心理測定法 4月14日~21日 感覚の測定
内容予定 閾値の測定(感度の測定) 感覚量の測定
感覚量の測定 20世紀半ばにスティーヴンスが精力的に研究 マグニチュード推定法 スティーヴンスのベキ法則
マグニチュード推定法 基本的手続き 自分が感じている感覚の「量」を数字で答えてもらう
例:光の明るさ Q「この蛍光灯の明るさを10とすると、あの蛍光灯の明るさはいくつですか?」 A「う~ん9かな」 Q「ではこの光は?」 A「5です」 Q「ではこれは?」 A「7かな」 ・・・
批判 感覚を数字で表すことなどできないのではないか?ばかげているのではないか? 人間の言語報告をそのまま測定値として使うなど、不正確なのではないか? などなどたくさん しかし、やってみると結構きれいなデータがとれた
色々なデータ(プリント参照)
感覚の研究は19世紀の生理学者たちに始まるが、それまで誰もこんなことをやろうとはしなかった 誰でも一度は思いつきそうな素朴な方法だが、ちゃんとした研究としてこれが行われたのは20世紀半ば。
なぜスティーヴンスはこれをやろうと考えたのか? 音響技術者たちの現場の声 友人の揶揄に対する逆ギレ? 人間の言語反応を使った研究の蓄積
1.音響技術者たちの現場の声 音圧レベル(物理量)と、そのとき聞こえる「音の大きさ」との関係が、フェヒナーの法則に合わない
フェヒナーの法則(1864) S = k log I+c S:感覚量、I:刺激の物理量、kとc:定数
「フェヒナーの法則に従うと、60dBの音は30dBの音の「2倍の大きさ」に聞こえるはずだが、それよりもはるかに大きい気がする」 「この音はあの音の2倍より大きい」
そこでスティーヴンスは考えた(?) 「『あの音の2倍より大きい』ということは、あの音を10とするとこの音は20より大きいということか」 「人間はそうやって自分の感覚や印象を数字で表現することができるんだな」 「フェヒナーの法則は閾値の研究を元に作られたものだが、」 「人々が使うこの表現をそのまま測定値として使ったほうが、日常生活の上での実情にあっているのではないか?」
2.友人の揶揄に対する逆ギレ? 「これは、同僚とのまったく気楽な会話から始まったものであった。その同僚いわく、 『君は、音の大きさにはそれぞれにあてはまる数があって、ある音を鳴らしたら、それがいくつであるか言い当てられるとでも思っているようだな』。 そこで私は答えた。 『それはおもしろい考えだ。やってみよう。』」 S.S.Stevens(1956)
3.言語反応を使った研究の蓄積 この時代までには、他の色々な分野でも人間の言語報告をそのまま使った研究があって、それなりの効果を上げていた ⇒心理学者の間では、人間の言語反応をそのまま使うことへの抵抗感が薄れていた
そのデータを整理し、以下の法則を得た ⇒スティーブンスのベキ法則 S・・・感覚量 I・・・刺激の物理量 K、n・・・適当な定数
いろいろなベキ指数(プリント参照)
それまでの感覚研究で得られた法則よりも、 人々の日常的感覚に合ってる (とスティーヴンスは主張)
さらなる証拠(プリント参照) 感覚器からの神経出力もベキ関数になっている! (とスティーヴンスは主張) 批判:そのあと脳に行くとまた違った関数になるんじゃないか?
論争 基本的にスティーヴンスは敵だらけ? おもな批判 やっぱりそもそも感覚の「量」を測るということ自体間違いでは? 感覚反応関数が未知 判断の熟練性
1.感覚の「量」を測るという発想自体間違いなのではないか? スティーヴンス陣営からの応答 「マグニチュード測定法が測っているのは本当に『感覚の量』なのか、という批判はもっともである。」 「しかしここでは『感覚の量』を操作的に定義していると言える。」 「ここでは人々の言語反応を測定し、それを『感覚の量』と定義して、日常の場面に役立てようとしているのだ。」
2.感覚反応関数が未知 人間の感覚量判断は、2段階のステップで成立すると考えられる 物理的刺激 ⇒ 感覚 感覚 ⇒ 言語反応 物理的刺激 ⇒ 感覚 感覚 ⇒ 言語反応 この第二段階をグラフにしたものが感覚反応関数
スティーブンスのベキ法則じゃなくても、 たとえばフェヒナーの法則でも、 感覚反応関数の形によっては最終的にベキ法則っぽい形になる(プリント参照) ⇒ベキ法則は刺激→感覚の関数であると主張されているが、それは間違いかもしれない
スティーヴンス陣営からの応答 ・・・は調べ中だが、1.と同じ感じで答えられるかもしれない 「それならそれで結構。ベキ法則は刺激の物理量と言語反応との間の関係ということで結構。現実生活で問題になるのはそこだ。」
3.判断の熟練性 たとえば、音源からの距離についての判断 熟練した音響技術者は、それをけっこう正確に判断できる 訓練次第によって、ベキ指数なんてどのようにでも変わってしまうのではないか?
さらなる理解のために ※授業では多分やらない(自分用メモ?) マグニチュード推定法を考える上で、異種感覚量マッチングがひとつの重要な手がかりをくれる気がする
「数字で答える」は、数字もしくは線分イメージとの異種感覚量マッチングではないか では異種感覚量マッチングとは何か? 2つの異なるモダリティー間での「同じ」という判断 ⇒「同じ」とはどういうことか?