日本建築史 ~日本の住居の移り変わり~
竪穴式住居 竪穴式住居は5mくらいの直径の円や角丸四角形のかたちに地面を数十センチ掘り、柱を掘立てて植物の屋根を架けたものであり、後に地面を掘らずに平地に設けたものも現れこれを平地式住居と呼びます。 左の画像は竪穴住居の復元 (松江市:島根県立八雲立つ風土記の丘)。
高床式住居 高床式住居は、柱を立ててその上に床を張りさらに上に柱と屋根を載せているか、木材を井桁に組んで積み重ねて壁にした上に屋根を架けたものです。(柱が屋根まで通り、直に屋根を支えているのもあります。これはまた系譜が違うとも考えられます。) 左の画像は校倉造と呼ばれる東大寺の経蔵(奈良市)。
寝殿造り 時代の特徴として、平城京から 平安京へ遷都された。 貴族の住宅で、寝殿を中心に東西・あるいは北側に対屋(たいのや)などの 付属建物を配する大規模な邸宅であった。 平面は単純で、中門廊から昇殿し、独立した各棟を渡殿・透渡殿で連結していった。 床は板敷、天井はまだ 張り詰められてなく、開口部にはしとみ戸が使われた。 また、几張や屏風で間仕切りを行った。
武家造り 小田城下に龍勝寺(りゅうしょうじ)と言うお寺がありまして、ここに梶原政景が小田城の門を寄進したと伝えられる門があります。 現在は「大門」としてお寺の最初の入口の門として構えられていました。この門は中央に太い柱が二本あって前後に二本づつの合計6本の柱で作られた武家造りの四脚門です。
書院造り 鎌倉時代にはいって武家の勢力がさかんになる と、外敵に備えて塀や濠をめぐらした武家屋敷が 生まれた。初期は寝殿造りを簡素化したようなも のでしたが、勢力のある武家は屋敷内に穀物倉・ 武器倉・作業場・家来の住居など幾棟もの建物を 内包していた。 この書院造りの発祥は、日本の住宅構造の基本 パターンとなり、そこから①畳を敷き詰める(座 敷化)②茶室の誕生③商家・農村への進展などの プロセスが見られるわけです
合掌造り~参考資料~ 村上家は、天正6年(1578年)の建築(伝)。戦国時代の武家造りを取り入れた切り妻合掌造り。建築当時そのままで保存されている。江戸中期、奥の出居や控えの間が増築された組立て式の建造物である。当地の古い一般 的な細部様式が全て残されている。それらの意匠もよい。五箇山地方の民家のうちで基本的な形式を持つ最もすぐれた遺構であるとして昭和33年5月14日、国指定重要文化財建造物となった。
数寄屋 室町中期には茶の湯を行うところを<数寄屋>と称するようになる。桃山時代には茶の湯をのための専用の室または建物のことをさしていたが、江戸時代に入るとしだいにその内容が拡大していく傾向を示し、茶室の建築手法や意匠を取り入れた座敷のことをも数寄屋と称するようになった。 現在の建築史学界では、数寄屋造を書院造のなかに茶室の意匠がとり入れられた建築であるとみるとらえ方と、茶室との関係を重視せず、書院造を真としたときの行体あるいは草体の洗練された自由な形式とみるとらえ方とが示されている。 右は現代的に建築したものである。
町屋の発生 安時代初期(10~12C前半)に登場していて、人々の暮らしとともに変化しながら近代の様式にまで発達したようです。 このころの通りというのは、通行部分だけでなく、側溝、築地、側溝と築地の間の空地まで含められていました。たとえば、幅12メートルの小路の場合、実際に通行できるのは、そのうちの3/5ほどしかなかったと言われています。 一般庶民の場合だと、ひとつのブロック(一町)を1/32に分割したものが基準として与えられていました。それでも、間口が5丈(15メートル)、奥行き10丈(30メートル)、面積がおよそ140坪もあった。
茶室 茶室という呼称は近代になってから普及したもので、室町時代には茶湯座敷、寄座敷、茶屋などの語が見られたが、単に座敷と呼ばれることが多かった。 <かこい(囲)><数寄屋><小座敷>などの呼び名もあり、囲は屋内の一部を囲って茶の湯の空間を形成したところから生まれたものであろう。囲いに対して数寄屋を区別し、数寄屋は独立して建てられたものを指して使うという解釈も行われた。 茶の湯では四畳半以上を<広間>、以下を<小間>と呼んでいる。小間は<草庵>の茶、侘び茶の世界であり、広間は<書院>の茶の世界である。 右は高台寺 傘亭 時雨亭(重要文化財)
田の字型住宅 田の字型住居に代表される日本の伝統住居内部の開放性は、 気候風土によってよりも、家族の一体性や家長による家族支配の徹底性によって説明される。 明治時代の住空間は、身分によって、すなわち家長と来客・家族・使用人によって分けられていた
中廊下型住宅 中廊下型住宅は武家の住宅の形式が西欧の住宅形式の影響を受けて形成された。そのため、武家の住宅と同様『オモテ型住宅』である。この中廊下型住宅の『原風景』に武士の生活をみるか『オモテ型住宅』をみるか、あるいは欧米のホールを持つ住宅をみるかは『生活者』と『計画者』の『住宅選択の革新性』と『住宅選択の保守性』に関係している。その後格式としての住宅が否定されて家族中心の実用本位の『居間中心型住宅』が啓蒙され住宅の計画は発展期を迎える。『居間中心型住宅』は欧米型の生活様式と日本の『ウチ型』住宅の影響を受けて形成された『ウチ型住宅』である。
