神経診察セミナー要約 神経内科医以外は神経診察を茶道のお作法のように恐れている 病歴でSnNout、診察でSpPinを行う したがってスクリーニング診察なるものは存在しない←スクリーニングは病歴で行う 診察項目の優先順位は病歴と病歴によって導かれた鑑別診断により決定される 神経診察は脳卒中患者に教えてもらう
神経診察セミナーの依頼文面 内容に関しても、かなりあいまいな書き方ですみません。意識混濁や見当識障害、また認知症などのある患者さんを病院などに紹介しようとするときに、神経学的な所見は?とよく聞かれたりします。麻痺に関してはバレー徴候が無く、痺れなども訴えていませんなどなど、これでよいのかなと一抹の不安を感じたりします。簡単な方法は無いのでしょうが、一般医が抑えておくべき診察技法、診察の仕方で、この時間で収まるようなものは無いでしょうか。
神経診察を茶道のように畏れる しきたり+特別な道具=格式
茶道の意義・必要性について お茶を飲むだけなら茶道は要らない だったら茶道は何のためにあるのか 茶道を知らずに振舞うとどんな悪いことが起こるのか? 茶会の席で それ以外で
神経診察は誰のため?何のため? 診療録の空欄を埋めるため? 神経内科医が偉そうにするため? ジェネラリストに恥をかかせるため? 診療のアウトカムとして生かすため
今回のセミナーの依頼文面 内容に関しても、かなりあいまいな書き方ですみません。意識混濁や見当識障害、また認知症などのある患者さんを病院などに紹介しようとするときに、神経学的な所見は?とよく聞かれたりします。麻痺に関してはバレー徴候が無く、痺れなども訴えていませんなどなど、これでよいのかなと一抹の不安を感じたりします。簡単な方法は無いのでしょうが、一般医が押さえておくべき診察技法、診察の仕方で、この時間で収まるようなものは無いでしょうか。
専門医の立場で,紹介状に神経学的所見が書いていなかったら困るか? 専門医は全く困りません.だって自分で所見を取ればいいんだもの 専門医以外は黒やぎさん⇔白やぎさんのやりとり?
専門医が欲しい情報=専門外の情報=ジェネラリストの情報 病歴の要点 既往歴,服薬歴,合併症のコントロール状態 社会背景:家族のサポート,経済状態 コミュニケーション能力 全身状態,バイタルサイン,身体所見 日常生活動作の障害:衣食住 移動,食事(使う道具・嚥下),更衣,清潔動作(洗面,入浴),排泄 問題行動:徘徊,夜間譫妄,記銘力障害等
病歴だけで十分:専門医が拘る理由 病歴の要点 コミュニケーション能力 全身状態,バイタルサイン,身体所見 日常生活動作の障害:衣食住 既往歴,服薬歴,合併症のコントロール状態 社会背景:家族のサポート,経済状態 コミュニケーション能力 全身状態,バイタルサイン,身体所見 日常生活動作の障害:衣食住 移動,食事(使う道具・嚥下),更衣,清潔動作(洗面,入浴),排泄 問題行動:徘徊,夜間譫妄,記銘力障害等
43歳の男性:無呼吸を疑われ紹介来院 3ヶ月前から瞼が何となく重く(閉じるまでいかない)睡眠不足かと思っていた。 まぶたをあげようと努力しているので同僚から人相が悪くなったといわれる。左 へ振り返ったときに一瞬ものが二重に見えることが時々あり、片目をつぶればはっ きり見える。同じ頃からからつばやものが飲み込みにくいと感じる事がありのど が狭くなった(少し体重が増えたので)と思った。1ヶ月前から食事(特に量の 多いとき)の後半になると顎が疲れてうまくかめなくなり時間がかかるようになっ た。(やすめばもどる)同時にこのころからシャンプーをしていると右手が重く なり支えないと頭まであがらなくなる。(休めば治る) この病歴をとったのは医学部5年生です、この病歴を聴いて学生さんはおそらく疾患を思い浮かべて聞い たのだろうと思いましたが、思い浮かべることは難しかったのでなるべくご不自 由に思っていることを一生懸命聴いたそうです。聴く態度があれば疾患が思い浮 かばなくても良い病歴がとれるものだと感心しました。
