世界の言語と日本語 主語と一致
2005年10月10日付 の「Hide's Mail」 日本語には、主語を言わない文化、すべてを言い切らない文化、というものが存在する。これは日本語文化の素晴らしいものの1つだと思う。すべてを伝えなくてもそこには共通認識があり、“阿吽の呼吸”のようにお互いが理解しあえる。これは俺が知りえる限りでは、他の言語ではほとんど存在しない。 http://nakata.net/jp/hidesmail/hml254.htm
主語を言わない言語 「主語を言わない文化」は ≒「主語を言わない言語」 本当に他の言語にはあまり見られないのだろうか?
主語の義務性について 考えるための問題設定 必要がなければ主語を言わなくともよい言語にはどんな言語があるか。 必要がなくとも主語を言わなくてはならない言語にはどんな言語があるか。
気象表現 ヨーロッパの言語では動詞一語で「雨が降る」という内容を表すことができる場合がある。 日本語では「降る」という述語に「雨が」という主語が先行しているので、ぴんとこないかもしれない。
日本語の「吹雪く」 旭川では吹雪いています。 「何が吹雪いているの」という質問は通常成り立たない。 「吹雪く」にはそもそも意味上の主語がないからだ。 ヨーロッパの言語で動詞一語で「雨が降る」という内容を表すというときは、日本語の吹雪くと同じ状況だと思ってほしい。
英語の「雨が降る」 It rains. 主語も述語もある。 ところで、この「It」は何を指しているのだろうか。 このようにい指示物のない代名詞を「虚辞」と呼ぶ。
英語の「雨が降る」 動詞「rain」はそれ自体で「雨が降る」を表す。
英語の主語 意味的に必要がなくとも主語を言う必要がある。
フランス語とドイツ語の 「雨が降る」 Il pleut.(フランス語) Es regnet.(ドイツ語)
ヨーロッパの諸言語
統語的要求と意味的要求 のせめぎ合い 文には主語が必要だ(統語的要求) すべての要素は解釈可能でなければならない(意味的要求) 統語>意味:英語・フランス語・ドイツ語 意味>統語:その他の言語 Speas, Margaret (1997) Optimality Theory and Syntax: Null Pronouns and Control. In Diana Archangeli and Terence Langendoen (eds.), Optimality Theory: An Overview. 171-199. Oxford: Blackwell Publishers.
意味内容のある主語の省略 ねえ、昨日何時に寝たの? 10時に寝たよ。 日本語では意味内容のある主語の場合でも、相手がわかっていると思う場面では主語を表さない。 このように共通認識があるなら意味内容があっても主語を省けるという特性は日本語固有なのだろうか。
意味内容のある主語の省略 英語・フランス語・ドイツ語ではダメ。 他のヨーロッパの言語ではOKな場合が多い。 上の対話のルーマニア語訳 Când ai dormit ieri? Am dormit la ora zece.
意味内容のある主語の省略 でも、動詞や助動詞の一致で、上の文の主語が「あなた」であることがわかるし、下の文の主語が「わたし」であることがわかる。そうすると、完全に主語が消えていることにはならないのではないか。
日本語には一致がない 日本語の場合は、主語と動詞の間に人称による一致がない。 ただし、敬語の存在が、隠れた主語探しを少しだけ楽にして得くれている側面はある。 何時にお休みになりましたか? この表現では、主語が聞き手なのか第三者なのかはわからないが、尊敬の対象となっている人物であるというところまでは絞り込める。
主語の重複と一致 日本語で一つの文に複数の主語が許されるのは一致がないからだ。 Kuroda, Shigeyuki (1988) Whether we agree or not: A comparative syntax of English and Japanese. Linguisticae Invertigationes XII. 1-47.
主語の重複と一致 [文明国が男性が寿命が長い]Sことは、君だって知っているだろう。 「……が」=主語、とすると、三つの主語。 主語 述語 主語 述語 [寿命が] 長い [男性が] [[寿命が] 長い] [文明国が] [[男性が] [[寿命が] 長い]]
主語の重複と一致 英語に主語が一つしかない理由 動詞が主語と一致を起こしており、動詞と一致する名詞句が必ず一つ必要だからであるという説明がある。 この説明は妥当か? 英語でも一致と関係がない目的語は一つの文に複数存在できる。 I sent him a birthday present. 目的語 目的語
主語の重複と一致 もし、次のような言語があれば、一致と主語の重複に関する上の説明は妥当性を失うことになる。 一致があるが、一つの文に複数の主語が存在する言語。 このようなタイプの言語は存在するだろうか。見つけた学生には、期末テストの点数に50点上乗せすることにしたい。
主語以外の要素との一致 ところで、一致は、主語と述語の間にだけ成立する現象だろうか。実はそうではない。資料参照。
一致とは何か 文中のある語が他の語との間で文法範疇について対応する形式を示すこと。 ≒文中のある語の形式が、他の語の文法特徴によって規定される現象。
英語の例
Head-marking/dependent marking 二つの要素の間の統語的関係を表す方法は4つある。 主要部(被修飾部)=Head (H) 依存部(修飾部)=Dependent (D) D H-α Head-marking D-α H Dependent marking D-α H-β Double-marking D H No marking
格と一致 名詞の格(主語であることを表す主格など)はDependent-markingの形態法 一致(主語が何であるかを述語で示す)はHead-markingの一種
Head marking and dependent marking 所有表現(名詞句)では「被所有物」がHead、「所有者」がDependent 日本語はDependent marking 「私-の(D) もの(H)」
アイヌ語(Sato 1997) Sato, Tomomi (1997) Possessive expressions in Ainu, In T. Hayasi & P. Bhaskararao (eds.), Studies in Possessive Expressions. ILCAA. D H D-gen H D H-pers D-gen H-pers
D H cep up 魚 白子 「魚の白子」
D-gen H ku-kor ekasi 私-have 祖父 「私の祖父」
D H-pers k- ekasi-hi 私 祖父-所有 「私の祖父」
D-gen H-pers a-kor kotan-u 私-have 村-所有 「私の村」 Cf. a-kor kotan