擬洋風建築 藤村式建築は擬洋風と呼ばれる建築様式になります。これは、洋風を真似るという意味で、宮大工や左官職人たちが、日本の伝統的な和風建築技法を用いて欧米の家屋をまねて建てた建物です。つまり、和洋折衷(わようせっちゅう)の建物です。宮大工(みやだいく)は神社や寺を建てる大工で、左官(さかん)は壁を塗る職人です。彼らは、洋式建築の専門的知識がほとんどないままに、主に建物の外観を洋風につくりました。この意味で、「洋式」とは言えません。あくまで、「洋風」、洋式みたいな建物です。擬洋風建築は和風建築から洋風建築へ移る過渡期の建築用法ではないかと思われます
同潤会アパート (財)同潤会が土台となりできた住宅営団は、住宅を基準化、制度化し、国家と産業に価値を置くものであった。これは住宅営団から住宅公団になっても変わらず、住宅の工業化をすすめ量に物を言わせていた。しかし戦後家族のレベルで個人の自由と自立、家族の福祉中心、子供の教育の重視などの変化が見られ、住宅もそれに伴ない持家志向、電化、個室の確保など変化していく。これにより、住宅公団は住宅と式公団になり、考え方も国民と経済に価値を置くものと変わった。そのため住宅の計画も、多様なそして固有の意味を求めるニーズに対応するため標準化、規格化ではなく国民だけでなく地域や環境を含めた価値観になってきており、多様なライフスタイルにあうように、まち型集合住宅や環境共生住宅など地域や環境に対する結びつきを求めるものになっている。
日本住宅公団~食寝分離型~ 戦後の住宅を特徴づけるものの1つに、食事と就寝の場を 分ける「食寝分離論」を実現する 「ダイニングキッチン」があります。 1951年に建設された公営住宅に台所兼食事室が誕生し 1956年公団住宅に「DK」という言葉が登場、 その後全国に拡大しました。 「DK」は生活行動による空間の棲み分けを進め、人々は この新しいスタイルになじんできました。
現代の住宅 ~高気密住宅の落とし穴~ 現代の住宅は、高い気密性を持つよう設計されています。しかし、建材やシロアリ駆除剤から発生する気化化学物質が室内に充満してしまい、そこで生活する人に長期間作用し続ける事により、慢性的な病気を誘発させます(シックハウス症候群)。また、生活で発生する湿気が排出されにくく、ダニやカビが発生しやすい環境を作ってしまいます。健康炭は超高温炭化処理で得られる吸着性の高い木炭のフィルターで、これらの気化化学物質や悪臭を吸着し、同時に強力な調湿機能を半永久的に発揮、快適で安全な住環境を提供します。
現代の住宅 ~バリアフリー住宅~ 「ゆとりと豊かさ」への欲求が高まっているわが国において、住宅関連分野でもその傾向が見られ、自分の人生設計に合った住まい方を選ぶニーズが高まっており、このことから住み替えやリフォームに対する関心が高まっています。特に、高齢化社会を迎え、「お年寄りにやさしい家づくり」が、いっそう求められるようになります。バイアフリー住宅、手すりや段差解消を行った住宅など、高齢者の身になった安全で快適な家づくりが必要になります。また、地球環境問題への消費者の関心の高まりから、環境や健康を考慮した顕在を使った住宅、省エネルギー住宅、家庭用ゴミ処理機を設置した住宅などのニーズが高まると予想されます。 こうした背景の中で、「ゆとり」「高齢化」「環境」に対応した住宅産業、住宅設備機器、住宅建材、居宅関連サービスなどの産業の成長が見込まれます。
現代の住宅の問題点 冬場の窓ガラスの周りにつく結露。ただ、「水滴がついているだけ」と考えるのは間違い です。この結露は表面に現れた一部であるということを認識すべきです。 恐ろしいのは壁の中で結露が起きているということです。 これを「壁内結露」と呼んでいます。 この「壁内結露」には恐ろしい二つの弊害を引き起す要因と考えられています。 一つは、壁の中に溜まった水分がカビを発生させます。このカビは柱、壁などの木を腐らせます。 これが、現代の住宅が「短命住宅」と言われている原因の一つなのです。 日本伝統家屋が短命なのではありません。現代の高気密化させる建材、工法が短命になる ようにしているのです。 二つ目は、ダニです。ダニはカビが大好物なのです。 ダニは生きているだけでも嫌やですが、ダニの死骸を吸い込むとアレルギーの原因にもなります。 最近の子供に、アレルギー症状が増えた原因と一つと考えられています。
現代の住宅の問題点 ~湿気~ 湿度が高い日本の気候。 現代住宅はとても優れた快適性の 一方で、気密化・断熱化による風 通しの悪さが弱点となりました。 とくに日常、私たちが目にするこ とのない床下は、湿気がこもりや すく、大切な住まいの柱や木材の 腐朽を引き起こす原因となります。 このような状態で放置しておくと、 シロアリ等の温床になってしまい ます。
日本の住居の移り変わりから 日本の住居は、昔から高温多湿の気候に適応したものである。 戦後からは欧米的な考え方により食寝分離の考えから、住居を建築した。 現代では、外見にこだわるのはもちろんのこと、内面へのこだわりをみせる。それは、暮らしやすさや、ゆとりを求める考えからくる。
引用させていただいた ホームページ様 http://personal-dictionary.com/arc/frame.htm http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/4966/kenntiku.htm http://web.kyoto-inet.or.jp/org/orion/jap/hstj/study/jahouse.html http://www.ag.wakwak.com/~takashi/