活運動の思想がセラピスト自身、あるいはそうした言論レベルにも波及し、実践・言説空間の双方へ徐々に影響を与えてきた可能性もあると思います。「地域の中で、自らの意志と責任において自らの生活を営むことを『自立』」とする障害者の自立生活運動の思想は、それまでリハビリテーション思想が採用してきた身辺自立や職業的自立などの伝統的自立観の転換を大きく促すものでした。それはまた、リハビリテーションがこれまで採用してきた「ADL自立」や「職業復帰」を目指したアプローチ法に対する絶対的な肯定感を相対化したものであったことは容易に想像がつくわけです。そして「障害受容」は、アプローチ法の円滑な遂行が妨げられた際に用いられてきたことはこれまで見てきたとおりで、Mさんの指摘どおり、障害者の自立生活運動の思想が、リハビリテーション臨床における「障害受容」の使用を減速させる方に作用してきた可能性は大きいと考えます。
ご静聴ありがとうございました