“神経学的所見”は情報を捨てている 嚥下障害→汁物はむせるが麺類はOK 構音障害→酔っ払いのような喋り方,声がかすれて聴き取りにくい 失語症→自発語は全くないが,血圧を測りましょうと言うだけで腕を出す 右不全片麻痺→車椅子への移乗はできるが,箸が使えない
神経学的所見を要求されたら 日常生活動作障害,コミュニケーション能力,問題行動を明示するだけでよい オプションとして上記の障害の背景にある病態をそれらしく記すこともあるが・・・(例:右不全片麻痺,構語障害,嚥下障害,記銘力障害,体幹の運動失調疑い) 腱反射なんぞはどうでもよい
神経学的所見は,病歴で得た情報を捨てている →標的を絞って確認している 感度の高い病歴でスクリーニングし,特異度の高い診察所見で確認する ↓ スクリーニング神経診察の幻
今回のセミナーの依頼文面 内容に関しても、かなりあいまいな書き方ですみません。意識混濁や見当識障害、また認知症などのある患者さんを病院などに紹介しようとするときに、神経学的な所見は?とよく聞かれたりします。麻痺に関してはバレー徴候が無く、痺れなども訴えていませんなどなど、これでよいのかなと一抹の不安を感じたりします。簡単な方法は無いのでしょうが、一般医が抑えておくべき診察技法、診察の仕方で、この時間で収まるようなものは無いでしょうか。
スクリーニング診察のイメージは 茶道マスター1日コース? 英会話スピードラーニング?
スクリーニング神経診察は青い鳥 神経内科医はやっていない なのに神経内科医以外が幻の恋人のように恋焦がれるのはなぜでしょうか? 存在しない→だから,ない物ねだり 仮にひねり出したとしても役に立たない →だから,忘れてもいい なのに神経内科医以外が幻の恋人のように恋焦がれるのはなぜでしょうか? ヒント:神経診察以外でスクリーニング診察ってやってます? 何のためですか?何の役に立っていますか?
スクリーニング診察の幻の背景 病歴と診察の関係を誤解 診察項目が多すぎるとの“誤解” 診察の感度を誤認 感度の高い病歴でスクリーニングすべきなのに、感度の低い診察でスクリーニングしようとする 診察項目が多すぎるとの“誤解” 確かに多いが、問題は項目の数よりもその優先順位の決め方が理解しにくい“不快感”:フランス語の時制もどき
診察項目は確かに多いが、問題は実は項目数ではない 今,神経症候の診察は,じゅうたん爆撃のようにやたらめったらしまくるのではなく,検査を選ぶように診察項目を選んでやらなくてはいけないと申し上げました.その理由の一つをここに示します.これは平山恵造という,偉い偉い神経内科の先生が書いた有名な本です.全部で1300ページほどあります.ここに書いてある神経学的診察を全部やっていったら1週間あっても10日あっても足りません.医者も患者さんも1週間合宿しないと全部の所見をとりきれないぐらいです.現実には不可能です.現実には限られた外来時間の中で診察項目を絞っているわけです.しかし,それが一体どういう基準によるものか.誰も教えてくれません.なぜでしょうか?秘密にしなければならない理由があるのでしょうか?
神経診察の真実1 そもそも診察はスクリーニングではない 診察は感度の高い症状でスクリーニングを行なって,鑑別診断を絞り込んだ後,特異度の高い所見を選択して行なう これは,スクリーニングには戻らないカスタマイズのプロセスである. とくに神経診察はカスタマイズが徹底している だから,スクリーニング診察は,ないものねだり,青い鳥
神経診察の真実2 診察手技の数が極めて多い よく使う手技はあるが,そういう手技は特異度が低い あまり使わない手技の中に特異度がとびきり高いものがある 特異度の高いものを抽出して診察を組立てる
神経診察の真実3 個々の病歴に全面的に依存する 特異度の高い手技を選び出し組み立てる 従って,系統講義のようなものでは学習できない 個々の診察手技を単語,診察そのものを会話や文章と考えると,いくら単語をたくさん覚えても,話す,読み書きはできないだろう 病歴の面白さがわかって初めて診察へ ポケットの中身の判別と拇指探し試験
神経診察は脳卒中患者に教わる 患者さんがたくさんいる 健常側の所見が良い対照となる 病変部位局在が明らかである 急性期と慢性期の対比、経過追跡が可能 丁寧に診察すると喜んでもらえる