呂 雷寧 RO, Rainei (上海財経大学 外語学院・ 常勤講師) 名古屋大学大学院国際言語文化研究科 第35回日本語教育学講座講演会 可能の観点から見た有対自他動詞の習得 日本語の自動詞、とくに有対自動詞は、中国語を母語とする学習者にとって難点である。可能に関して言えば、従来の研究者が指摘しているように、本来ならば有対自動詞が適格な文脈に、有対自動詞の可能形、あるいはそれに対応する他動詞の可能形を用いるという誤用が、上級学習者にもしばしば見られる。しかし、すべての有対自動詞において、上記の誤用が見られるわけではない。誤用が産出されるとしても、次に示されるように、つねに同じ種類のものであるわけではない。また次の誤用から、有対他動詞の可能表現も習得できているとは言い難い状況にあると言えよう。 (1)この服は防水加工してあるので、雨に濡れない/*濡れられない。 (2)この顕微鏡は物が千倍に見える/*見られる。 (3)この子は生まれた時とても小さくて、ちゃんと育つ/*育てる/?育てられるかどうかが心配だった。 可能に関する有対自他動詞の習得状況には、いかなる特徴があるのか。そこから何らかの規則的なものが見出せないだろうか。本研究では、これらの問題を解明し、有対自他動詞をめぐる諸問題に関わる要因を探ろうと試みた。まず、文正誤判断課題による反応時間と誤答率を用いて、中国人上級日本語学習者における有対自他動詞の習得状況の実態について検討した。次に、アンケート調査を行い、自動詞・他動詞可能形の選択について母語話者と学習者を比較した。 呂 雷寧 RO, Rainei (上海財経大学 外語学院・ 常勤講師) 本研究の考察によって、可能表現において、有対他動詞よりも有対自動詞がやや習得しにくいが、しかしいずれも習得上の難点であることが検証できた。そして、自動詞が意図的関与、有情物の能力、事物の属性、事態発生の可能性に関する事態を表す場合、学習者には、自動詞の可能形、あるいは他動詞の可能形を用いた誤用が見られやすいこと、一方、それらの要因に関わらない事態を表す自動詞文は習得しやすいということも明らかとなった。このような習得状況の実態は、学習者が日本語の可能表現と自動詞の性質を十分に把握できていないこと以外に、中日両言語の特質の違いによる母語干渉にもその原因を求めるべきだと思われる。 2014年7月28日(月) 16:30~18:00 (5コマの時間帯) 名古屋大学 全学教育棟405 <参加自由・無料> 問い合わせ先:玉岡賀津雄 ktamaoka@lang.nagoya-u.ac.jp