理論研究:言語文化研究 担当:細川英雄
講義スケジュール ことばとは何か-思考・表現・コミュニケーション 文化とは何か-社会・文化・場面 ことばと文化の関係-文化リテラシーとしての言語習得 総合活動型日本語教育のめざすもの ことばと文化はなぜ統合されなければならないのか 言語教育のめざすもの
2.文化とは何か 社会 ・ 文化 ・ 場面
4. 「異文化」という名のステレオタイプ 例(+):日本人は親切である 例(-):日本人はいじわるである 集団の類型化とステレオタイプ(ST) 一人一人の個人が見えなくなる
認識によるレッテル貼りの宿命からは 逃げられない STの原型:○○さんは,親切/いじわるだ。 ST脱却の方法 集団類型化への自覚 1対1対応のコミュニケーションの重要性 人と人との信頼 自らの責任と立場の形成
STと「文化論」との関係 人は「文化」を「文化論」としてしか記述できない。 教室場面でどう考えるか
5. 「個の文化」の形成過程 他者からの刺激(外言+非言語的働きかけ) 個の文化の形成 場面認識+感覚・感情の調整 語彙の選択+内在コード(文法)の発動 言語的領域 文化的領域 外言化
6. 教育パラダイムの転換へ 不可能 「社会」(集団)における物質(モノ)・行動(コト)・精神(サマ)はどのようにして取り出せるのか? (ユリイカ!〈私が見つけた〉という 感覚以外にありえない)
コミュニケーションにおける「場面としての他者存在認識」,としての文化 人は,「社会」を,具体的な場面の中での他者存在として把握する。 「社会」の「文化論」として捉えられた,架空の「社会」としてではない。 人が具体的な他者と出会うのは,コミュニケーション という行為においてのみ。
モノ・コト・サマを集団で括って把握する発想そのものへの反省 「社会」の「文化論」とは,集団社会のモノ・コト・サマ情報解釈である。 集団に属すモノ・コト・サマ情報解釈からは何も生まれない。 集団類型化の危険性。
社会情報解釈としての文化論 〈社会情報解釈としての文化論〉を堅持する限り, 母社会成員の優位性・標準性は,絶対となる。 母語話者・非母語話者という対立関係認識も同じ 結果を生む 「正しい日本語」への反省 「社会」への同化・適応を強制
教育パラダイムの転換へ 「文化」を「社会情報」としてではなく,コミュニケーションにおける「場面としての他者存在認識」と捉えることから,「文化認識」の主体を学習者自身とする視点が確立する。 学習者は,「場面としての他者存在」をどのように認識しているか,そして,その認識をどのように他者へ向けて説得的に外言化するか,ということが学習の中心的課題となる。
関連文献 河野理恵「“戦略”的「日本文化」非存在説-「日本事情」教育における「文化」の捉え方をめぐって」(『21世紀の「日本事情」』2号,2000) 細川英雄「日本語教育と国語教育-母語と第二言語の連携と課題」(「日本語教育」100号,1999) 細川英雄「新しい個の表現をめざして-早稲田大学日本語研究教育センターにおける『総合』の試み」(「講座日本語教育」36分冊,2000) 吉田研作『外国人とわかりあう英語-異文化の壁を超えて』筑摩書房,1995